1108.鍛錬篇:へたな人ほど最終的には伸びる
今回は「挫折する」ことのたいせつさです。
どんな「文豪」もたいてい一度は挫折しています。
へたな人ほど最終的には伸びる
スポーツでもそうなのですが、今はへたな方のほうが最終的には伸びていきます。
よく「大器晩成」と言いますよね。
しかし現状で結果が出ていない方は「そうは言うけど、いつまで待てばよいのさ」とお思いのはずです。
苦手なジャンルであがいていませんか
今「へた」な方は、書いている作品のジャンルがあなたに合っていないのかもしれません。
あなたに合うジャンルは、世の中で人気のあるジャンルとはかぎらないのです。
現在の小説投稿サイトでは「剣と魔法のファンタジー」が圧倒的に強い。だから「剣と魔法のファンタジー」を書かなければ「小説賞・新人賞」は獲れない、と思い込むのです。
しかし「ノンジャンル」の「小説賞・新人賞」なら、凡百が応募してくる「剣と魔法のファンタジー」よりも、数少ない「ホラー」のほうが有利に立てます。
だから無理してまで「剣と魔法のファンタジー」に固執することはないのです。
あなたが書きたいジャンルで「ノンジャンル」の「小説賞・新人賞」を狙いましょう。
案外「へた」な理由は「苦手なジャンルを書いているから」な場合が多いのです。
あなたの適性が本当に「剣と魔法のファンタジー」と合致しているのなら、必死にあがかなければなりません。しかしもし合致しないのなら、「あなたが書きやすいジャンル」を模索するべきです。
小説投稿サイトだから、求められるのは「ライトノベル」だ、というのは正しい見方でしょう。しかし「ライトノベル」イコール「剣と魔法のファンタジー」というのは安直に過ぎます。
谷川流氏『涼宮ハルヒ』シリーズは「剣と魔法のファンタジー」だったでしょうか。平坂読氏『僕は友達が少ない』は「剣と魔法のファンタジー」だったでしょうか。伏見つかさ氏『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』『エロマンガ先生』は「剣と魔法のファンタジー」だったでしょうか。渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』は「剣と魔法のファンタジー」だったでしょうか。
いずれも「NO」と言えますよね。いずれも「日常」や「ラブコメ」です。
賀東招二氏『フルメタル・パニック!』には戦闘シーンがあります。しかし「剣と魔法のファンタジー」ではなく「ロボットアクション」もの、つまり「アクション」か「SF」です。
「小説投稿サイト」の「小説賞・新人賞」イコール「剣と魔法のファンタジー」という思考がいかに短絡的かおわかりいただけたでしょうか。
もちろん「剣と魔法のファンタジー」しか刊行していない出版社レーベルが主催する「小説賞・新人賞」では「剣と魔法のファンタジー」以外が大賞を獲れないと思われます。それが前提で順位付けして大賞・優秀賞・佳作が決められる以上、「小説投稿サイト」の「小説賞・新人賞」イコール「剣と魔法のファンタジー」と考えてしまうのも無理からぬことです。
だから「小説賞・新人賞」へ応募する際は、主催している出版社レーベルが、過去にどんなジャンルの作品を刊行したのかチェックしておきましょう。
不得意なジャンルを書かなければならないムダな努力が減り、より確実に「紙の書籍」化を近づけられます。
あなたは本当にそのジャンルが書きやすいのですか。
職業作家には一度は挫折した方が多い
あなたは「職業作家」つまり「プロ」は一度も挫折を味わわずに「プロ」になれたと思いますか。だとしたらその考えを改めてください。
「職業作家」のほとんどが、一度は挫折を味わっています。
