1042.対決篇:造語で遊んでいるらしい
今回は「造語」についてです。
『47のルール』では村上春樹氏の「造語」がすごいと書かれています。
しかし本当にそうなのでしょうか。
造語で遊んでいるらしい
村上春樹氏は、よく「造語」をするそうです。
今回も要所でちくま文庫・ナカムラクニオ氏『村上春樹にならう「おいしい文章」のための47のルール』を引いていきます。タイトルが長いので『47のルール』と呼びます。
小確幸
『47のルール』では「
これは『うずまき猫のみつけかた』に登場する村上春樹氏の造語で、「小さくても確かな幸せ」という意味だそうです。
村上春樹氏の弁によると「小確幸」を見出だすためには「多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要だ」とのこと。「たとえば我慢して運動した後に飲むきりきり冷えたビールみたいなもので、「うーん、そうだ、これだ」とひとりで目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感覚。それが「小確幸」の醍醐味だと語っています」と『47のルール』は引いています。これに「小確幸」なんて言葉が合いますか? 「ささやかな幸せ」くらいの書き方でも伝わりそうですよね。それをわざわざ造語する。ちょっと意味不明です。
「とくに台湾ではこの言葉が固有名詞となり、定着するほど流行」したとされます。
またムック本に『少年カフカ』というものもありました。「『海辺のカフカ』ができるまでの記録、読者からのメール一二二〇通をまとめた少年漫画雑誌のような本です。/ 安西水丸さんと行く製本工場の見学記、装丁のボツ案、海辺のカフカグッズ一覧など、貴重な創作の全記録が収録されています」とのこと。これって造語というより「そのまま」名付けただけですよね。「少年漫画雑誌のような本」なのですから、私だって『週刊少年ジャンプ』『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』のように『少年カフカ』くらいパッと思い浮かびますけど。
『47のルール』の著者であるナカムラクニオ氏は「村上春樹氏はすごい!」というスタンスなのでしょうけど、『少年カフカ』は誰にでも思いつきます。おそらく本コラムをお読みの皆様もすぐに思いつきましたよね。
それを引くくらいなら、「小確幸」をもっと深堀りしたほうがよかったのではないでしょうか。
『Google検索』で「小確幸」を調べてみたら、「いま韓国で大流行、村上春樹の「小確幸」 恋愛や結婚、住宅を諦め、人の目を気にしない生き方を追求」「「小確幸」求めるソウル市民で漢江周辺は大盛況」とか日本よりも韓国で注目を浴びている言葉として結果が出てきます。
おそらく「小確幸」つまり「小さくても確かな幸せ」という日本語の短縮形を、韓国語でも台湾語でも「小確幸」という文字で翻訳したから、海外で「造語」として認められているにすぎないのです。
もしアメリカやフランスでも「Shoukakkou」と「造語」が広まっているのなら、それは明らかに「村上春樹氏の造語」だと思います。ですが、同じ漢字文明圏である韓国や台湾で流行ったくらいで「村上春樹氏の造語」と喧伝するほどのことでしょうか。私は村上春樹氏が単に格好をつけたかっただけに映ります。
「僕はこんな言葉を思いついたんだ」と吹聴して歩く哀れな老人の姿をそこに見るのです。
「小確幸」は漢字文明圏では確かに流行したのでしょう。ですがノーベル文学賞の選考委員は、極東アジアだけでしか流行っていない単語をもって「世界の人々に影響を与えた」と見ますかね。私は「そんなことはありえない」と思います。
日本語でも世界で普及した言葉はいくつかあります。
「寿司」「天ぷら」「フジヤマ」「芸者」「将軍」「侍」「忍者」などはよく知られているはずです。それ以外で最も重要な言葉が「津波」です。地震が原因で起こる潮位の急激な変化を「TSUNAMI」と呼ぶようになったのは、日本発祥です。そもそもこの現象を早くから「地震が原因だ」と突き止めたのも日本人ですし、それによる急激な潮位の変化を「津波」と呼称したのも日本人。世界にはその概念がなかった「津波」は「寿司」「天ぷら」と同様、日本文化のひとつとして世界中に広まったのです。
「津波」に比べれば、村上春樹氏の造語「小確幸」なんて小さすぎます。「津波」は世界共通語ですよ。「小確幸」は漢字文明圏だけでしか通用しませんよね。
造語が悪いわけではない
造語がすべて悪いとは言いません。
小説の中で「既存の言葉で表現しようとしても、的確に表現できない」というときには積極的に使いましょう。
私が拙著『暁の神話』で使用した造語は「
私は「ありそうだけど辞書には載っていない」ような「造語」を目指しています。一度読んだだけで意味がわかる。だけど辞書には載っていない。そんな「造語」っていくらでも作れると思うのです。
「騒つく」も「陰を兆す」も読めばわかるけど、辞書には載っていない。
そんな言葉が「造語」であって、ただ単に「小さくても確かな幸せ」を縮めて「小確幸」とするが「造語」とは思えないんですよね。
略称を「造語」とするなら、「チョベリグ」だって「タピる」だって「造語」ですよね(たとえが古いですが)。
単に略称を「造語」とするよりも、ある状態に対してまったく新しい表現を当てたほうがわかりやすいし納得しやすい。
「小確幸」は字面を見ただけではよくわからないのです。当該のエッセイを見て初めて「そういう意味か」と気づきます。
それでは駄目なのです。
「騒つく」は字面を見ただけで「うるさそうだな」と伝わりますよね。「陰を兆す」も字面を見ただけで「不吉な予感がする」と伝わるはずです。
漢字の字義を活かして「造語」してください。
そうすれば「この言葉はいかにもありそうだけど辞書には載っていない」言葉が思いつきます。
「造語」が悪いわけではありません。
単なる略称を「造語」などと言うことが悪いのです。
『47のルール』は村上春樹氏マンセーな書籍なので、こんな略称すら「造語」として持ち上げています。それは持ち上げるはずの村上春樹氏が喜ぶことでしょうか。
私が村上春樹氏なら「そんな戯けたことをぬかすな」と一喝します。
まぁ当の村上春樹氏は「おっ、こんなことも褒めてくれるんだ」と得意がっていることでしょう。
それが私の村上春樹氏嫌いな点でもあるのですが。
「売上至上主義」「権威至上主義」を両方追い求めている村上春樹氏なら、ミリオンセールスとノーベル文学賞は喉から手が出るほど欲しいところでしょう。
ですが、今の若い読み手は村上春樹氏の作品に魅力を感じていません。「退廃的」な作風がヒットする世の中ではないからです。妙に気どっていたり才能をひけらかしたりしているだけで、得意がっている哀れな老人の姿をそこに見ます。
私は本心から村上春樹氏『騎士団長殺し』よりも、川原礫氏『ソードアート・オンライン』のほうが面白く読めましたけどね。『騎士団長殺し』なんて一ページ目を試し読みして棚に戻したくらい。一ページまるまる文末が「〜た。」ですよ。幼稚園児ですか? と言いたくもなりますよ。
最後に
今回は「造語で遊んでいるらしい」について述べました。
『47のルール』では、村上春樹氏の「造語」が国際的に話題になっていることに触れ、「村上春樹氏の造語はすごい」と言いたいようです。
しかし私には「単なる略称を造語と呼ぶな」と言いたくなります。
「造語」とは「ありそうだけど辞書には載っていない」言葉を作ることです。
けっして略語を作ることではありません。
略語づくりでは歌手BREAKERZのDAIGO氏のほうが数段上だと思います。
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