1074.鍛錬篇:書斎を飛び出そう

 今回は「書く場所」についてです。

 場所を変えれば見えなかったものも見えてきます。

 そこになにがあるのか、どう扱えばよいのか、どう見えるのか。

 それを書いて読み手に「追体験」させるのが小説という娯楽です。





書斎を飛び出そう


 小説を書くとき、いつも書斎や自室に籠もっていませんか。

 ときには書く場所を変えてみてください。

 そこから新しい表現やひらめきを得られますよ。




料理シーンは台所で、食事シーンは食卓で

 これはイメージしやすいと思います。

 料理シーンを書くときは、調理器具が揃っている台所にいれば足りないものがすぐにわかります。

 作り方を詳しく書けないのなら、実際に作ってみればよいのです。そうすれば、作り方を詳しく書けます。

 たとえばスクランブルエッグを作るとします。使うのはフライパンに油に卵のみ。至極単純です。フライパンを火にかけて油を敷いて卵がくっつかないようにします。フライパンは熱しすぎると卵がすぐに固まったり焦げたりしてしまうので、全体が熱くなったらフライパンをいったん濡らした布巾の上に置いて温度を少し下げます。すぐにフライパンをまた火にかけて溶いた卵をフライパンに入れてすぐかき混ぜます。ここで素早くかき混ぜれば空気を含んでふわふわのスクランブルエッグになるのです。

 こんな単純なことでも、実際に作りながら書くのと、記憶だけで書くのとではリアリティーに雲泥の差が生じます。

 いったん濡らした布巾の上に置くことで、フライパンの熱を均一にできるのです。この一手間をかけることで、よりおいしいスクランブルエッグが作れます。


 作った料理を食べるシーンを書くなら、どんな料理をどのような手順で食べるのか。実際に食べれば漏らさず書けるのです。

 だから食事シーンは食卓で書きましょう。

 フランス料理のテーブルマナーを知るには、フランス料理店に行くのです。実際に食べ方を教わらないかぎり、正しいテーブルマナーは書けません。

 たとえばナイフとフォークはテーブルに置かれている外側から順に使います。これはWeb検索ですぐにわかるのです。しかし「フィンガーボウル」の水を飲んでしまう人はまだまだ多い。そもそも「フィンガーボウル」という名前すら知らない方もいらっしゃいます。名前を知らなければWeb検索すらできません。

 これも実際にフランス料理店に行ってウェイターさんにでも聞けば教えてくれます。

 だから食べるシーンを書くのなら、実際に食べるのが最も確実な方法です。




剣術を書きたければ道場に通え

「剣と魔法のファンタジー」といえば剣術が外せません。

 剣術を想像だけで書くと、到底できっこない技を書いてしまうものです。

 マンガの和月伸宏氏『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』で主人公が用いる「飛天御剣流」は架空の剣術流派です。その技は再現不可能なものばかり。そもそも逆刃刀を使って龍昇閃をすれば、自分の手を切るはずです。この技は本来刀の峰に左手を添えて斬り上げる技ですから、逆刃刀を用いると左手は刃を手で掴むようなもの。切れないはずがありません。

 そもそも「逆刃刀で人は斬れない」と言っていること自体がありえません。それなら松平健氏主演『暴れん坊将軍』の徳田新之助(徳川吉宗)はどうなるのでしょうか。刀を返して敵を峰打ちしていきますよね。あれが可能であれば、逆刃刀で人は斬れるはずです。

 剣術に凝ろうと思えば、体験入学でもよいので剣術道場へ取材に行きましょう。

 刀の持ち方や歩き方、目の配らせ方、体のさばき方の基本を習うだけでも、じゅうぶん戦闘描写にリアリティーを持たせられます。

 想像だけで剣術を書こうとするから「ファンタジー」といえど「絵空事」になってしまうのです。少しでも体を動かしてみて、実際にどう動けるのかを確認すれば、リアリティーは必ず生まれます。

「剣と魔法のファンタジー」で魔法を書きたいからと言っても、魔法を教えてくれる人など存在しません。この場合はすべて想像で書くしかなく、リアリティーは追求できないのです。しかし魔法そのものが「フィクション」ですから、リアリティーよりも「らしさ」さえ表現できればじゅうぶん。このあたりが、現実に存在する剣術と異なります。

 現実に存在する剣術はじゅうぶん取材・体験し、存在しない魔法は「らしさ」を表現する。

 これができていれば、読み手は自然とあなたの「剣と魔法のファンタジー」に入り込んでくれます。




格闘技はそれぞれの競技のファンになる

 では格闘技はどうでしょうか。

 格闘技と言っても種類がたいへん多い。

 ボクシング、アマチュアレスリング、プロレスリング、空手、合気道、柔道、柔術、カポエラ、マーシャル・アーツなどさまざまです。最近理事長が話題になったテコンドーもありますね。