『銀河英雄伝説』『アルスラーン戦記』でお馴染みの田中芳樹氏は、「紙の書籍」化される作品が書けずにたいへん苦労したのです。当初は『銀河のチェス・ゲーム』を幻影城ノベルスから出版しようとしましたが、倒産されてしまいます。他の出版社レーベルを渡り歩きますが、なかなかOKを出してくれる出版社レーベルが見つかりません。しかし徳間書店の編集さんが『銀河のチェス・ゲーム』の原稿を読み、本編よりも数世紀前のエピソードを描いた「序章」の部分を膨らませて書くように勧めました。これにより『銀河英雄伝説』が徳間書店のトクマ・ノベルズから刊行されたのです。
今では大作家・大御所である田中芳樹氏も、大きな挫折を味わっています。
他にも文芸畑の方は、多かれ少なかれ挫折を味わっているのです。
一度「紙の書籍」化されたのに、二作目がなかなか書けなくて挫折する方がたくさんいます。芥川龍之介賞を授かった書き手であっても、受賞後の作品が低レベルで出版されることなく消えていく方が多いのです。頑張って出版しても、受賞作を超える作品を書けた方は少ない。「小説賞・新人賞」受賞がピークで、その後没落していく書き手のなんと多いことか。
そして「○○氏△年ぶりの新作」などとキャッチコピーが付いて再び売り出されることもあります。
そういえば私の嫌いな村上春樹氏も「△年ぶりの新作長編」というキャッチコピーがよく付くのです。村上春樹氏は基本的に短編作家なのかもしれません。だから長編を書くだけでも四苦八苦しているのではないでしょうか。だから長編小説の評価がそれほど高くないともとれます。
へたなほど努力する
あなたが「へた」な書き手だとします。
どんなに「へた」でも、読み手に伝えたい物語がある。だから「へた」な文章でも小説を書き、小説投稿サイトへ掲載するのです。
しかし「へた」ですから、閲覧数ゼロ、ブックマーク・ゼロ、評価ゼロのトリプル・ゼロに陥ってしまいます。ここで挫折される方が多いのですが、ちょっと待ってください。
「へた」なら「へたでなくなる」まで努力しませんか。
あなたには伝えたい物語が確かにあるはずです。それを伝えることなく生涯を終えても後悔しませんか。
「後悔先に立たず」と言います。
今あきらめて後で悔いてもどうにもならないのです。
今「へた」ならいきなり「うまく」なる必要なんてありません。「へたでない」レベルまで技術を高めればよいのです。
「へたでもうまくもない」レベルにいれば、より努力して「うまく」なりましょう。
「へた」な方ほど努力して大家になりやすいのです。
もし最初から「うまい」文章が書ければ、「小説賞・新人賞」を一発で獲得できるかもしれません。しかしその後も同レベルの作品が書けるものでしょうか。
実に怪しい。なぜなら最初から「うまい」と「よりうまくなろう」と思わないからです。よくて現状維持。悪ければ図に乗って怠けてしまう。あぐらをかいているうちは技術がどんどん落ちていると気づかないのです。
童話『うさぎとかめ』のようなもの。
足の速いうさぎはスタートダッシュこそ決めますが、ゴールを目の前にして昼寝してしまいます。足の遅いかめは休むことなくひたすら前進を続け、ついにうさぎより先にゴールにたどり着いたのです。
「うまい」人は努力を怠りがち。「へた」な人はあきらめがちです。
もし「へた」な人がかめのようにあきらめずにひたすら前進を続けていれば、いつか「うまい」うさぎを追い抜けます。
「あきらめない」で前進を続ければ、いつか日の目を見るものです。
今「へた」であるのは、実は絶好の機会かもしれません。「努力」のたいせつさを体現できるからです。
小学校で習う偉人伝は、たいてい「努力」のたいせつさを説いています。才能だけで偉人伝に載った方はまずいません。
昔から「努力」はたいせつなものだとの共通認識がありました。
「へた」だからこそ「努力」するのです。
最後に
今回は「へたな人ほど最終的には伸びる」ことについて述べました。
スタートダッシュを華麗に決めたうさぎは、途中で昼寝しやすい。
大きく引き離されたかめは、あきらめることなく前進を続けていれば、いつかうさぎに追いつき、追い越せるものなのです。
『うさぎとかめ』はとても含蓄のある物語といえます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます