1051.対決篇:カッコいいことを書こうとして拝借する

 今回は「村上春樹氏はよくパクる」ことについてです。

 人気のあるものはとにかくパクらなければ気が済まない。そんな姿勢を感じてしまいます。





カッコいいことを書こうとして拝借する


 村上春樹氏の作品に通底しているのは「無断拝借」の精神です。

 とにかく有名なものをパクらずにいられません。

 今回も要所でちくま文庫・ナカムラクニオ氏『村上春樹にならう「おいしい文章」のための47のルール』を引いていきます。タイトルが長いので『47のルール』と呼びます。




哲学を用いてみる

 冒頭の一文は読み手を一気に引きずり込まなければなりません。

 そのためには三つのことが必要だと『47のルール』には書いてあります。

 1)刺激的な強い言葉を配置する

 2)読者に、いきなり謎を問いかける

 3)短くてインパクトのある哲学的な言葉で惑わせる

「純文学では、冒頭の一文は至ってシンプルが美しいと言われます。例えば、

 吾輩は猫である。 『吾輩は猫である』夏目漱石

 メロスは激怒した。 『走れメロス』太宰治

 ある日の事でございます。 『蜘蛛の糸』芥川龍之介

 山椒魚は悲しんだ。 『山椒魚』井伏鱒二

 しかし、村上さんの冒頭はまったく正反対です。かなり、まわりくどくて、だからこそ独特の美しさがあります。デビュー作『風の歌を聴け』の始まりは「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」です。これは、有名な冒頭ですね。『1973年のピンボール』も「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった」という謎めいた一行から始まります。」としています。

 語り手が異常に主張しているのです。とくに「完璧な文章などといったものは存在しない。」は村上春樹氏の主張が激しすぎます。

 冒頭の一文では、語り手ではなく主人公が主張するべきなのです。上記の「文豪」四作の中では『蜘蛛の糸』は語り手視点ですが、他の三作はいずれも主人公や重要なものがポンと出てきます。


「村上さんは、物語にとって「重要な言葉」を哲学や文学から引用し、何気ない会話や登場人物の言葉の中で自然に使っているのです。」

「『1973年のピンボール』の配電盤のお葬式をする場面では、主人公がお祈りの言葉としてイマヌエル・カントの『純粋理性批判』の一節」を引用。

「またオーストリア、ウィーン出身の哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインからも影響を受けています。『1Q84』の中では、タマルの台詞」で引用。

「そんな村上さんは、スイスの精神科医で心理学者ユングの影響も強く受けています。」「『1Q84』では、宗教団体「さきがけ」のリーダーが」ユングの言葉を引用。さらにタマルが殺人を犯す前に、ユングの言葉を引用しています。

 とにかく引用しまくりです。「無断拝借」がとことん好きな書き手と言えます。




好きな作家の文体を真似する

「村上さんは、好きな作家から徹底的に文体を学び、影響を受けたことを隠しません。」

「デビュー作『風の歌を聴け』は短い章立てなど文章の構成がカート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』とよく似ています。/ ほかにも『タイタンの妖女』『猫のゆりかご』『チャンピオンたちの朝食』などが大きな影響を与えたと思われ、村上さん自身も「愛は消えても親切は残る、といったのはカート・ヴォネガットだっけ」と『雨天炎天』に書いています。」とあるのです。

 集中力を持続させるために「走ること」を選んだ村上春樹氏は、回顧録に『走ることについて語るときに僕の語ること』というタイトルを付けています。「このタイトルは、村上さんが大ファンで、翻訳もしたレイモンド・カーヴァーの短編集『愛について語るときに我々の語ること』へのオマージュとしてアレンジしたもの。」としているのです。

 オマージュと言えば聞こえはいいですが、要は「無断拝借」つまり「パクリ」です。


「村上さんは大好きなスコット・フィッツジェラルドについても何度も物語に登場させています。/『スプートニクの恋人』には、「あたりがまだ真っ暗で、それはかつてスコット・フィッツジェラルドが「魂の暗闇」と呼んだ時刻に近いらしい……」なんていう台詞もあります。/ さらに「フィッツジェラルドはやはりアルコール中毒で、経済観念ゼロて、借金だらけで死んだ。僕の人生とはずいぶん違う。そういう人たちに比べると僕の私生活なんてマルク債の如く堅実みたいに見える」といった文章も『村上朝日堂 はいほー!』に書いています。」とあります。


 小説とは直接関係なくてもパクってきます。

「村上さんは、文章についてのほとんどを音楽から学んだと語っています。『村上春樹 雑文集』で、「音楽にせよ小説にせよ、いちばん基礎にあるものはリズムだ。自然で心地よい、そして確実なリズムがそこになければ、人は文章を読み進んではくれないだろう。僕はリズムというものの大切さを音楽から(主にジャズから)学んだ」と発言しています。」と書いてあるのです。

 しかし私は村上春樹氏の文章からリズムを感じません。文末がすべて「〜た。」で終わることがリズムなのでしょうか。あまりにも単調だと思います。リズムとはメトロノームとは異なり、さまざまな長さや高さの音を組み合わせて奏でるものです。村上春樹氏の小説はメトロノームでしかありません。読んでいると眠気を誘われます。私のように嫌気がさす方も多いでしょう。

「『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』には、「私は地球がマイケル・ジャクソンみたいにくるりと一回転するくらいの時間はぐっすりと眠りたかった。『国境の南、太陽の西』には、「身をかがめて彼女の額にキスした。彼女は気どったフランス料理店の支配人がアメリカン・エクスプレスのカードを受け取るときのような顔つきで僕のキスを受け入れた」という表現もあります。/ また『海辺のカフカ』の中では、ケンタッキーフライドチキンの創業者カーネル・サンダースそっくりな扮装をした謎の人物が登場して、星野青年に「入り口の石」のありかを教えたりもします。村上作品には、「パン」「ピザ」「ペーパーバック」のような印象が明るい言葉が意図的にたくさん登場しています。」とあります。

 とにかく商標権のあるものをとことん「無断拝借」するのが村上春樹氏流なのです。

「印象が明るい言葉」を選んでいるのではなく、そういう言葉しか書きたくないだけでしょう。


「そして、自分が知っている音楽が登場すると、映像が見えたり、音が聞こえたり、共感覚を味わうこともあるのです。この効果を、村上文学では多用しています。」とあります。

『ノルウェイの森』ではビートルズの「ノーウィージャンウッド(ノルウェーの森)」をレイコさんがギター演奏し、直子の誕生日にはレコード「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」を聴きます。村上春樹氏はこの曲を一二〇回くらい聞きながら執筆していたそうです。他にも「ミシェル」「ノーホエア・マン(ひとりぼっちのあいつ)」「ジュリア」などが登場します。またビートルズの曲名をタイトルにした「32歳のデイトリッパー」「ドライブ・マイ・カー」があります。「イエスタデイ」では関西弁で「イエスタデイ」を歌うシーンが話題となったそうです。「作中に「サリンジャーの『フラニーとズーイ』の関西語訳なんて出てないでしょう?」という台詞がありますが、村上さんは「ズーイの語り口を関西弁でやる」翻訳をずっとやりたくて、それができない欲求不満からこの短編を書いたと語っています。」とあります。

 初期の作品にはエルヴィス・プレスリーも登場するのです。「『風の歌を聴け』の主人公が初めてデートした女の子と観たのが、エルヴィス・プレスリーの主演映画。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の中では、つくるの着信メロディーの曲名を思い出して、エルヴィス・プレスリーの「ラスヴェガス万歳!」だ、と思うシーンもあります。/ このように作中に使う音楽は、文学にとってもBGMとなり、映画やドラマのような盛り上げ効果が抜群なのです。」と書いてあります。

 有名な歌手から「無断拝借」することおびただしい。

 まるで、筆力のない小説家が著名な商品名で読み手を釣り上げようと必死になっているとしか思えません。




名作文学をちりばめる

「村上さんは、ジャズやクラシックなど音楽に詳しいだけでなく、もちろん古典文学に詳しい。特に外国文学が大好きで、子供の頃から親しんで来ました。それだけに物語にもしばしばロシアの文豪などがさらりと登場するのです。/ 中でもドストエフスキーは重要な存在。」としています。「『風の歌を聴け』では、鼠が『カラマーゾフの兄弟』を下敷きにした小説を書き、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では「私」が「兄弟の名前をぜんぶ言える人間がいったい世間に何人いるだろう」とこの小説を思い出しています。」とあります。

「またアントン・チェーホフも重要な作家。」「『1Q84』では、天吾がチェーホフの紀行録『サハリン島』を取り上げ、先住民ギリヤーク人に関する記述を朗読したり、「小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である」という彼の名言を思い出すシーンがあります。」と書いてあります。

 つまり著名な外国人作家の名前やタイトル、内容の一部や名言などを、惜しげもなく「無断拝借」しているのです。

「村上さんは、この「本歌ほんか取り」を小説にも応用して、世界の名作を素材にして新しい文学を生み出しているのでしょう」とあります。

 つまり熱狂的なファン「ハルキスト」からも、村上春樹氏というのは「無断拝借」「パクリ」の書き手なのだと見なされているのです。

「本歌取り」などと美化するのではなく、正々堂々と「無断拝借」「パクリ」で自分の作品を「文学」にしようとしている浅ましい男だと指摘するのがファンでしょう。そういうファンがいないから、村上春樹氏はノーベル文学賞をあきらめきれないのではないですか。





最後に

 今回は「カッコいいことを書こうとして拝借する」ことについてまとめました。

 村上春樹氏はとにかく「無断拝借」「パクリ」が好きなプロの書き手です。

 自分の作品は大事にするくせに、他人の作品は臆面もなくパクってしまう。盗癖のある書き手なのです。

 村上春樹氏のファンの方にはたいへん失礼な言い方ですが、こんな浅ましい人物の書く小説をどれだけ評価できるのでしょうか。

 芥川龍之介賞を受賞できず、ノーベル文学賞もまず授かれない。

 その理由は「無断拝借」「パクリ」にあると気づいていないのでしょうか。

 気づいていないとしたら、よほどの浅慮さです。



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