 これらを作品に出したい場合は、それぞれの競技ごとに取材するべきです。

 中には日本で取材できないものもあります。カポエラは母国ブラジルにでも行かないとなかなか体験できません。日本でカポエラ道場は数少ないですからね。

 取材することで、どんな構え方や技があるのかわかります。その競技に存在しない技を書いてしまうことがなくなります。

 この煩雑さのため「実在しない格闘技」を登場させる書き手が多いのです。

 しかし格闘技はファンが多いため、技の種類やかけ方を雑誌やテレビ中継などで仕入れられます。

 ボクシングファンなら、ジャブ、ストレート、フック、アッパーといったパンチの種類やダッキング、ウィービングといった避け方を知っているものです。

 だからボクシングのファンであれば、ボクシングを作中に出しても違和感を与えません。

 他の格闘技にも熱心なファンは存在します。プロレスは技の種類も多いですが、ファンであればかなりの技を憶えているものです。だからプロレスバトルを違和感なく書けます。

 その格闘技のファンかどうかは、書かれた技を読めばすぐにわかるのです。

 流れるようなコンビネーションを読めば、「この書き手はボクシングのファンだな」とすぐに見破れます。

 剣術と同じで、体験するのが一番です。しかし格闘技はテレビ中継や専門雑誌が多いため、ファンになれば憶えられるものも多い。

 だから柔道について書きたければ、柔道場へ通うほかに、テレビ中継や専門雑誌に触れて情報を集めましょう。どんな理屈で相手を投げ飛ばしているのか、関節を極めているのかを知れば、柔道バトルが書けるのです。

「実在しない格闘技」を主人公にやらせた小説は意外に多い。

 とくに有名なのがサー・アーサー・コナン・ドイル氏『シャーロック・ホームズの冒険』の主人公ホームズが用いる日本武術「バリツ(baritsu)」です。一般的に「柔道」だろうと言われていますが諸説あります。ホームズは抜群の推理力に加え、抜群の「バリツ」使いなのです。まさに「主人公最強」。推理で追い詰めた相手が腕力で抵抗してきても素早く制圧できます。

「実在しない格闘技」でも、ある程度説得力を持たせる必要があるのです。『シャーロック・ホームズの冒険』では、「バリツ」という神秘的な格闘技を用いることでホームズの魅力をさらに高められました。

「主人公最強」がウケるのは『シャーロック・ホームズの冒険』を見ても明らかです。




空間認識能力は器械体操かトランポリンで身につける

 主人公が抜群の身のこなしで難を切り抜ける小説も多いですね。

 たとえば床の「三回宙返り」や鉄棒の「三回宙返り下り」という技があります。

 この技自体はロサンゼルス・オリンピックの頃からありましたが、現在ではほとんど実施されません。

 これは「伸身二回宙返り二回ひねり」のほうが難易度が高いとされているからです。しかし実施の難易度としては「三回宙返り」のほうが断然難しい。ひねりを加えるのがそれほど難しくないのは「ひねり王子」である白井健三選手を見ればわかります。それに比べて宙返りを一回増やすほうが格段に難しいのです。よほど回転が速くないと、三回も宙返りできません。

 同じように難度は高いのに難易度が低く見られる技があります。

 鉄棒の「ゲイロード」という技は「棒上前方二回宙返り懸垂」ですが、実施はとても難しいのです。しかし「棒上後方二回宙返り懸垂」である「コバチ」という技よりも難易度は低くなっています。実施してみればわかるのですが、「ゲイロード」は頭から落ちながら感覚だけでバーをつかみにいかなければならないためとても難しい。対して「コバチ」は足から落ちながら長い間バーを見てつかみにいけます。実は「ゲイロード」よりも実施は容易なのです。ですがなぜか「コバチ」のほうが難易度は高い。なぜかというと「発表された順番」。「コバチ」より「ゲイロード」のほうが早くに実施されたからです。

 同じ理屈が平行棒にもあります。

「モリスエ」「ベーレ」という技があります。「棒上二回宙返り腕支持」という点では同じなのですが、「モリスエ」は肩を軸にして宙返りを行ないます。「ベーレ」は手首を軸にして体全体をスイングさせて宙返りを行なうため、「モリスエ」よりも回転力がつけやすいのです。それでも「モリスエ」は「ベーレ」よりも難易度は下。こちらも「発表された順番」で決められています。

 主人公の空間認識能力が高い小説を書きたいなら、器械体操やトランポリンなどで宙返りの感覚を身につけるとよいでしょう。

 あの視界がぐるりと変わる光景を直接体験すれば、「主人公にはこう見えています」というのが書けます。そういう描写を読めば、運動のできない読み手でも追体験できるのです。




あたかも経験したかのように

 よい小説は、「経験のない人に、あたかも経験したかのような感覚を与え」ます。

 そのためには、実際に経験してみて気づいたものをそのまま文章として書けるかどうかです。それを「文才」と呼びます。

 読み手に「追体験」してもらうには、どんな心境なのか、どんな見え方なのか、どんな体さばきなのかといった情報を余さず適切に書くテクニックが必要です。

「文才」とは「追体験を誘うテクニック」のことだと思ってください。

「剣と魔法のファンタジー」で、剣を持って戦ったことのない人に剣でドラゴンと戦う体験を与えられるかどうか。現実には存在しない魔法を使うときの感覚を与えられるかどうか。

 単に「剣を振り下ろした」とか「爆炎魔法を放った」とか書いてしまうと、読み手に「追体験」してもらえません。だから作品の惹きが弱くなるのです。

 どのくらいの重さの剣を、体の反動を利用して振り下ろしたのか。どのくらいの熱気を感じながら爆炎魔法を放てるのか。

 そういったものを細かく詳しく具体的に書けるかどうか。

 それがリアリティーを生むのです。





最後に

 今回は「書斎を飛び出そう」について述べました。

「神は細部に宿る」と言います。

 物事や動作を細部まで記憶している方はまずいません。だから実際に眺めてみて、動いてみて初めて気づくことが多いのです。

 その場面を書こうとして「書くことがない」「書けない」と悩むくらいなら、まず動きましょう。

 その場所へ行き、実際に目で見て体を動かしてみます。

 そうすれば書くべきものがわかるでしょう。



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