1063.鍛錬篇:作品と書き手はまったく別
ときとして、読み手は作品を読んで書き手の嗜好を認識します。
ヒロイックファンタジーを読めば、書き手の英雄願望が透けて見える方がいるのです。
しかし、その考え方は誤りでもあります。
作品とは、書き手の願望ではなく、読み手を楽しませるためのものだからです。
書き手は読み手を喜ばせるためならなんでもします。
己の嗜好なんてちっぽけなものを超越しているのです。
作品と書き手はまったく別
小説を書こうとするとき、つい「こんな作品を書いて、もし自分がこんな人間に見られたらどうしよう」と戸惑う方がけっこういます。
確かに多くの読み手は、小説の内容から書き手の嗜好へ想いを馳せるものです。
しかし、作品と書き手はまったく別のもの。
作品と書き手はリンクしない
もし作品と書き手がリンクしていたら、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『エロマンガ先生』の伏見つかさ氏は「妹萌え」ですし、『フルメタル・パニック!』の賀東招二氏は靴箱を爆破する「戦争ボケ」ということになってしまいます。
しかし伏見つかさ氏は「妹萌え」かというと判断に困るのです。意外かもしれませんが、伏見つかさ氏の処女作は「妹萌え」作品ではありません。
また賀東招二氏が実際の戦場で育ち「戦争ボケ」をしているわけでもないのです。
でも多くの読み手にとって、伏見つかさ氏は「妹萌え」ですし、賀東招二氏は「戦争ボケ」だと見なされてしまいます。
賀東招二氏はライトSFアクション『フルメタル・パニック!』の次にテーマパークの経営ものである『甘城ブリリアントパーク』を書いています。2011年に刊行予定でしたが、実際に刊行されたのは2013年2月です。これはジャンルの違いに構想がうまく作れなかったからではないでしょうか。『フルメタル・パニック!』の愛読者にとって、賀東招二氏はロボットが活躍するライトSFアクションライトノベルの書き手でしかありません。それがテーマパークの経営ものへと転身するのです。かなり質の高い作品が書けなければ、多くのファンが離れていくかもしれません。それを考慮すると、刊行が2年後れたのはファンが持つ『フルメタル・パニック!』の白熱したロボットバトルアクション描写を薄めたかったからという側面もあったと思います。ミリタリー色の強いアクションものはいつでも書けるから、違った作風にも挑戦したい。そう考えても無理からぬことです。
『フルメタル・パニック!』の連載と並行して推理小説・警察小説の側面を持つ『ドラグネット・ミラージュ』の執筆を開始します。のちに出版社レーベルを移籍して『コップクラフト DRAGNET MIRAGE RELOADED』として刊行されます。こちらはつい最近アニメ化されたので記憶に新しいところです。
『フルメタル・パニック!』『コップクラフト』のあと、アクションのない『甘城ブリリアントパーク』を構想したのは、作風の固定化を避けたいという思惑が働いたのでしょう。
『フルメタル・パニック!』で見せた戦術眼からして、相当周到に書き手人生を設計していただろうことは疑いようもありません。
最も筆力が要るライトノベル
読み手のそういった「書き手の作風」が固定化してしまうことを逆手にとっているのが、大衆娯楽小説の書き手です。
推理小説で人気が出た書き手は、以後推理小説だけを書き続けます。たまに他のジャンルにも挑戦しますが、たいていはただの筆休めです。
推理小説作家は、いつまで経っても推理小説作家であることが多い。時代小説作家も同様です。
文学小説作家は「自分たちこそ文芸の王道である」と自認していますので、大衆ウケの娯楽小説やライトノベルなどは書きません。「文学作品」だけを生涯書き続けるのです。
しかしライトノベルの書き手は、さまざまなジャンルに挑戦する気概があります。それによって幅が広くなるのです。
おそらく最も筆力が高いのはライトノベルの書き手でしょう。
文学作品しか書けない文学小説作家は言うに及ばず。大衆娯楽小説作家は一度受賞したジャンルに縛られます。
しかしライトノベルはジャンルではなくあり方が異なるのです。
ライトノベルは特定の出版社レーベルから発行されれば、どんなジャンルでもライトノベルとされます。
たとえ推理小説を書いても、ライトノベルの出版社レーベルから発行されれば、それはライトノベルなのです。
青春ものである谷川流氏『涼宮ハルヒ』シリーズは、大衆娯楽小説という一面がありますが、角川スニーカー文庫から出版されたのでライトノベルです。
