1072.鍛錬篇:この木なんの木

 今回は「具体的に書く」ことについてです。

 単に「木」「城」「村」と書いても、その実体はさまざまです。

 それらを細かく書けばリアリティーをもたらします。





この木なんの木


 東京には街路樹が植わっている。紅葉が落ちると黄色い絨毯のようだ。

 この文を読んで光景がありありと思い浮かぶでしょうか。

 まず無理だと思います。

 それは「街路樹」がなにであるのかを書いていないからです。




この木なんの木

「東京の街路樹」という単語からイチョウの木を連想できるのは、東京都民くらいなものです。

 東京都の木に指定されており、東京都のシンボルマークもイチョウの葉をモチーフにしています。

 東京都民なら「東京の街路樹が紅葉した。」と書くだけでイチョウの黄色い紅葉を思い浮かべるでしょう。しかし読み手は東京都民ばかりではありません。日本全国に読み手はいるのです。北海道民や沖縄県民にも伝わる文を書かなければ、日本人全体が理解する小説なんて書けません。

「東京の街路樹であるイチョウが黄色く色づいた。」と書けばよいのです。


 また「盆栽の鉢が台風で地面に叩きつけられて割れ、松の根本が露わになっていた。」という一文。盆栽に使われている松といえば主に六つあります。

 赤松、エゾ松、カラ松、黒松、五葉松、 錦松です。

 ただ「松」とだけ書いても読み手には伝わりません。「赤松の根本が顕になっていた。」と書けば、知っている方は思い浮かべられますし、知らない方でも「赤松の盆栽」という具体的な情報が手に入ります。


 このように、ただ「木」「松」と書くだけでは不じゅうぶんなのです。

「この木なんの木、気になる木」というフレーズがあります。読み手はまさにこの気持ちです。

「木」が抽象的だとわかる方は多い。しかし「松」が抽象的だとわかる方は少ないのです。「松」と言っても日本で「松」はアカマツ、リュウキュウマツ、ゴヨウマツ、ハイマツ、クロマツ、チョウセンゴヨウの六種が自生しています。

 つまり単に「松」と片付けるわけにはいかないのです。

 ここまで細かくなるとたいていの方が書くのをやめてしまいます。

 ですが、細かく書けるだけの知識がおありなら、必ず詳しく書きましょう。




城と言っても

「異世界」を舞台にした「ファンタジー」小説で、単に「城がある。」と書いてはなりません。

 現実世界を見ても、日本のように城壁の外に街ができる「城下町」のものと、城壁の中に街が存在する中国や西洋の城があります。もちろん中国と西洋とでは、城の構造自体が異なりますので、そこでも差が生じます。

 それを単に「城がある。」と書いてしまうと、日本式なのか中国式なのか西洋式なのかがさっぱりわかりません。

 中世ヨーロッパを模した「剣と魔法のファンタジー」としての「異世界」だから、西洋式に決まっているじゃないか。という意見もあるでしょう。

 しかし西洋式だとは、文章のどこにも書かれていないのです。

 書かれていないものを読み手に察させる作業はさせないでください。それでは書き手の責任放棄と言えます。

 書き手は「どんな城なのか」に文字を費やすべきです。けっして「剣と魔法のファンタジー」の「異世界」だから「城」と言えば西洋式だ、なんていう連想ゲームはやめましょう。

 西洋式ならそれをきちんと書くべきです。

 石造りの主城の外に街が広がり、それを城壁で囲っている。城壁の外にはほりが巡らせてある。

 そういう説明を尽くしましょう。

 あなたの作品なのですから、「剣と魔法のファンタジー」で日本式の城郭があってもよい。そういう世界観を創りたいという意志があるのなら、ぜひ挑戦するべきです。

 木造の城を、木製の柵で囲んだ弥生時代の城でもかまいません。

 すべて「城がある。」という一文だけで済ませようとするから、説明不足を招くのです。

 城郭だけでも木造、土造り、モルタル造り、石造り、鉄筋コンクリート造り、金属造りなど、あらゆる素材が考えられます。

 あなたの「異世界」では、いったいどんな「城」なのでしょうか。




村と言っても

「城がある。」と同じようなものに「村にいる。」があります。

 このような一文だけで「村」を書こうとしてしまいがちです。

 しかし「城」が多様であるように「村」も多様。ひとつとして同じ「村」は存在しません。

 平地にある村、森の中にある村、丘の上にある村、山の上にある村など、どこに存在するかだけでも異なります。

 また村の北にはなにがあるのか。平原や森林や山や丘や峡谷や河川や海など、さまざまな地形が考えられます。北にはどんな村や町があるのか、首都からどれだけ離れているのかなど国の中での位置関係も気になりませんか。

 それらを無視して単に「村にいる。」と書かれても、読み手はなにも想像できないのです。

 現代日本は野獣がめったに出ません。現れたらニュースになるくらいです。しかし後進国の多くは今でも野獣が町や村へ現れます。

「異世界」の「剣と魔法のファンタジー」であっても、野獣や魔物がまったく現れない町や村や都市など考えられるでしょうか。

「剣と魔法のファンタジー」であれば、主人公は魔物と戦うのが本筋ですよね。であれば、日常的に町や村へ野獣や魔物が現れないはずもありません。現れないとすれば、主人公はなぜ魔王を倒そうとするのでしょうか。

 人間とは隔絶された土地で魔物が暮らしていたとして、それを滅ぼさなければならない理由はなんですか。人間に害がないのであれば、危険を冒してまで滅ぼす必要などありません。

 こういった問題を完全にすっ飛ばして「村にいる。」だけでは駄目なのです。


 ライトノベル原作アニメのあるあるネタに「どの作品も、すべて同じ形の都市」というものがあります。あの作品とこの作品でまったく同じ形の都市の絵が使われているのです。なぜこんなことが起こるのでしょうか。

 どういった城や村や都市かという説明が本文に書かれていない。だからアニメ製作会社は使い回してしまうのです。何万人が暮らす都市なのか、どのような職工ギルドがあるのか、主城があるのかなど、書かなければならない情報はたくさんあります。都市の中に川が流れているのであればそう書くべきですし、スラム街があるのならそれも書かなければなりません。そうすれば他の作品で使われている都市の絵を再利用されないのです。





最後に

 今回は「この木なんの木」について述べました。

 単に「木に登って果実をとった。」と書くのではなく、「木に登ってリンゴをとった。」とすればリンゴの木であることは言わずもがなです。これを「リンゴの木に登って紅玉をとった。」とすれば、リンゴの中でも「紅玉」という品種であることが伝えられます。

 このように細かく詳しく書くことで、物語にリアリティーが生まれるのです。

 どんな城なのか、村なのか。そういったこともじゅうぶんに書き分けなければなりません。単に「城がある。」「村にいる。」と書いては、読み手へなにも伝えられないのです。

 書き手はそこまで頭を回しましょう。



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