1064.鍛錬篇:無反応に慣れる(毎日連載1000日目)

 今回は「誰も反応してくれない」ことについてです。

 今日で『ピクシブ文芸』様からの通算連続日数が1,000日となりました。

 1,001日目からは、ネタがあったら都度投稿していくスタイルを採用する予定です。

 コラムを読んでわからない点や聞きたい点があれば、コメントを頂ければ【回答】【補記】などでお答え致します。

 今はまだ書きたいことがあるので、当面は毎日連載が続くとは思います。書くことが尽きたらご報告してスタイルを変更する予定です。そうなったらその旨はサブタイトルでも書いておきます。

 以後も皆様のお役に立てるコラムとなるよう精進し、同時に連載小説の準備も進めていきたいですね。





無反応に慣れる


 小説投稿サイトに新作を掲載したものの、いっこうに閲覧数が増えない、ブックマークされない、評価されない事態は必ず起きます。とくにそのサイトを利用し始めたときにこのような事態が発生しやすいのです。

 どうすればこの危機を脱せられるのか。

 悶々とした日々に終わりは来るのでしょうか。




無反応で当たり前と認識する

「あなたの素の思考」を「紙のノート」に消せない筆記具で書き出すトレーニングは、なにより「時間をかけて書いてたものでも誰からも評価されない」事態に慣れる効果があります。

 あなたの本心を誰かに知られてもよいのであれば、小説投稿サイトやブログなどに掲載してもよいでしょう。しかし、おおかたの人は「己の素の思考」は誰の目にも触れさせたくないはずです。ひとりこっそりと書いては積み上げるの繰り返し。

 もしあなたが小説投稿サイトへ小説を掲載し始めても、それはまだ「あなたの素の思考」の一部をチラ見せした程度です。そんなレベルのものが誰かから高く評価されるなんてありえない。

 そうわかっていれば、時間をかけて執筆した小説に無反応であっても、納得がいくはずです。納得できない方は、もう少し「あなたの素の思考」を「紙のノート」へ書き出してください。

「無反応で当たり前」という境地にまで達しなければ、平常心で小説を毎日連載できません。平常心を保てる方だけが、小説を毎日書き続けられるのです。




ムラをなくす

 気持ちにムラのある方は、あるとき時間を忘れて何万字も書き連ね、あるときまったく書く気が湧かない。これで毎日連載が続くはずもないのです。

 ムラのある方は、基礎鍛錬である「あなたの素の思考」を「紙のノート」にひたすら書き出してください。

 毎日一定の分量で書けるようになれば、ムラっけもかなり改善できます。

 私も元々ムラのあるほうでした。でも本コラムを約千日毎日連載してきたので、かなりムラがなくなりました。

 ムラっけはいくらでも改められるのです。

 気持ちにムラがあると、どうしても「気持ちの乗ったときに一気に書いて燃え尽きて」しまいます。とくに一週間で一日しか執筆しない方は、一週間ぶんの分量を一気書きしてストックしなければならないため「燃え尽き症候群」を起こしやすいのです。

 一度「燃え尽きて」しまうと、もう一度やる気が湧いてくるまでに時間がかかります。もちろん以前お話したように、やる気がなくても取り組み始めれば次第にやる気は湧いてくるのです。それでも「燃え尽きて」しまうと「取り組もう」とすら考えなくなります。

 気持ちのムラは「燃え尽き」を生む。

 理解していればいくらでも回避できます。

 一気にドカンとやろうとするから「燃え尽き」るのです。

 毎日コツコツ積み上げていけば、結果として多くの文字数が書けます。

 気持ちにムラのある方は、まずムラっけを取り除きましょう。





多幸感を求めない

 少ない確率を当てたとき、人は射倖心しゃこうしんを煽られます。

 パチンコや競馬や宝くじなどが栄えるのも、射倖心の現われです。

 カジノを含む「統合型リゾート(IR)整備推進法案」が可決され、近々日本にも公営カジノが開設されます。パチンコや競馬以上に射倖心を煽られるカジノの登場で、カジノ依存症の方が増えると想定されているのです。

