1100.鍛錬篇:勇者になりたいからファンタジーを読む

 今回は「主人公最強」についてです。

 人は自分が「特別な存在」であることを望んでいます。

 そんな夢を叶えるのが「勇者」であり「白馬の王子様」なのです。





勇者になりたいからファンタジーを読む


 小説投稿サイトで最も強いのがファンタジージャンルです。

 ファンタジーは、読めば誰もが勇者になれます。もちろん主人公が魔王の場合もありますが。

 小説には、読み手の願望を叶えることが求められます。

 読み手の中で最も強いのが「勇者願望」です。

 誰もが自分こそ「選ばれし者」でありたいと思っています。だからファンタジー小説を好んで読むのです。




主人公最強は勇者願望の発露

 現在流行りのキーワードは「主人公最強」です。

 たとえ日常でどんなに蔑まれても、小説世界の中では誰にも負けない。圧倒的な実力差を見せつけて「自分こそが最強なんだ」と思っていたいのです。

 だから「主人公最強」というキーワードが広く受け入れられました。

 しかし最強になると「義務」や「責任」が生じます。弱い者たちを救わなければならないのです。だから多くの場合「弱者救済」の旅へ出かけます。

 その典型例がドラマ『水戸黄門』です。

「先の副将軍」というある意味「最強」の肩書きを持った主人公が、諸国を漫遊しながら「弱者救済」の旅を続けます。

 そう。ファンタジーの読み手は皆、水戸光圀になりたいのです。

 普段は冴えなくても、いざとなれば「主人公最強」で無双状態になります。武闘派の佐々木助三郎(助さん)、渥美格之進(格さん)とともに悪い奴らをバッタバッタと薙ぎ倒すのです。そしてほどほどに懲らしめたら三つ葉葵の印籠をかざして「先の副将軍」だと名乗りをあげます。

 最初から「先の副将軍」だと明かせば、戦闘シーンは必要ないのではないか。

 そう思いますよね。

 それだとまったく面白くないのです。

「主人公最強」ものでも、最初から「主人公最強」状態を見せつけられるとまったく面白くありません。

 最初は最強でなくても頭だけはよくまわって機転が利く。一念発起して鍛錬に励み、「主人公最強」の高みまで登りつめる。

 そういう過程があるから「主人公最強」は面白いのです。

「主人公最強」は『水戸黄門』だと思いましょう。




暴れん坊将軍の問題点

 こう書くと「いや、本当に「主人公最強」な時代劇は『暴れん坊将軍』だ」という声が聞こえてきそうです。

 なにせ天下の実権を握っている「将軍」徳川吉宗が主人公なのですから。普段は「貧乏旗本の三男坊・徳田新之助」と名乗り、火消し屋「め組」に顔を出しています。

 そういう日常の中で、弱者が虐げられる場面に遭遇する。そこで敵を追い払って弱者を助けます。しかし根本的な問題があって、それを解決しないことには弱者を救済できないとわかるのです。そこで忍びの者を使って内偵を進め、真相を見抜いたら成敗に向かいます。見事巨悪を成敗して弱者を真から救済するのです。

 ただ困ったことに、徳田新之助はほとんど江戸から出られません。確かに将軍が江戸を離れるわけにもいきませんからね。つまり諸国を漫遊できないのです。これだとどうしても展開に変化をつけるのが難しい。それに「最強の主人公」がいるところに毎回巨悪が生まれるのも難がありますよね。

 この課題をクリアできれば「主人公最強」の最たるものは『暴れん坊将軍』で問題ないのです。

 ですが「剣と魔法のファンタジー」において、一国内で「主人公最強」を見せつけるのはそう容易くありません。必然性を持たせるなら、弱小国に所属させる手があります。襲いかかってくる隣国の軍隊を相手に大立ち回りを演じれば、一国内でも「主人公最強」は表現できるのです。

 それでも弱小国には隣国から狙われる理由が要ります。「最強の主人公」がいるとわかっているのに何度も手を出してくる国はまずないでしょう。損害ばかりが増えていっこうに領地が拡大できない。効率が悪いことこのうえありません。となれば主人公の暗殺を考えるのが筋です。しかし「最強の主人公」へ刺客を差し向けても返り討ちに遭うだけ。戦って勝てないのなら残るはせいぜい毒を盛るくらいでしょう。それで面白い物語になると思いますか。




