1068.鍛錬篇:今どこにいますか

 今回は「場所」を書くことについてです。

 ライトノベルは「キャラクター小説」とも呼ばれますから、どうしても人物描写に偏りがちです。

 偏るだけならまだよいのですが、「場所」がまったく書かれていない場合が多い。





今どこにいますか


 小説を書くとき、主人公のことばかり書いてしまいがちです。

 たとえばどんな親に育てられたのかやどんな幼稚園保育園に通っていたか。

 これらの情報が物語でたいせつな役割を持っているのなら、積極的に書くべきです。

 もし物語でさして意味をなさない情報なら書く必要はありません。むしろ書かないほうがよいくらいです。

 それよりも「場所」の情報を増やしてください。

 小説投稿サイトには「場所」の情報量が少ない作品ばかりです。





学校はどこにありますか

 小説投稿サイトに掲載されている作品では、「主人公が今どこにいるのか」が疎かになっている作品ばかりです。

 単に「学校に行くとすでに朝礼が始まっていた。」と書いてしまいがちです。しかも「どんな学校か」や「どこにある学校か」といった情報が欠落しています。

 本来ならすぐにでも「どこにあるのか」「どんな学校なのか」を追記するべきです。

 しかし小説を書き慣れていないと、読み手にどういう学校かを理解させる必要性が感じられないのでしょうか。

 とくにライトノベルは「キャラクター小説」とも呼ばれますから、主人公や「対になる存在」やサブキャラクターの情報はふんだんに書き込まれます。

 その割に「主人公がどこにいるのか」が書かれていません。

 先ほどの「学校に行く」場合、その学校は自宅からどれだけ離れているのかを考えなければなりません。最寄り駅からの距離も重要ですね。距離によって徒歩、自転車、バス、電車と通学に用いる手段が異なります。

 ではその学校の周囲はどんな環境でしょうか。緑豊かなのか高層ビルに囲まれているのか。川のほとりかもしれませんし、山村のど真ん中かもしれません。山の頂上にあるかもしれません。もしかしたら海の中なんてことも。

 学校を取り巻く環境について書いていない場合は、学校が天空や海溝にあっても不思議ではないのです。だからきちんと環境を書かなければなりません。

 書き手としては、自分の住む地域にある学校を舞台にすることが多いと思います。

 しかし読み手はあなたの住む地域の環境について知るよしもありません。だから「どこにある学校なのか」が読み手にさっぱり伝わらないのです。


 小説の書き手は全人口で一定割合いると仮定すれば、その十分の一は東京都に住んでいます。だから東京都に住んでいる書き手は、他道府県にある学校のことがわかりません。

 そして東京都に住む書き手の小説では、多くは都市部にある学校しか出てこないものです。

 もちろん「東京都」と言ってもさまざまあります。千代田区・港区のような都心、奥多摩町のような山深い僻地、小笠原諸島のような離島。すべてが「東京都」なのです。

「東京都」の書き手では、二十三区に住んでいれば「社会と密接に結びついている学校」を思い描いていますよね。区外であれば「学校を中心にした社会」いわゆる「学園都市」を思い浮かべているかもしれません。

 鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』のような「学園都市」も、大都市部に住む方の発想としては奇抜でも、市街地に住む方の発想としてはありふれています。

 読み手の比率も書き手同様に全人口で一定割合いると仮定すれば、その十分の一は東京都に住んでいます。中でも二十三区の大都市部に住んでいる方が多いので、『とある魔術の禁書目録』の学園都市は斬新に見えたのです。

 賀東招二氏『フルメタル・パニック!』の舞台は東京都調布市です。ここは二十三区の西端にある世田谷区に隣接しています。主人公の相良宗介や千鳥かなめが通っている「陣代高校(現実には東京都立神代高等学校)」のある仙川駅周辺には、他にも「桐朋学園大学」「白百合女子大学」と女子高校や大学が多い「学園都市」です。

