1052.対決篇:食べ物を書く

 今回は「食べ物を書く」ことについてです。

 村上春樹氏の作品では「奇妙な食べ物」が登場するそうです。

 少なくとも「食べる」は三大欲求のひとつですから、「食べる」行為のない小説はどこか嘘っぽく作りごとのように感じられるのは確かです。





食べ物を書く


 村上春樹氏の作品では、奇妙な食べ物がよく出てくるそうです。

 今回も要所でちくま文庫・ナカムラクニオ氏『村上春樹にならう「おいしい文章」のための47のルール』を引いていきます。タイトルが長いので『47のルール』と呼びます。




ホット・ケーキのコカ・コーラがけ

 これは村上春樹氏の処女作『風の歌を聴け』に登場する名物メニューです。

『47のルール』によると「鼠の好物は焼きたてのホット・ケーキである。彼はそれを深い皿に何枚か重ね、ナイフできちんと四つに切り、その上にコカ・コーラをひと瓶注ぎかける。そして、「この食い物の優れた点は」と鼠は「僕」に言った。「食事と飲み物が一体化していることだ。」」とあります。

「意外とおいしいと評判の料理です。こうやって料理を印象的に描くのも春樹文学の重要な演出法です。」と続けているのです。

 一見突飛な発想に思えますが、日本人なら「白飯に牛乳や味噌汁をかける『ねこまんま』の発想」ですよね。奇妙な料理法でもないし、食べるときに飲むものを混ぜる方は大勢います。カレーライスは大きく分けると、カレーとライスをごちゃ混ぜにしてから食べる方と、ライスにカレーを少しずつまぶしながら食べていく方がいます。

 そう考えれば「ホット・ケーキのコカ・コーラがけ」は言うほど奇妙でもありません。日本人だから思いついた、というだけです。


 また「なぜか、村上作品の主人公がよく作っているスパゲティーは想像するだけで、とてもおいしそう。読んだ後に、なぜか同じものを作りたくなるのです。/ 最も有名な料理は、「ありあわせのスパゲティー」です。村上さんが学生時代に頻繁に作っていたという簡単料理です。」とあります。冷蔵庫の残り物をなんでもかんでもスパゲティーの具にしてしまうのですね。これはひとり暮らしをしていれば、誰でもいつかはやり始めるものです。

「『ねじまき鳥クロニクル』は、「僕」がスパゲティーを茹でているときに謎の電話がかかってくるシーンからはじまります。スパゲティーが、まるでこれから起こる「混乱」の象徴のような存在として描かれているのです。」とこれだけなら演出の小道具として使っているのです。しかし「『羊をめぐる冒険』の「たらこのスパゲティー」や、『ダンス・ダンス・ダンス』の「結局食べられなかったハムのスパゲッティ」など、初期作品には必ず登場している料理です。/『カンガルー日和』に収録されている短編「スパゲティーの年に」は、巨大なアルミ鍋を手に入れ、春、夏、秋、とスパゲティーを茹でつづけた一九七一年の記録です。」とあります。つまり、村上春樹氏は「食べ物」といえばとくに初期では「スパゲティー」しか思い浮かばなかったのです。


『海辺のカフカ』には「「キュウリのごとくクールに、カフカのごとくミステリアスに」という表現が出てきます。この「クール・アズ・ア・キューカンバー」は、「キュウリのように冷静な」という意味の英語の慣用句です。これをわざと直訳してジョークのように遊んでいる表現なのです。」とあります。

 またキュウリネタとして『ノルウェイの森』にキュウリののり巻きが登場します。「入院中である緑の父を訪問したときに「僕」が創作した料理。「僕は洗面所で三本のキウリを洗った。そして皿に醤油を少し入れ、キウリに海苔を巻き、醤油をつけてぽりぽり食べた。『うまいですよ』と僕は言った。『シンプルで、新鮮で、命の香りがします。いいキウリですね。キウイなんかよりずっとまともな食いものです』」」とあります。こちらもなにか意味ありげにキュウリが登場していますが、最後にキウイと比較するのはダジャレとしてもレベルが低いように思えます。




食べ物に喩えてみる

『47のルール』によると「『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』には、こんな名台詞があります。「寝不足のおかげで顔が安物のチーズケーキみたいにむくんでいた」。実に魅力的な比喩表現です。」とあります。

 安物のチーズケーキのどこに「寝不足のむくんだ顔」の比喩としての機能があるのでしょうか。これを「実に魅力的な比喩表現です。」と書くところにナカムラクニオ氏の無批判の信奉が見て取れます。

