1049.対決篇:一〇〇パーセントの○○と書いてみる

 今回は「一〇〇パーセント」についてです。

 これほど胡散くさい言葉もないでしょう。

 村上春樹氏は気に入っていたのでしょうが、初出は村上春樹氏ではありません。





一〇〇パーセントの○○と書いてみる


「一〇〇パーセント」という言葉は力強い。

 そう『47のルール』に書かれています。

 今回も要所でちくま文庫・ナカムラクニオ氏『村上春樹にならう「おいしい文章」のための47のルール』を引いていきます。タイトルが長いので『47のルール』と呼びます。




一〇〇パーセント

 一〇〇パーセント無添加オイル、顧客満足度一〇〇パーセント。

 いかにもすごそうですが、胡散うさんくささを感じさせもします。

『47のルール』では「漢字の「百」は、数を意味するだけでなく「非常に多い」ということも表す言葉です。百科事典、日本百名山、百獣の王、百物語、百人力、百人一首も「百」を使っています。つまり百は一〇〇でありながらも「無限の」や「完璧な」という意味をさりげなく伝えることができるマジックワードなのです。」としています。

「短編「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」(『カンガルー日和』所収)は、その言葉の通り「4月」のある晴れた朝、原宿の裏通りで「僕」が100パーセントの女の子とすれ違う、というだけのささやかな日常のひとコマを描いた話です。この「100パーセントの女の子」という表現がなんともニクい。ここで使っている「100パーセント」は、「無限」というよりは「完璧な」を表していると思います。/ しかし、これが「春のある晴れた朝に完璧な女の子に出会うことについて」だと、内容は同じなのに、印象がぼやけてしまいます。やはり、「100パーセント」でなくては、成立しないでしょう。」とあります。

 本当にそうでしょうか。

「100パーセントの女の子」という表現がなんともニクいとはなんでしょう。村上春樹氏が嫌う若者言葉のようですよね。

 では村上春樹氏に問いたい。「50パーセントの女の子」はどのような存在ですか。

「半分大人の女性になった女の子」なのか「半分男性の女の子」なのか「流行りを追わなくなった女の子」なのか。その他いろいろ考えられますよね。

「100パーセントの女の子」は単に「混じりっけのない」という意味であって、「完璧な」ではありません。もし「完璧な」であれば、なにが「完璧な」のでしょうか。

 完璧な人間など存在しません。誰しも欠点を持っています。「完璧な女の子」と書くことで、「普通は男の子だけど女装して、誰が見ても「完璧な女の子」に化けている」ともとれるのです。

 つまり村上春樹氏がよく書くという「100パーセントの○○」は、実際なにが言いたいのか誰にもわかりません。

 また昔カルロストシキ&オメガトライブ『君は1000%』という曲がありました。「100パーセント」がニクいなら、「1000%」はどれほどすごいものなのでしょうか。

 数字なんてどうでもよいのです。どうでもよいものを数字で書くと意味深になる、とナカムラクニオ氏は言いたいのでしょうか。

 その説自体が相当怪しいと思いませんか。


「ちなみに『ノルウェイの森』が発売されたとき、「一〇〇パーセントの恋愛小説」というコピーが赤と緑の装丁の帯に大きく書かれていましたが、これは村上さん自身が書いたものです。」とのこと。

 つまり「語彙が貧困」なのです。「純粋な恋愛小説」と書けばよいものを「一〇〇パーセントの恋愛小説」と書く。よほど「一〇〇パーセントの○○」というフレーズが気に入っているのでしょうか。

「台湾では、『ノルウェイの森』が大ヒットした後、「ノルウェイの森ホテル」「ノルウェイの森カフェ」「ノルウェイの森マンション」などが登場しましたが、同じように『カンガルー日和』が翻訳されると、「100パーセントの女の子」が流行し、「100パーセントの○○」が社会現象になったこともあります。/ 100パーセントの男の子に出会うこと。100パーセントの猫に出会うこと。100パーセントの幸福に出会うこと。100パーセントの愛情に出会うこと。100パーセントの新入生に出会うこと。100パーセントの良い大家さんに出会うこと。100パーセントのお医者さんに出会うこと。100パーセントの教室に出会うこと。/ 嘘みたいだけど、日本より「100パーセントの○○」が、心にグッと響いたようです。」とあります。

 ここでも台湾が出てきました。村上春樹氏の作品は台湾語にするとウケるみたいですね。それなら拙い日本語で書くよりも、最初から台湾語で出版したらよいのに。

 それは置いておいて「100パーセントの○○」は明らかに「混じりっけのない」ものを指しています。それを表現するために、村上春樹氏は「100パーセントの○○」を使い続けたわけです。だから「語彙が貧困」と言っています。

 そもそもこの「100パーセント」というのは、萩本欽一氏の番組から生まれたイモ欽トリオの1981年ヒット曲『ハイスクールララバイ』のほうが先です(「100パーセント片想い」というフレーズを憶えている方もいらっしゃるでしょう)。つまり1983年発売の『カンガルー日和』で、また「無断借用」要は「パクって」いるのです。ちなみにこの「100パーセント片想い」を含む作詞を行なったのは、天才作詞家・松本隆氏です。村上春樹氏は松本隆氏が生み出した「100パーセント」にタダ乗りしただけでなく、自分の創作であるかのように振る舞っています。そこがさらに悪質さを感じさせますね。





最後に

 今回は「一〇〇パーセントの○○と書いてみる」ことについて述べました。

 上記したように「一〇〇パーセント」の初出は作詞家の松本隆氏です。それが流行歌となり、村上春樹氏が「無断借用」しました。しかも自分が発案者のごとく振る舞っています。

 そもそも「一〇〇パーセントの○○」には意味がないのです。

「混じりっけのない」とか「すべて」とかその程度のこと。『ハイスクールララバイ』の「100パーセント片想い」は「混じりっけのない片想い」つまり「まったく両想いではない」ことの裏返しです。

 村上春樹氏は「まったく○○ではない」ことの裏返しとして「一〇〇パーセントの○○」を使っているのでしょうか。「一〇〇パーセントの女の子」は「まったく男の子ではない」と言いたいのでしょうか。違いますよね。だからタダ乗りだと主張したいのです。



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