1109.鍛錬篇:表現はプログラムを実行しているだけ

 今回は「アフォーダンス」についてです。

 耳慣れない言葉ですが、人間が活動するときに必ず働いています。

「アフォーダンス」を使いこなせるようになりましょう。





表現はプログラムを実行しているだけ


「文章の表現」に苦しんでいる方は多いと思います。

 私も小説を書くときは毎回表現に苦労しており、本コラムを書くときでさえどう表現するべきかで悩んでいるくらいです。

 しかし、これは人間本来の機能とは異なるから苦しんでいます。人間本来というより生物本来と呼ぶべきかもしれません。




生物はプログラムで動いている

 生物は環境に適応し、そのときとりうる行動の中から選択して動いています。

 この「とりうる行動」は、事前に「プログラム」化された一連の動作を指しているのです。


 人は、成人なら二百六個の骨と六百を超える筋肉の動作の組み合わせで運動しています。しかしこれを毎回個別に命令を発していたらどうでしょうか。脳の処理能力を大きく超えてしまうのです。

 そこで人間を含む生物は、事前に「プログラム」された「アフォーダンス」を活用して体を動かしています。

 たとえば「ボールを投げる」動作なら、ボールを持つ手を後ろへ動かすと同時に前足を地面から浮かせてバランスをとり、浮いた前足を前方へ振り出すと同時に腕を振り上げ、前足が着地すると同時に上体を立ててボールを持つ手を高い位置に置いて、後ろ足でマウンドプレートを蹴りながらボールを持つ手を一気に振り切ってボールを投げ込む。という一連の動作を行ないます。

 これをすべて脳で考えながら指示を出して動いていたのでは、処理能力をフル回転させても足りません。そんな時間の余裕はないのです。

「アフォーダンス」とは、これらの一連の動作を「プログラム」として脳にセットし、用いるときに条件反射で自動処理されるようにするものを指します。

 コンピュータ用語で言うなら「マクロ機能」です。




小説でも働くアフォーダンス

 小説を書くときも「アフォーダンス」は働くのです。

 人間は肉体を動かすように、精神や思考も動かせます。

 つまり「文章を書く」のもPCのキーボードを叩く「アフォーダンス」で入力しているのです。それだけでなく「文章の表現」も「アフォーダンス」で行なっています。

 だから「小説を数多く書いた方は、深みのある表現が書け」ます。

 まったく小説を書いていない方に、深みのある表現はできません。

「文章の表現」自体は読書でも手に入ります。しかし小説を書くときにそれを引き出せるかと言われれば、引き出せないのです。

 それは「プログラム」化して「アフォーダンス」が働く状態になっていないから。

 大谷翔平投手の投げ方をテレビで観ていたとしても、あなたがそれを真似して一六〇キロの球が投げられるわけではないのです。フォームすら一致させられません。「最良の読み手」が「最良の書き手」になれるわけではないのです。

 つまり初心者は「文章の表現」を毎回一から考え出さなければなりません。

 しかし「文豪」になると「文章の表現」は過去の経験によって「プログラム」化された「アフォーダンス」を働かせて「自動的に」当てはめてしまうのです。

「文章の表現」という「プログラム」をどれだけたくさん脳にストックしておけるか。それが「文章の表現」をスラスラと書けるか、ひとつひとつ頭を悩ませなければならないのかの差となって表れます。


 皆様にはできるだけ多くの小説を書いていただきたい。

 たとえ短編小説であっても、数多く書いていれば「文章の表現」が「プログラム」化されます。「プログラム」が蓄積すれば、いざ長編小説を書くときに「アフォーダンス」が働いてスラスラと「文章の表現」が浮かんでくるのです。

 最初から長編小説を何本も書こうとすれば、その都度「文章の表現」を思いつかなければならず、頭を悩ませる時間が長くなります。空転している時間が長いので、生産性が著しく落ちるのです。

 それなら短編小説を数多く書いて「文章の表現」を「プログラム」化していったほうがはるかに効率的でしょう。

 生物が本来持っている「アフォーダンス」を活用したいのなら。自動処理するための「プログラム」を大量にストックしてあるのが大前提です。

 あなたは、小説を書くときに毎回頭を悩ませたいでしょうか。スラスラと書きたいでしょうか。私はスラスラと書けるようになりたいので、今からでも短編小説や短編連作で「文章の表現」を「プログラム」化してストックしていきたいと思います。




文体の確立

「アフォーダンス」を活かした執筆を続けていると、あなた独自の文体が築けます。

「アフォーダンス」が最も発揮されるのは「地の文」です。「会話文」は人物の言葉をそのまま書き言葉で記しただけであり、「文章の表現」とは関係ありません。

「地の文」で重文でつないだ長い一文を書く。これも文体です。

 散文の小説なのに、韻文のようにひたすら韻を踏んでいく。これも文体です。

 主人公の一人称視点で自らの発言に対してツッコミを入れていく。これも文体です。

(「これも文体です。」と三回韻を踏みました)(←というツッコミを入れています)。

 どのような文体があなたにとって書きやすく、また読み手が読みやすいのか。答えは書き手の数だけあります。

 文体の確立では「読み手に正しく伝わっているか」に気を配ってください。

 単にあなたが「書きやすい」だけでは、「読みにくい」と感じられる文章になりがちです。

 読み手になったつもりで「読みやすい」文体を見つけていくようにしましょう。

 どうしてもわからないのなら、短編小説を書きまくって、すべて小説投稿サイトへ掲載してください。反響のよい作品は総じて「読みやすい」ものです。

 とくに同じ書き手の作品であれば、内容に大きな違いはありません。だから評価が高い作品は「読みやすい」と判断できます。





最後に

 今回は「表現はプログラムを実行しているだけ」について述べました。

「アフォーダンス」の仕組みがわかると、上達の仕方が見えてきます。

 つまりどれだけの「プログラム」を事前にストックできるのか。それがパフォーマンスを高める鍵なのです。

 いちいち一文を書くのに脳を使っていては、あまりにも非効率的だと思いませんか。

 自動化できるところは自動処理に任せるべきです。

 そうすれば、重要な部分にだけ注力できますよ。



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