1073.鍛錬篇:非凡は平凡が土台にある
今回は「非凡」についてです。
「非凡」は「平凡」という基礎が出来ていて初めて生まれます。
あなたが知っている「非凡」な人物は、「平凡」とはどう違うのかを、よく観察してください。
非凡は平凡が土台にある
小説に限らず、才能には「平凡」と「非凡」があります。
誰もが「非凡」な才能を夢見ますが、すべての人が「非凡」であるわけでもありません。
なにが「平凡」で、なにが「非凡」なのか。
それを知れば「非凡」さを身につける一助になります。
非凡は憧れの的
「非凡」な才能を有している方は、その業界で特異な地位を占めます。
たとえば二十世紀最大の芸術家と称されるパブロ・ピカソ氏は、「非凡」な作品を生み出し続けました。
私の好きなレオナルド・ダ・ヴィンチ氏も、数多くの「非凡」な業績を挙げています。
人は「非凡」な才能を見れば憧れを抱くのです。嫉妬する方もいらっしゃいますね。
「非凡」なヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト氏に嫉妬した「平凡」なアントニオ・サリエリ氏という構図もあるのです。
誰もが「非凡」な才能に憧れます。自分にも「非凡」な才能があるに違いない。そう思ってしまうのです。
とくに小説を書いて「小説賞・新人賞」を獲ろうと考える方も多いと思います。自分には「非凡」な才能があり、「私が小説を書けば小説賞間違いなし」と過信するのです。
しかし実際には「小説賞・新人賞」は獲れず、「自分には非凡な才能はないのか」と落胆します。
たった一度の挑戦であきらめてしまう方が多いのです。
ですが安心してください。
あなたにも「非凡」な才能はあります。それを活かしきれていないから「平凡」にとどまるのです。
基礎を固める
「非凡」な才能を引き出すには、基礎が重要です。
基礎が身についていないのに無手勝流で取り組もうとするから、才能を活かせません。
まずは基礎を固めてください。
パブロ・ピカソ氏といえば独特なデッサンを持ち味とした画家です。しかし彼は若い頃「写真のように精密なラフスケッチ」を何枚も書いています。デッサンの基礎がしっかりしていたのです。だから独特なデッサンでもバランスのとれた素晴らしい作品を数多く残せました。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト氏は子どもの頃に誰からも教わらずにピアノで曲を弾いたとされています。しかし曲を披露する前に、人知れずピアノで何度も曲を練習しただろうことは疑いようもありません。たまたま人前で披露する機会がやってきただけです。彼にとっては「かくし芸」のようなものだったのでしょう。
ピアノで曲を弾くことで「楽典」も身についたはずです。だから子どもの頃から作曲を始められました。基礎である「楽典」を理解せずに曲を創れるのは「天才」か「バカ」だけです。もちろんモーツァルト氏は「天才」とされています。しかし「楽典」という基礎がきちんと固まっていたからこそ、モーツァルト氏は子どもながらに作曲できたのです。
「非凡」を発揮したくて突出した部分を作ろうとするのは誰にでもできます。
しかし本当に「非凡」な人は基礎を疎かにしません。
日米通算四千安打のイチロー氏も、日々のたゆまない努力で基礎固めを行なっていました。ウォーミングアップから打撃練習、守備練習もいっさい手を抜きません。基礎がしっかりしているから、振り子打法やレーザービームなどの「非凡」さを発揮できたのです。
世界記録の八六八本塁打を放った王貞治氏は、荒川博氏に師事して和室で真剣をスイングして半紙を切るトレーニングをします。そこから一本足打法が生まれました。その基礎固めで畳が擦り切れてしまうほどだったそうです。
「非凡」は基礎の上にしか生まれません。
非凡な才能の発露
「非凡」な才能は「基礎をいかに自分の感性と合わせるか」で生み出されます。
だから先に基礎固めをしなければなりません。
基礎が固まったら、基礎と自分の感性の違いに気づくのです。
基礎のデッサンを身につけたけど、どうも自分の感性では納得がいかない。だからデッサンをどうアレンジしたら自分の感性に近づくかで工夫するのです。
基礎と感性が合わさったとき、「非凡」な才能が発露します。
特別な才能ではないのです。
「非凡」とは「平凡」ではないということ。「平凡」とは基礎どおりということ。よって「非凡」とは基礎どおりではないということ。
この三段論法によって、「非凡」さを表現できます。
ですが、基礎が固まっていないのに基礎から外れてしまうと、なんの裏打ちもない「奇をてらった」ものしか出来あがりません。
「非凡」と「奇をてらう」はイコールではないのです。
あくまでも「基礎を自分の感性と合わせ」て生み出されたものが「非凡」。やみくもに基礎を否定して好き勝手するのが「奇をてらう」です。
小説賞・新人賞における非凡さ
小説投稿サイトで開催されている「小説賞・新人賞」で賞を獲るには、「非凡」な作品でなければなりません。
しかし現状では「主人公最強」「俺TUEEE」であったり「追放」「ざまぁ」であったりと、画一的で「平凡」な作品に注目が集まりがちです。
これは「平凡」な作品の応募があまりにも多すぎて「非凡」な作品は数作しか応募されないからだと思います。
応募作の百分の一が入賞する確率であるなら、数少ない「非凡」な作品から受賞するのは一作二作あればよいほうです。その他数多ある「平凡」な作品も百分の一なら、賞のほとんどがこちらへ流れます。
受賞作をよく吟味しなければ、「平凡」な作品を書いたほうが受賞確率は高くなると勘違いするでしょう。
応募作の九割が「異世界ファンタジー」なら、入賞も九割は「異世界ファンタジー」となります。だから「異世界ファンタジー」を書けば入賞できると思い込むのです。
「非凡」な作品は基礎固めをしておかないと生まれません。
小説投稿サイトにおける基礎とは「テンプレート」です。
「テンプレート」作品を書けるようになれば、最低限その小説投稿サイトの「平凡」な基礎は固められます。そのうえで「基礎を自分の感性と合わせ」れば、「非凡」な作品に仕上がるのです。
小説投稿サイトで開催されている「小説賞・新人賞」は、まったく新しい「非凡」な作品か、「基礎を自分の感性と合わせ」た「非凡」な作品が獲ります。見た目が同じ「テンプレート」で書いているだけの「平凡」な作品では賞にかすりもしません。
「非凡」さは「あなたの感性」に負う部分が大きい。ですが基礎がしっかりしていなければ「非凡」ではなく「奇をてらう」作品にしかなりません。
読み手や選考さんからは「ちょっと他とは違うな」と思われるでしょうが、「面白い」とまでは思われないのです。
「面白い」作品とは「非凡」な作品です。「平凡」でない作品しか評価されません。
最後に
今回は「非凡は平凡が土台にある」について述べました。
「非凡」な作品しか「小説賞・新人賞」を獲得できません。
しかしその「非凡」がどういうものかわからない。
「非凡」は「基礎をいかに自分の感性に合わせるか」で生まれます。
基礎を疎かにしているようでは、「非凡」さは身につかないのです。
遠回りに思えるでしょうが、「小説賞・新人賞」を獲るために、今一度「基礎」をしっかりと固めましょう。
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