主人公最強は世代が求めている

 小説投稿サイトで人気のある「勇者」もの。

 そもそもなぜ「勇者」が人々に好まれるのでしょうか。

「特別な存在」であると皆から認められたいという「男のロマン」があるからです。

 たったひとりにとっての「勇者」でもかまいません。

 自分が「特別な存在」であれば、あらゆる困難も「試練」であり「経験値稼ぎ」の場になるのです。つねに前向きで物事に取り組めます。

 今の「中二病」の読み手は、苦難を嫌うのです。なんでも自分の思いどおりになってきた世代ですから、苦難を味わうなんて考えられません。だから商業作品でも主人公の苦難を描いた作品はヒットしにくくなりました。

 マンガの発行部数世界一の尾田栄一郎氏『ONE PIECE』も、主人公ルフィはそれほど苦難を味わっていません。そもそも「ゴムゴムの実」を食べたゴム人間ですから、たいていのことは跳ね返してしまいます。ゆとり世代・さとり世代の読み手も「ルフィが勝てるのか」ではなく「ルフィがどう勝つか」に関心が向いているのです。ルフィが負けるとは微塵も思っていません。「失われた20年」と評された就職氷河期世代は「主人公が負けるかもしれない」と思いながら読みます。ここに世代間ギャップがあるのです。


 もし書き手が就職氷河期世代であれば、現在主力の読み手層となってするゆとり世代・さとり世代を惹きつけるような作品はまず書けません。

 主人公が苦難を味わう物語が好まれないのです。だから「主人公最強」「俺TUEEE」「ざまぁ」といった「主人公は誰よりも強い」という無双もののキーワードが人気を集めます。

 たとえあなたが就職氷河期世代であっても、小説では「主人公最強」「俺TUEEE」「ざまぁ」を書かなければなりません。このギャップを埋めるのが難しくて脱落していく小説家志望の方が多いのです。

 なにも物語の最初から「主人公最強」で行けと言っているわけではありません。始まりは一介の村人でかまわない。そこからいかにして「主人公最強」まで持っていくのか。できるだけ早いタイミングで「主人公最強」にしてください。

 ゆとり世代・さとり世代の読み手は、主人公が無双している状態こそ望んでいます。苦難を味わっているシーンなど読みたくもないのです。「今さら根性論ですか?」という世代は「苦難」を巧みに回避してきた生き方が染みついています。感情移入する主人公にもそういった生き方を求めるのです。





最後に

 今回は「勇者になりたいからファンタジーを読む」ことについて述べました。

 女性が抱く「白馬の王子様」も「特別な存在」ですよね。

「勇者」にしても「白馬の王子様」にしても、読み手のロマンが刺激されます。

 だから「勇者」もの「白馬の王子様」ものは跡を絶たないのです。

 この世にどれだけの「勇者」が存在したのでしょうか。少なくとも書き手の数だけ「勇者」は存在するはずです。

 小説の主人公はたいてい選ばれし「勇者」ですし、異色な作品だと「魔王」が主人公で「対になる存在」が「勇者」という設定になります。どちらにしても「勇者」は出てくるのです。そもそも「魔王」も選ばれし「特別な存在」ではあります。

 しかも武力・魔力に秀でた者だけが「勇者」とは限りません。

 名探偵シャーロック・ホームズも「特別な存在」という意味では「勇者」に類するのです。東洋格闘技バリツの使い手でもありますからね。

 そう考えると、ほとんどの小説の主人公は「特別な存在」なのです。

「特別な存在」はそう簡単には死にません。多くの場合「主人公最強」とセットです。

 現在の小説の読み手は「主人公最強」でなければまず読みません。ゆとり世代・さとり世代にウケるのは「主人公最強」の作品です。

『DRAGON BALL』の悟空は戦闘民族サイヤ人という後付け設定ですが、基本的に「修行」をして強くなります。しかし『ONE PIECE』のルフィはゴムゴムの実を食べただけで強くなっているのです。

 単行本の売上でも『DRAGON BALL』を抜いて世界一となった『ONE PIECE』は現在の「主人公最強」を語る最たるものでしょう。



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