タイムリープを書いた筒井康隆氏『時をかける少女』は鶴書房盛光社ジュニアSFシリーズから出版されたので大衆娯楽SF小説になります。『涼宮ハルヒ』と『時をかける少女』がライトノベルかそうでないかはかなり微妙な位置にあるのです。
『フルメタル・パニック!』もライトSF小説ですが、富士見ファンタジア文庫から出版されたのでライトノベルにカテゴライズされます。
同じくロボットものの笹本祐一氏『ARIEL』はソノラマ文庫から出版されたのでSF小説です。『フルメタル・パニック!』も『ARIEL』はライトノベルかそうでないかは、先に挙げた二者以上に微妙です。
それを言うなら田中芳樹氏なんて、今ならライトノベルに分類される小説を数多く書いていますが、SF作家と認知されています。
つまり青春ものもSFものも書けなければ、ライトノベルの書き手にはなれません。
大衆娯楽小説の書き手のように、ひとつのジャンルに限って人気を保ち続けられないのです。
『ロードス島戦記』の水野良氏は『ギャラクシーエンジェル』の総監修を務めています。同作の小説も書いているのです。『ギャラクシーエンジェル』といえばSFアニメですよね。ライトノベルの書き手はさまざまなジャンルが書けなければならない理由の一端でもあります。
そう考えれば、賀東招二氏が『フルメタル・パニック!』『コップクラフト』の次に『甘城ブリリアントパーク』を書いているのも、さまざまなジャンルが書けなければならないライトノベルの書き手としての宿命を示しているのかもしれません。
多くのライトノベルの書き手が、初の「紙の書籍」化された作品を残して文壇から去っていきます。前作とはまったく異なる作風を求められ、悪戦苦闘した結果「書けません」となったのではないでしょうか。
同じような作品を求められるには、今作の評判がよほどよくなければなりません。
伏見つかさ氏が好例です。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』がビッグヒットして、次作も同じような作品が求められました。だから『エロマンガ先生』は生まれたのです。
そう考えれば賀東招二氏は『フルメタル・パニック!』のようなロボットアクションものを書けたはず。でも賀東招二氏はそうしなかった。なぜか。
「専門家」よりも「多様性」を重視したからではないでしょうか。
もし「専門家」になってしまうと、ブームが去ったらライトノベルで生計を立てられません。しかし「多様性」があれば、ブームが変わってもそれに追随できるのです。つまりライトノベルで生涯生計を立てられます。
現在「剣と魔法のファンタジー」が人気で、小説投稿サイトに「剣と魔法のファンタジー」しか投稿していないような方もいらっしゃるでしょう。
しかしそのような方がたまさか「小説賞・新人賞」を獲てプロデビューしたとしても、その受賞作限りでプロ人生は終わります。
どんなジャンルでも書ける「多様性」がなければ、よほど今作で人気が出ないかぎり、次はないのです。
ライトノベル作家になるには、小説投稿サイトで開催されている「小説賞・新人賞」を獲得すればよい。でも生涯ライトノベルのプロとして生計が立てられるのはごく一部です。それだけライトノベルは難しい。
一作でも「紙の書籍」化されれば「小説家」を名乗れますから、肩書きのために「小説賞・新人賞」を狙ってもかまいません。
ですが、生涯「小説家」のままでいられるかは「多様性」を身につけているかどうかにかかっています。
最後に
今回は「作品と書き手はまったく別」について述べました。
とくに小説投稿サイトで活躍している書き手の方々は、固有の作風を持っているものです。
その中から「小説賞・新人賞」を獲る方も現われるでしょう。そこから「紙の書籍」化されて、晴れて「小説家」の肩書きを手に入れるのです。
しかしライトノベルで生き残れるためには「多様性」がなければなりません。「剣と魔法のファンタジー」で受賞しても、恋愛小説・青春小説・SF小説・時代小説などさまざまなジャンルを求められるのです。
小説投稿サイトを利用している中で、あらゆるジャンルが書ける方は少ないと思います。
だから生存率が低いのかもしれません。
あとがき
今回で『ピクシブ文芸』から通算で九九九日連続投稿を達成しました。
明日二〇二〇年一月一二日日曜日に通算千日連続投稿となります。
ここまでお付き合いいただきました皆様に感謝いたします。
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