1047.対決篇:動物を登場させる

 今回は「動物」についてです。

 作品のマスコットとして動物を登場させることはよくあります。

 また人物と密接な動物を出してもかまいません。

 ただ、同じ種類の動物が頻出するのはあまりよろしくないのです。





動物を登場させる


 村上春樹氏の作品には、鼠、羊、象、猫、あしか、鳥など動物がたくさん登場するとされます。

 今回も要所でちくま文庫・ナカムラクニオ氏『村上春樹にならう「おいしい文章」のための47のルール』を引いていきます。タイトルが長いので『47のルール』と呼びます。




教訓を垂れる短編には動物が不可欠

『47のルール』では「『羊をめぐる冒険』の羊男、『ねじまき鳥クロニクル』の猫と鳥。短編では「象の消滅」や「かえるくん、東京を救う」などもやはり動物が重要な存在です。」とあります。

 また「古代ギリシャでイソップが道徳的、風刺的主題を持つ物語である「寓話」を確立しましたが、ここでも擬人化された動物が活躍しています。教訓を目的とした短い物語に、動物は欠かせない存在なのです。」と記されています。これは西洋絵画でも使われてるそうです。


 羊は、無垢、上品、神への生贄。

 鼠は、破壊、密告、貧困。

 犬は、忠誠、献身。

 猫は、自由、残酷、多産、肉欲的。

 猿は、真似、悪意、傲慢、未熟な人間。

 鳥は、時間、魂、自由。

 魚は、生命、知恵、愚かさ。

「動物は「隠れた深い意味」を持つ重要なモチーフとして物語に奥行きを与えているのです。」とあります。

 ここで皆様に考えていただきたい。

 動物の「隠れた深い意味」を活かして作品に動物を持ち込んでいるのでしょうか。

 多くの方はそこまで考えていないはずです。

 その点では村上春樹氏は一歩先を行っています。


『47のルール』では「例えば「品川猿」という短編があります。主人公の安藤みずきは、一年前からときどき自分の名前を思い出せなくなることに悩んでいます。品川区役所の「心の悩み相談室」に通い、カウンセラーに相談していくうちに、それは名前を「猿」の仕業だと判明します。」ここでも精神的弱者を「差別」していますね。


「短編に「カンガルー通信」(『中国行きのスロウ・ボート』所収)という作品もあります。主人公は、デパートの商品管理家に勤めている二十六歳。動物園のカンガルーの柵の前である啓示を得て、顧客の苦情に対する返事をカセットテープに吹き込みます。」

「短編「カンガルー日和」(『カンガルー日和』所収)もあります。主人公「僕」と「彼女」は、新聞の地方版でカンガルーの赤ん坊の誕生を知ります。ある朝、六時に目覚めると、カンガルー日和であることを確認して動物園へ向かう。」

「このように同じような動物が何度も繰り返し登場するのも村上春樹の代表的な技法です。」とあります。

 これって単に「動物ネタは読み手ウケする」というだけですよね。同じ動物が何度も繰り返し登場するのは、それしか動物を知らなかったからではないですか。

 村上春樹氏はほとんど体験でしか小説が書けません。取材をほとんどせず、資料も集めず、自分の記憶の中にある体験からでしか書けないのです。

「カンガルーの赤ん坊」に意味がありますか。「パンダの赤ん坊」のほうがよほど人気がありますよね。しかしこの当時は「パンダの赤ん坊」が書けない。恩賜上野動物園の「シャンシャン」はまだ生まれていませんからね。村上春樹氏は今なら「パンダの赤ん坊」を書くと思いますよ。たくさん報道されましたから、取材に行く必要がないですからね。


「世界各地で神聖な動物とされる象もよく登場します。村上作品では、「象工場」や「消える象」という単語が登場しています。/ 象は、知恵、忍耐、忠誠、幸運、地位、強さ、大きいことなどを象徴することが多く、謎めいた物語に教訓的な深みを与えています。」

「初期の傑作として知られる「象の消滅」(『パン屋再襲撃』所収)は、ある日、象と飼育係の男が消えてしまうという短篇小説です。」「閉鎖された動物園の象を町が引き取って、空き缶踏み係にするという奇妙なショートショート「ハイネケン・ビールの空き缶を踏む象についての短文」という作品もあります。」

