1043.対決篇:奇妙な名前の登場人物
今回は「登場人物の名前」についてです。
村上春樹氏の小説には「奇妙な名前」が多いらしい。
『Wikipedia』で調べてみたらとんでもない事実が。
奇妙な名前の登場人物
村上春樹氏の小説には「奇妙な名前の人物」が登場するそうです。
今回も要所でちくま文庫・ナカムラクニオ氏『村上春樹にならう「おいしい文章」のための47のルール』を引いていきます。タイトルが長いので『47のルール』と呼びます。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
この長いタイトルを用いた長編小説の主人公は、タイトルで書かれている「多崎つくる」です。
ではこの小説の重要な登場人物の名前を列記してみます。引用は『Wikipedia』からです。
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名前を列記したことですぐに気づきますよね。この小説で名前が出てくる人物の中で、色の名前を持たないのは、主人公の多崎つくると彼の交際相手である木元沙羅だけです。
とくに高校時代の五人組グループの中で色の名前を持っていなかったのは主人公だけ。だから「色彩を持たない多崎つくる」と言うわけです。
沙羅から「(絶縁された)過去と正面から向き合わなくてはいけない。自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ」と言われたつくるは、高校時代の四人に会いに行くこととなる。沙羅の調査の結果「アオ」と「アカ」は故郷の名古屋にいて、「クロ」はフィンランドのヘルシンキに移り住み、「シロ」は他界していると判明します。つくるはまず「アオ」を訪ねて絶縁のいきさつを知らされる。翌日「アカ」のオフィスを訪ねたのち、フィンランドへ飛び「クロ」と夫のエドヴァルドと二人の娘と会う。そして「クロ」からかつてつくるを好きだったと打ち明けられます。沙羅のことを話すと「クロ」は「ねえ、つくる、君は彼女を手にいれるべきだよ。どんな事情があろうと。私はそう思う」と告げます。そしてつくるは日本へ帰るのです。帰国後つくるは夜中に沙羅へ電話します。
過去に絶縁された四人のもとを巡ることを「巡礼」と言っているわけです。タイトルである「巡礼の年」ですが、ロシアのピアニストであるラザール・ベルマン氏が演奏するリストのピアノ独奏曲集『巡礼の年』に由来しています。つまり「無断借用」したのです。村上春樹氏は本当に「無断借用」が好きですね。
これでタイトルの謎は解けました。
高校時代に絶縁した仲間のもとを巡る旅を『巡礼の年』にかけただけの、至極安易な命名だったのです。
さて、ここで皆様に考えていただきたいことがあります。
「ある共通点を持った名前」を意図的に付けるのはどうしてか。
名前を考える手間が省けます。普通に赤青黄紫水茶と「彩度」を持った名前を付ければよいものを、村上春樹氏は「白」「黒」「灰」という「彩度」を持たない名前もつけているのです。
つまり村上春樹氏は絵に詳しくない。「色彩を持たない多崎つくる」という言葉は間違いだったわけです。「色彩」を持たないのは「白根柚木」「黒埜恵理」「灰田文紹」もだからです。「色彩」と呼ばず「色」と書けば「白」「黒」「灰」も「色」の名前ですから含まれます。しかし「色彩」と書いてしまうと「彩度のある色」ということになり、彩度のない「白」と「黒」と「灰」は除外されるのです。
つまり格好つけようとして見事に大恥を晒しました。「色」の知識がないのに、「色」に関係する名前を使った。その結果「彩度」のない「白」「黒」「灰」を「色彩」に含めてしまったのです。
色の基本である「色相・彩度・明度」も知らずに「知ったかぶり」でタイトルを付けてしまった。タイトルで「色彩」が使いたければ「白」「黒」「灰」は外すべきだったのです。
皆様も「知ったかぶり」でタイトルを付けないようにしましょう。
世界中に「自分は色のことなんて全然知らないんだ」と喧伝するような真似はしないでくださいね。
