989.筆洗篇:プロローグは必要か

 今回は「プロローグ」についてです。

 基本的に「プロローグ」と題したセクションは必要ありません。

 すべての情報は本文の中に紛れ込ませてください。

 どうしてもまとめて説明したいのなら、一つの章の中でシーンを変えて入り込みましょう。





プロローグは必要か


 サブタイトルに「プロローグ」と書いただけで、閲覧数(PV)が激減して本編が始まっても読み手がつかない。そんな経験をされた書き手の方はいらっしゃいますか。

 読み手の多くは「プロローグ」を読まないものなのでしょうか。

 私は、書き手次第だと思っています。

「プロローグ」が面白いと定評のある書き手の「プロローグ」は読まれます。

「プロローグ」がつまらないと定評のある書き手の「プロローグ」は読まれない。

 至極簡単な論理です。




SNSではプロローグ不要論が多勢

 サブタイトルに「プロローグ」と書いてあると、読み飛ばす方が多いようです。

 いくらプロローグが面白くても、それは本筋から逸脱しており、本編が必ずしも面白いとは限りません。

 実際SNS『Twitter』では「サブタイトルにプロローグと書くと読み飛ばされる」という結論に達したグループもあったそうです。

 では読み手としてのあなたはどうでしょうか。

 連載小説の第一回のサブタイトルが「プロローグ」と書いてあったとして、その部分を読みますか。読み飛ばしますか。


 書き手に高い腕前があれば、「プロローグ」には物語の主人公と「対になる存在」を出して緊迫感サスペンスを高めているものです。

 誰が主人公で、誰が「対になる存在」となるのか。それを「プロローグ」で明確にするのです。

 本編の構成上、物語の始まりにどうしても主人公や「対になる存在」を登場させられない場合もあります。

 それを解消するのも「プロローグ」の役割です。

 もしあなたの書いた「プロローグ」で主人公も「対になる存在」も登場しないのであれば、それは「プロローグ」のふりをした、ただの設定資料集と呼べます。




プロローグは設定披露の場ではない

 よく「プロローグ」に、作品の舞台や世界観をつらつらと書く方がいます。

 これは完全に「プロローグ」を誤って捉えているのです。

 本来「プロローグ」とは、第一章へ向けて主人公たちを紹介するために存在します。

 ではなぜ「プロローグ」で舞台や世界観を書いてしまうのでしょうか。

 大きな理由として、昔話や童話・寓話が挙げられます。

「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました」に代表される導入部。これが「プロローグ」だと認識されているのです。

 だから「プロローグ」とは「主人公が登場するまでの、舞台や世界観を定義する場所」だと勘違いしてしまいます。

 また「文豪」の作品の書き出しも設定を披露している場合が多いのです。


 作者不詳の『平家物語』は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」、夏目漱石氏『吾輩は猫である』は「吾輩は猫である。名前はまだない。」、島崎藤村氏『夜明け前』は「木曽路はいつも山の中である。」、森鴎外氏『雁』は「古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。」、川端康成氏『雪国』は「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。夜の底が白くなった。」など。


 いかがでしょうか。皆書き出しで設定を披露していますよね。「文豪」の古典をたくさん読んできた方ほど、書き出しに舞台や世界観を書いてしまいがちなのです。

 しかし現在では禁忌タブーとされています。

 なぜ「文豪」がよくて、今を生きる我々は駄目なのでしょうか。

 本コラムで何度も書いていますが、「時代が異なる」からです。

「文豪」が活躍した明治後期から昭和初期までは、言文一致体を模索している時期でした。小説の書き方それ自体が確立していなかったのです。だから誰も読み手にウケる書き方とはどんなものかを知りません。知りもしないものを書けはしません。