 作者の賀東招二氏が「神代高校」と縁があるのか、取材した結果「学園都市」として調布市仙川が適当だろうと判断したのかはわかりかねます。しかし結果として「陣代高校」は「学園都市」にある印象が強くなったのです。学校や市街地で銃撃戦や爆発などが日常的に起こるような「不思議な空間」であると読み手に認知されました。

 

『フルメタル・パニック!』のように、現実にある都市を舞台にすると「取材」できる利点があります。学校の周り、最寄り駅の周りになにがあるのか。高校にいちばん近いバス停はどこか。通学区はどこまでの範囲に及ぶのか。他の学校が近くにあるのか。商店街にはどんなお店があって、交番・派出所はどこにあるのか。

 それだけでなく、高校の一学年に何名の生徒がいるのか。クラス分けはA組・B組・C組式なのか、1組・2組・3組式なのか。何階にどの学年の教室があるのか。職員室は二階のどこにあるのか。用務員室や事務室はどこにあるのか。給食室はどこにあるのか。校庭の広さや植木はどうなっているか。体育館やプールの広さや設備はどうなっているのか。などなど。

 これらすべてが「取材」するだけで手に入るのです。

 架空の学校を舞台にする場合は、これらのことをすべて書き手が作り上げなければなりません。

 周囲の環境から学校内の決まりごとまで、すべてを規定するのです。


 この煩雑さがあるために「現代ファンタジー」「現実世界恋愛」「青春」といったジャンルは「異世界」よりも書き手や作品が少なくなります。

「異世界」なら現実世界の整合性を考える必要がありませんからね。




地図を作る

 しかし「異世界」だとしても、どこになにがあるのかは明確に規定されなければなりません。

 少なくとも「地図」は作りましょう。

 王都は大陸や島嶼のどこに存在するのか。王都以外の都市や町村はどこに存在するのか。都市や町村を結ぶ交易路はどのように張り巡らされているのか。どこに河川が流れているのか。海は近いのか。山や丘などの地形はどうなっているのか。

 少なくともそういったものを決めておかなければ、舞台が「異世界」である必然性がないのです。

 単に「王都がありました」「教会がありました」「公衆浴場がありました」とだけ書いても、どこにどのような形で存在するのかは、読み手にまったく伝わりません。

 木々などの緑がどこにあるのかを知らせなければ、植物のない無機質な大都市が舞台ということになります。それでよければ緑について書かなくてもよいかというと、そうでもありません。

「緑がない」ことを書かなければ、読み手は自身にとって「標準的な大都市」をそれぞれ思い描いてしまい、共通理解は得られないのです。

 そういった食い違いを生じさせないために、「地図」を作りましょう。

 どこになにがあるのか。カーナビやスマホがなかった時代は紙の「地図」、カーナビやスマホの時代では電子「地図」で、目的地を探していました。

 そう。どんなに便利な現代でも、目的地を探す最適解は「地図」なのです。

 どの「地図」でも緑地帯は書かれています。森林や並木通りがあるのは「地図」さえあれば書き落としません。

「書かない」のか「書いていない」のか。

 これは多くの書き手が犯してしまう過ちです。

 読み手は「あえて書かなかったのかな」と考えて、思い思いに映像化を試みます。

 しかし実際には「書いていなかった」が多いのです。

「書いていない」を極力なくして、映像化に必要な情報をすべて書き出すつもりでいてください。

 とくに小説を書き始めた頃は、書きすぎてもかまいません。「書いていない」よりも「書きすぎている」くらいのほうがちょうどよいのです。





最後に

 今回は「今どこにいますか」について述べました。

 実在する都市を舞台にするときは、その場所を取材して食い違わないようにしましょう。

 存在しない都市を舞台にするときは「地図」を必ず作ってください。

 小説投稿サイトの掲載作品は多くが「場所」について詳しく「書いていない」のです。想像する余地とも言えますが、単に「書いていない」だけ。

 読み手には手抜きかどうかすぐにわかります。

 もしあなたの作品がブックマークは少なく評価も低ければ、おそらく「書いていない」のです。

 読み手が欲する情報を余さず提供しているか確認しましょう。



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