なお『47のルール』では「多崎」を「フィヨルド」と関係づけています。北欧の「フィヨルド」の地形を、「崎」つまり岬が「多い」と解釈して「多崎」としたと言うのです。「木元沙羅」を「沙羅双樹の木の根元」を指すと解釈しています。「仏教的と言える物語の登場人物であれば、「五つの色彩」が出てくるだけで、精神や智慧をあらわす五つの色「青・黄・赤・白・黒」を連想することは容易です。むしろ、連想しないで読むほうが難しいと思います。」とあります。つまり『47のルール』の著者ナカムラクニオ氏も「色」「色彩」に詳しくないのです。
「巡礼」というキリスト教やイスラム教の行事と、「沙羅双樹」という仏教に根ざしたものをひとまとめの作品にした。相当の勘違い野郎でなければできない芸当です。
また『騎士団長殺し』に免色渉という人物が登場していて、『47のルール』の著者ナカムラクニオ氏は「多崎つくる」と関連付けようと試みています。これも無意味な考察ですね。そもそも「免色渉」の「色を免じる」を「色彩を持たない多崎つくる」と関連付けようとする必要もないし、伏線にもなっていません。それなのに「直接的な関係は簡単には見つけられません。それでも読者は気になって仕方がない。もはやこれは答えがないクイズのような感じ。そこがいいのです。」とすら書いています。
村上春樹氏には深い意図なんてものはないのです。ただ読み手が楽しめて自分が儲けられればなんだってよい。名前だって、前回色の名前をいくつか作ったから、今回もそのときのストックからひとつ使ってみよう、程度だったはずです。
『海辺のカフカ』の主人公の名前は「田村カフカ」です。つまり「文豪」のフランツ・カフカ氏とはなんの関係もない。それなのにタイトルを『海辺のカフカ』としたことで、中身を読んでいない人たちが「フランツ・カフカの話かな」と思って買ってしまうことを、意図的に狙っていたとしか思えません。そもそも日本人の名前として「田村カフカ」は一般的でしょうか。「中田カウス」師匠なら存じ上げますが。あなたは自分の子どもに「カフカ」と名付ける勇気がありますか。そんな「無断借用」ができるのが村上春樹氏という小説書きなのです。
なお『Wikipedia』では「フランツ・カフカの思想的影響のもとギリシャ悲劇のエディプス王の物語と『源氏物語』や『雨月物語』などの日本の古典小説が物語の各所で用いられている。」と書いてあります。つまりフランツ・カフカの他に『エディプス王物語』『源氏物語』『雨月物語』などを「無断借用」しているのです。
とことん「他人の褌で相撲を取る」小説書きだと判明しました。
だから私は村上春樹氏の小説が嫌いなのでしょうか。先人が残した貴重な遺産を、彼ひとりが貪り食らって生き延びようとしている浅ましい姿が目に浮かびます。
最後に
今回は「奇妙な名前の登場人物」について述べました。
登場人物の名前に、村上春樹氏の才能の限界を感じます。
「色彩を持たない多崎つくる」と書きながら、彩度のない「白」「黒」「灰」を持つ人物が登場する。つまり村上春樹氏には絵の知識がまるでないのです。
『ピクシブ文芸』で本コラムをお読みの方は、「色彩」の知識「絵」の知識を幾分お持ちの方がいらっしゃいますよね。そういう方から見て『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』というタイトルと登場人物の名前を見たとき、彼を軽蔑することは必定です。気分は「絵のことをまるで知らないおじいさんがなにを偉そうに書いているのやら」だと思います。
登場人物の名前を決めるのは重要です。だからといって他の作品から「無断借用」してくるような馬鹿な真似はしないでください。
また関連性のある名前を付ける場合、けっして「勘違い」をしないでください。「色彩」で統一したいのであれば、彩度のない「白」「黒」「灰」を使うような真似はやめましょう。底が知れますよ。
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