 今日の言文一致体を確立したのは、おそらく教師をしていた夏目漱石氏です。

 夏目漱石氏は一人称視点での小説を逸早く書き、現在の一人称視点へ大きな影響を与えました。

 皆様が好んでいると思われるライトノベル以外に、大衆娯楽エンターテインメント小説、文学小説も、おおもとは夏目漱石氏の影響を受けているのです。言葉遣いが古いのは置いても、夏目漱石氏の小説は今でもじゅうぶんお手本になります。

 しかし舞台や世界観、主人公の置かれた状況など設定を冒頭に書いてしまうのは、現在では禁忌タブーとされていますので、そこは夏目漱石氏のマネをしないでください。


「プロローグ」で舞台や世界観などの設定をつらつらと書いてしまう原因が「童話・寓話」「文豪」だとわかりました。

 では理想的な、読まれる「プロローグ」はどのように書けばよいのでしょうか。




理想的なプロローグ

 サブタイトルに「プロローグ」と書くと、それを理由に作品を読まない方がいらっしゃるようです。

 であれば、サブタイトルを「プロローグ」にしなければよい。

 至極単純な答えですね。

 ならば「序章」にしたらどうだろうか。あなたはそう考えましたね。

 残念ながらそれも駄目です。「プロローグ」を漢語に置き換えたからといって読まれるのであれば、世の書き手はすべて「序章」と書いています。でも「序章」と書いている小説はそれほど多くありません。

 ではどうするか。

「第一章」から始めればよいのです。

 つまり「プロローグ」「序章」を書かないでください。

 物語の始まりはつねに「第一章」。それなら読み手が忌避する理由にはなりませんよね。

 でも、どう考えても「プロローグ」を書かないことには始まらない。

 そんなあなたは、第一章の途中もしくは第二章に「プロローグ」を持ってきてください。もちろん「プロローグ」「序章」とは名乗らずに。

 場面シーンを変えてしまえば、いつのどの時間帯のどこの場所であろうと飛躍できるのが小説の特徴です。「プロローグ」で読ませたい初期設定・舞台・世界観の説明はそこでしましょう。

 物語の始まり、つまり「第一章」は必ず主人公が出来事イベントの渦中にいるようにしておくのです。そうすれば読み手は惹き込まれるように読み始めてくれます。

 一段落したり状況が変化したりしたタイミングで「プロローグ」で書きたかった内容を差し挟むのです。これなら「第一章」から始めても初期設定・舞台・世界観を読み手にじゅうぶん説明できます。


 ここまで読んで気づいた方がいらっしゃると思います。

 この「第一章」がそもそも「プロローグ」なのではないか、と。

 そのとおりなのです。

「プロローグ」の前に主人公が出てきて読み手はそれを認知します。その後に「プロローグ」を書くことで、理想的な「プロローグ」が書けるのです。

 どうしても「プロローグ」が書きたい方は、このように「第一章」の中もしくは「第二章」に「プロローグ」を入れ込んでしまいましょう。

 小説投稿サイトの連載小説なら、この手法が最も威力を発揮します。

 仮に「紙の書籍」化の依頼がきたのなら、そのとき改めて今回入れ込んだ「プロローグ」をいちばん前に出して、再構成すればよいのです。そうすれば「紙の書籍」として読み応えのある「プロローグ」に仕上げられます。

 小説投稿サイトではあくまでも「主人公から」始めましょう。初期設定・舞台・世界観の説明から入るから初見で切られるのです。





最後に

 今回は「プロローグは必要か」について述べました。

 小説投稿サイトでは基本的に「プロローグ」は不要です。あっても読み飛ばされるのがオチ。苦労して書いたのにまったく読まれません。それだけでなく、本編が始まっても読み手がそこまでたどり着けないのです。

 それでも読み手に説明しておきたいことがあるのなら、「第一章」の中もしくは「第二章」に入れ込んでしまいましょう。

 これなら読み手が「プロローグ」を読まされたと気づかれにくいのでオススメです。

 小説投稿サイトの作品は、まず「主人公を動かし」てください。



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