 象も「知っているだけ」ですね。象を引き取るなんていう効率の悪いことを考える町はありません。一日に何十万円という食費のかかる象を、ただ空き缶踏みさせるためだけに町が引き取るわけがないからです。そんなことをしたら地方の町では即財政破綻ですよ。村上春樹氏は象の飼育費がいくらかかるのかすら知らないのでしょう。


「タイトルだけでなく、登場人物たちの会話や比喩表現としても、動物がよく登場します。『ダンス・ダンス・ダンス』には、「五反田君は一時間ほどしてから来てくれと運転手に言った。メルセデスはききわけの良い巨大な魚のように、音もなく夜の闇の中に消えていった」という一節がありますし、『国境の南、太陽の西』には「禿ワシは芸術と明日を食べるのね?」なんていう台詞もあります。」とあります。

「メルセデス」という商標権のあるものをためらいもなく用いる姿勢は変わらないのですね。そしてそれが「ききわけの良い巨大な魚のように」と書いてあります。ききわけの良い魚というものをご覧になったことはありますか。水族館でショーをしているシャチやイルカは哺乳類であり、魚類ではありません。「ききわけの良い魚」などというものはいないのです。

 また「禿ワシは芸術と明日を食べるのね?」に至っては、比喩としてすら機能していません。禿ワシは小動物や鳥類を襲って食べています。どこに「芸術と明日」を食べる要素が見出だせるのでしょうか。単に「カッコいいことを言わせてみた」だけです。

「村上作品には、奇妙な鳥がたびたび登場します。特に多いのはカラス、禿ワシなど。鳥という動物が持つ「時間、空間、長寿、繁栄、魂」というイメージを最大限に物語に溶け込まています。」とナカムラクニオ氏は語ります。

 村上春樹氏の作品に出てくる鳥類は、そんなに高尚なものでしょうか。

「短編「とんがり焼の盛衰」のとんがり焼しか食べない「とんがり鳥」、『海辺のカフカ』の「カラスと呼ばれた少年」をはじめ、『風の歌を聴け』には「僕は黒い大きな鳥で、ジャングルの上を西に向かって飛んでいた」という描写があります。他には、『騎士団長殺し』に登場する屋根裏に住む「みみずく」」「『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の中には、「鳥を見ると自分が間違っていないということがよくわかる」という重要な台詞が出てきます。」と言及しています。

 やはり単なる比喩であり、その対象として鳥類を選ぶのは、子どものような感性から生まれているのです。村上春樹氏は心の成長が人より劣っているのではないでしょうか。だからいまだに鳥類に対する憧れを隠せないのです。


「古代より動物は神の使い(化身)として崇められてきました。動物というシンボルが持つ意味を使いこなすと、物語に神話や伝説のような普遍性を演出することができるのです。」としています。

 動物を比喩として用いれば、神話や伝説のような普遍性を演出できるのでしょうか。私は否と答えたい。

 動物はあくまでも動物であり、一般的に「野生」の表現として用いられます。中には「犬」「猫」のように、人間と共存する動物もいるのです。「犬」「猫」などを神話や伝説まで広げてしまうのは、解釈に無理があります。

 それこそ「禿ワシ」ならギリシャ神話のプロメテウスが内臓を食べられ続ける刑罰に登場するので、こちらはそういった普遍性を見出だすこともできます。

 ナカムラクニオ氏は神話や伝説に詳しくないのかもしれません。このまとめ方は、知らずに書いたと読めばしっくりくるからです。





最後に

 今回は「動物を登場させる」ことについて述べました。

 村上春樹氏の作品には、よく動物が登場するようです。

 しかし、動物はペットとして身近にいますよね。取り立てて「動物を登場させる」ことが村上春樹氏流だとは思えません。

 比喩として突飛な動物を出しているのは特異点ですが、本当に突飛な動物であるため、比喩として機能していないのです。

 動物を出すのは物語を彩るために多くの書き手が実践しています。なにも村上春樹氏の専売特許ではないのです。



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