 またこの作品では「「床はきれいに磨き上げられた光沢のある大理石で、壁は私が毎朝食べているマフィンのような黄味がかった白だった」といった斬新な表現も登場します。」とこちらも高く評価しています。しかし「マフィンのような黄味がかった白」はたとえを考えるときにすぐ思い浮かびませんか。たとえば「まるで炊飯器で炊いてから三日たった黄味がかった白」でもよいのです。それをわざわざ気取って「マフィン」と書くのです。「僕ってすごいでしょ!」と書いてまわる「承認欲求」の強さを感じます。


『47のルール』によると「『ダンス・ダンス・ダンス』には、こんな表現もあります。/「日焼けがたまらなく魅力的だ。まるでカフェ・オ・レの精みたい見える。背中にかっこいい羽をつけて、スプーンを肩にかつぐと似合いそうだよ。カフェ・オ・レの精。君がカフェ・オ・レの味方になったら、モカとブラジルとコロンビアとキリマンジャロが束になってかかってきても絶対かなわない。世界中の人間がこぞってカフェ・オ・レを飲む。世界中がカフェ・オ・レの精に魅了される。君の日焼けはそれくらい魅力的だ」。/ 読んでいると恥ずかしくなってしまいますが、これも文学的な表現としては秀逸な言葉選びだと思います。」とあります。

 では皆様に質問です。この「カフェ・オ・レ」はミルクとなにを足したものでしょうか。

「コーヒー」ですよね。

 では「コーヒー」の銘柄はなんでしょうか。

 それこそモカやブラジルやコロンビアやキリマンジャロなどではありませんか。つまり「束になってかかってきても絶対かなわない」と言っている「カフェ・オ・レ」は、かなわないものとミルクの組み合わせで出来ています。村上春樹氏の認識では、コーヒーとカフェ・オ・レはまったく関係のない別の飲み物なのでしょうか。程よい茶色みを表したいのであれば、黒いコーヒーを比較対象にするべきではありません。ミルクティーとカフェ・オ・レを比較するならわかります。

 つまり「文学的な表現としては秀逸な言葉選び」にすらなっていません。なにせ比べる相手を間違えているのですから。




酒の種類にこだわる

『47のルール』では「場の空気を入れ替える時は、お酒が便利です。物語に困ったら、とりあえず登場人物にお酒を飲ませましょう。」とあります。しかし本当にそんなことでよいのでしょうか。

『ダンス・ダンス・ダンス』には次のような一節があります。

「ビールがなくなるとカティー・サークを飲んだ。そしてスライ&ザ・ファミリー・ストーンのレコードを聴いた。ドアーズとかストーンズとかピンク・フロイドとかも聴いた。ビーチ・ボーイズの『サーフズ・アップ』も聴いた。六〇年代的な夜だった。」

「正直なところ、お酒を飲まない、音楽にも詳しくない人からすると何を言っているかわかりません。しかし、この記号のようなキーワードこそが、春樹の文体の軽さを助けています。」と書かれているのです。つまり読み手に記号を読ませているだけであり、物語に直接関係しません。記号であればなんだってよいのです。それこそワインを飲んだり泡盛を飲んだりしてもかまわないのです。

『ダンス・ダンス・ダンス』には次のような一節もあります。

「僕はマティーニを飲み、ユキはレモン・ソーダを飲んだ。セルゲイ・ラフマニノフみたいな深刻な顔をした髪の薄い中年のピアニストが、グランド・ピアノに向かって黙々とスタンダード・ナンバーを弾いていた」。これだけで「時代の空気感が伝わります。」と解説しているのです。

「あえて流行のお酒をふんだんに使うことで表現できる「時代の空気感」もあるのです。」としています。

 現実世界の「時代の空気感」を出すために、流行りの酒を出す。なんのひねりもありません。

 たとえば「ローラースケートを履いて『パラダイス銀河』を歌って踊る光GENJIを観ながら、〜」にするのとなにが違うのでしょうか。

 流行りを表すのに酒を出す必要などないのです。

 また「セルゲイ・ラフマニノフみたいな深刻な顔をした髪の薄い中年のピアニスト」という表現。これはセルゲイ・ラフマニノフをあげつらっていますし、中年の「髪の薄さ」を揶揄しています。つまり書き手が登場人物を見下して書いているのです。

 こんな他者を卑下するような表現はするべきではありません。この場面で中年のピアニストを見下して表現する必要があるのでしょうか。ありませんよね。だから「ラフマニノフ」を書いても「髪が薄い」を書いても、まったく意味がない。ただの水増し比喩なのです。





最後に

 今回は「食べ物を書く」ことについてまとめました。

 人間は生きていますから、必ず「食事」をします。

「食事」を書けば、人物に生命が宿るのです。

 しかし直接書けばよいものを、村上春樹氏はひねくれます。村上春樹氏の書き方で、人物に生命が宿るのでしょうか。



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