 実は小説投稿サイトでブックマークや評価を期待する気持ちそのものが射倖心なのです。

 今回はブックマークがいくつ付くかな。評価は何点もらえるかな。

 そう期待して投稿するわけですから、その結果は期待より多いか少ないかに分かれます。

 多ければ大当たりと同じでとても気持ちがよい。多幸感を味わえます。

 少なければハズレを引き続けるのと同様で惨めな気持ちになるのです。

 これってパチンコや競馬や宝くじと同じですよね。

 だから多幸感を求めてはならないのです。多幸感を求めると射倖心が煽られてしまいます。

 毎回ワクワク・ハラハラ・ドキドキは味わえますが、結果は満足と惨敗に二分されるのです。

 多幸感が味わいたくて小説を書いてはなりません。

 多幸感を味わうべきなのは読み手でなければならないからです。

 書き手は娯楽を読み手に提供する義務があります。

 そう義務なのです。

 読み手の貴重な時間を費やさせるのですから、読み手が読んで「面白い」と感じてくれなければ、そもそも小説を読ませる理由にすらなりません。

 書き手が「書いて満足する」だけでは駄目なのです。

 書き手は多幸感を求めない。

 読み手から「面白かったです」「楽しめました」「興味深かったです」と感想がつくような作品をこそ書くべきなのです。


 一九八〇年代の集英社『週刊少年ジャンプ』が六百五十万部超も売れたのは、読み手が「面白い」「楽しい」「興味深い」と感じた作品が多かったからでしょう。

 あの時代は「マンガ家」が職業として認知された時期です。手塚治虫氏が切り拓いた「マンガ家」という職業は赤塚不二夫氏、藤子不二雄(藤子・F・不二雄氏&藤子不二雄A氏)、石ノ森章太郎氏、松本零士氏などに広がり、さらにそのフォロワーが次々と新しいジャンルを切り拓いていきました。そのひとつの結実こそが当時の『週刊少年ジャンプ』だったのです。

 ゆでたまご『キン肉マン』、新沢基栄氏『ハイスクール!奇面組』、高橋陽一氏『キャプテン翼』、武論尊氏&原哲夫氏『北斗の拳』、桂正和氏『ウイングマン』、鳥山明氏『DRAGON BALL』、まつもと泉氏『きまぐれオレンジ☆ロード』、北条司氏『CITY HUNTER』、宮下あきら氏『魁!!男塾』、車田正美氏『聖闘士星矢』、今泉伸二氏『空のキャンバス』、荒木飛呂彦氏『ジョジョの奇妙な冒険』、萩原一至氏『BASTARD!! ―暗黒の破壊神―』、江川達也氏『まじかる☆タルるートくん』、徳弘正也氏『ジャングルの王者ターちゃん』、三条陸氏&稲田浩司氏&堀井雄二氏『DRAGON QUEST ―ダイの大冒険―』etc...

 これらが一九八〇年代『ジャンプ』を牽引した作品たちです。もちろん取りこぼしもありますが、だいたいはこんな感じでした。

 いずれも読み手が楽しめた作品ばかり。書き手自身も楽しんで描いていたでしょうが、担当編集さんは基本的に「読み手目線」でネームを検討します。

 マンガの週刊連載は、書き手が描きたいものを描くのが基本です。そのうえで「読み手目線」も取り入れて展開を考える必要がありました。ここで鍵を握るのが「読み手目線」です。

『DRAGON BALL』が天下一武道会編に突入してから、一気に『ジャンプ』で一番人気の作品となります。主人公・孫悟空とライバルたちとのトーナメント戦が読み手にウケたのです。

 これにより多くの作品が「天下一武道会」方式を採用し始めました。今回例示した作品では『魁!!男塾』『ジャングルの王者ターちゃん』がそのあおりを受けたのです。

 一九九〇年からの連載ですが、冨樫義博氏『幽☆遊☆白書』にも影響を与えました。

「天下一武道会」方式には賛否様々ありましたが、導入した作品が軒並み高評価を得ていきましたから、一定の効果はあったようです。

 一方で書き手が描きたかった本筋をねじ曲げてまで「天下一武道会」方式を導入してしまったがために、作品があらぬ方向へ展開して収拾のつかなくなった作品が多かった。

『魁!!男塾』『ジャングルの王者ターちゃん』『幽☆遊☆白書』はいずれも当初の設定から遠く離れた着地点で終了しています。また当の『DRAGON BALL』ですら、マジックアイテム「ドラゴンボール」の存在意義が希薄になるなど、あらぬ方向へ展開してしまったのです。

 元からバトルマンガだった『キン肉マン』『聖闘士星矢』は『DRAGON BALL』以前からトーナメント戦をしていたため、それほど影響されませんでした。


 往年の『ジャンプ』からわかることは、「読み手目線」で「楽しめる」作品が、必ずしも書き手も「楽しめる」とは限らないことです。

 書き手には書き手なりの「企画書」「あらすじ」を創っていたはず。それが担当編集さんの「読み手目線」でねじ曲げられます。連載を続けるためには「読み手目線」を取り入れるしかなかったのです。

 そのため自分が描きたいように描ける場を求めて、青年誌『ヤングジャンプ』や月刊誌『月刊少年ジャンプ』や季刊誌へと移籍していった書き手が多く現われました。


 多幸感を求めると、担当編集さんに「書かせられる」状況をとても嫌います。書いていて楽しくないからです。

 やはり連載は書き手が楽しめなければ駄目だ。

 そう考えているのなら、流行りは追わないことです。

 流行りを追いながら「自分の好きなように書けない」は言語道断。やっていることと言っていることに開きがあります。

 多幸感を求めず、誰にも認められなくてもよいから自分の好きなように書く。

 少なくとも、小説修行中の方はそういうスタンスでなければなりません。

 修行中に流行りを追って書いてしまうと、自分の好きな物語は書けなくなります。

 多くの読み手から評価されたい。認められて多幸感を味わいたい。

 それは小説が自在に書けるようになってから追い求めるべきです。

 そこまで到達していない方は、流行りを追うべきでなく、多幸感を求めるべきでもありません。

 物事には順序があります。

 筆力がないのに流行りを追いかけ、たまさか好評を得て「紙の書籍」化してしまうこともあります。その場合、担当編集さんから駄目出しの嵐を見舞われて「紙の書籍」化の作業が苦になるのです。

 流行りを追いかけたければ、まず筆力を高めましょう。

 そのためにも、あなたが書ける、あなたにしか書けない物語をたくさん執筆するべきなのです。

 けっして誰かから認められたいという承認欲求を満たして多幸感を味わおうとしてはなりません。




無反応に慣れる

 多幸感を求めないためには、まず読み手の無反応に慣れましょう。

 せっかく苦労して書いたのだから、誰かから認められたい。

 物語の作り手はとくにそう思うものです。

 しかし筆力もないのに承認欲求を満たそうとすれば、どうしても背伸びして書かなければなりません。たとえ「紙の書籍」化しても、連載は長続きしないでしょう。

 それこそ、筆力が身につくまで担当編集さんから駄目出しを食らい続けます。

 これから小説投稿サイトで活躍しようと考えているのなら「無反応に慣れ」ましょう。

 たとえ今「無反応」でも、話の筋がしっかりしていれば、いつか必ず再評価されるときがやってきます。

 だから「無反応に慣れる」のはとても重要です。

 そのために「紙のノート」に消せない筆記具で「あなたの素の思考」を書き出すトレーニングを積む必要があります。

 いくら時間をかけても、誰も評価してくれないものを書く。

 その経験を積めば、小説投稿サイトでいきなり流行りを追おうとはしなくなります。

 将来のためにコツコツと「あなたの素の思考」を書き出すトレーニングに勤しんでください。それが将来の飛躍に寄与します。





最後に

 今回は「無反応に慣れる」ことについて述べました。

 毎日連載一〇〇〇日目に掲載するコラムにこれを選びました。

「流行りを追う」こと自体は悪くありません。ただし、筆力もないのに「流行りを追う」と世間の要求に応えられるだけの作品は書けないのです。

 一度読み手を失望させてしまうと、挽回するのはとても難しい。

 小説投稿サイトを利用する前から「無反応に慣れる」ようトレーニングを続けましょう。

 小説投稿サイトには、誰にも評価されないけど、読めば必ず評価したくなるような作品が時々刻々、人知れず投稿されています。

 それに気づかせようと悪あがきするのではなく、「無反応に慣れて」ください。

 今の「無反応」は将来の「豊漁」につながります。

 サンマのように、今中国や韓国などで人気があるからと言って濫獲していると、いずれ資源が枯渇して欲しいときに釣れなくなるのです。

 小説投稿サイトは修業の場です。いずれそこで開催される「小説賞・新人賞」へ応募するための足がかりにすぎません。

 修行中は「無反応」で当たり前。むしろ「あなたの素の思考」を「紙のノート」へ書き出すトレーニングをしている今のうちから「無反応に慣れる」べきです。

「無反応」は怖くありません。それが当たり前だと思いましょう。

 読み手が反応してくれるのは「小説賞・新人賞」で佳作以上の賞を獲ってからです。



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