984.筆洗篇:舞台先のあらすじづくり【No.189補講】

 今回は「舞台先」のあらすじづくりについての補講です。

 舞台・世界観によってできることとできないことがあります。

 だから真っ先に舞台・世界観を先に作る書き手もいるのです。

 舞台・世界観から生み出された作品は、大作になることがほとんどでしょう。

 それは「設定したからにはすべて書きたい」と思ってしまうからです。





舞台先のあらすじづくり【No.189補講】


 異世界を舞台とした「剣と魔法のファンタジー」、宇宙やサイバー空間を舞台とした「SF」、現実世界を舞台とした「恋愛」「青春」「推理」など、舞台を先に決めてからストーリーを考える。これが「舞台先」「世界観先」のあらすじづくりです。




舞台によってできることとできないことがある

 小説のストーリーでは、舞台や世界観によってできることとできないことがあります。

 たとえば現実世界を舞台にした「剣と魔法のファンタジー」というストーリー。少なくとも現実世界に「魔法」はありませんから、基本的にはできません。

 しかし「魔法」をどう扱うかで、現実世界でも「剣と魔法のファンタジー」は作れます。


 たとえば川原礫氏『ソードアート・オンライン』は、VRMMORPG「ソードアート・オンライン」において、「魔法」の要素を極力排した浮遊城アインクラッドを舞台にしたファンタジー小説です。

「魔法」がないので、現実世界に直結する現実味リアリティーを確保し、それでも俗に言う「剣と魔法のファンタジー」として成立するために、コンピュータのサイバー空間という「SF」要素も取り入れた、近年稀に見る「舞台のかけ合わせ」によってストーリーが生み出されています。

 だからこそ「ソードアート・オンライン」での死が「現実での死」につながるという「デスゲーム」に現実味リアリティーを持たせられたのです。

 これがもし「魔法あり」という設定だったらどうでしょう。おそらく原作よりも「デスゲーム」の緊迫感サスペンスが薄れたはずです。傷ついたら魔法で治癒すればよい。その安心感があると、緊迫感サスペンスが薄れてしまいます。


『小説家になろう』でいう「ローファンタジー」、『カクヨム』でいう「現代ファンタジー」と呼ばれる作品では、魔法をどう扱うかで読み応えも変わってくるのです。

 たとえば「魔法あり」にすれば、危機に陥っても「一発逆転の魔法」が存在するかもしれない。


 鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』は特殊能力を持つ学生たちが活躍する「現代ファンタジー」です。最高位のレベル5に位置するヒロインの御坂美琴は、「超電磁砲レールガン」の能力を有して一撃必殺の破壊力があります。このような特殊能力が「魔法」に位置するのです。

 対して、主人公の上条当麻はレベル0つまり「魔法なし」のキャラになります。レベル0なのに学園都市で暮らしているというのは矛盾ですよね。美琴と比べてまったく役に立たない印象を受けます。しかしそれは物語の開始当初の話です。強力な敵が現れて当麻がピンチに陥ったとき、彼の右手に宿る特殊能力「幻想殺しイマジンブレイカー」が炸裂します。すべての特殊能力が無効化キャンセルされるその能力により、当麻は襲いかかってきた敵の攻撃をすべて無効化しながら近づき、拳でぶん殴って説教を垂れるのです。

 これは「魔法」を最も派手な形で取り入れた舞台(世界観)のストーリーです。

 普段暮らしているぶんにはまったく役に立たない「幻想殺しイマジンブレイカー」も、いざ戦闘となればほぼ最強に化けます。今なら「主人公最強」のキーワードが付くほどの大活躍です。これで爽快感を覚えないはずがありません。


 筒井康隆氏『時をかける少女』は現代日本が舞台です。中学三年生の芳山和子はふとしたことがきっかけで、時間を跳躍する「タイム・リープ」の能力つまり「魔法」を手に入れます。そして同級生で仲のよい浅倉吾朗や深町一夫たちとともに繰り広げるSF小説です。

 深夜に地震が起こって吾郎の隣家が家事になる。その翌日に吾郎とともに交通事故に巻き込まれそうになったところで、和子は突然時間を遡行したのです。偶然起こったこの現象に戸惑いながらも、吾郎と一夫に体験を打ち明けます。しかし信じてくれなかったので、地震と火事について「予言」しピタリと的中させたのです。それで和子の言うことをふたりとも信じてくれます。

 やがて自分の意志でタイム・リープできるようになった和子は、事件の真相を知るために四日前の理科室へと戻ることとなったのです。

 いわゆる「超能力」である「タイム・リープ」は「魔法」に当たります。

 現代日本が舞台であり、そこに「魔法」を持ち込むことで「ファンタジー」色を出したのです。

「超能力」はどちらかといえば「SF」に属します。著者の筒井康隆氏といえばやはり「SF」作家ですよね。

 しかし『時をかける少女』に関しては、不思議なことが起こり続けるストーリーなので「サイエンス・フィクション」というよりは、やはり「ファンタジー」と分類するほうが自然でしょう。


「現代ファンタジー」の例として三つ挙げました。

「魔法」があるから「ファンタジー」、ないから「ファンタジーではない」とはなりません。

 不思議なことが起これば、やはり「ファンタジー」なのです。




異世界と関係する現代ファンタジー

 ライトノベルでよく見られるものに、「異世界の住人が現実世界にやってきた」というストーリーがあります。

 このストーリーがよいのは「読み手の皆が暮らしている日常に、剣と魔法を持ち込んでも違和感を与えづらい」というところです。

 アニメの広江礼威氏『Re:CREATORS』はアニメやゲームの世界の住人が現実世界にやってくるストーリーになっています。

 クリエイターを夢見る主人公の水篠颯太の前に、アニメのヒロインであるセレジア・ユピティリアが現れるところから物語は始まります。彼女を現実世界に呼び出した軍服の姫君との戦いに巻き込まれるも、同様にゲームのキャラクターであるメテオラ・エスターライヒが現れて介入し事なきを得ます。

 現実世界でも「剣と魔法のファンタジー」が成立することを証明してみせた『Re:CREATORS』の功績は大です。

 まぁよくよく考えれば、現実世界だってすべてを把握している人はいませんし、知らないところで「剣と魔法のファンタジー」があっても不思議ではない。それならさまざまな作品が世に送り出されています。

 古いところではマンガの藤島康介氏『ああっ女神さまっ』や梶島正樹氏『天地無用!』で見られるように、現実世界で魔法が使われた例はあるんですよね。

「現代ファンタジー」だからといって、無理に「剣と魔法」の代わりを探す必要はありません。現実世界で「剣と魔法」そのものを使ってもよいのです。

 一度頭に固着したイメージは拭いがたいものがあります。もっと柔軟な考え方ができれば、現実世界で「剣と魔法」を最大限に活かしたストーリーを考え出せるのです。





最後に

 今回は「舞台先のあらすじづくり【No.189補講】」について述べました。

 ジャンルを決めると舞台(世界観)も決まってしまうことがあります。

 そのため「ジャンル先」と呼ぶあらすじづくりの手法も存在するのです。こちらは次回に言及致します。

 仮に現実世界が舞台だとして、「剣と魔法のファンタジー」をしてはいけないという法律も不文律もありません。工夫次第で現実世界で「剣と魔法のファンタジー」を実現している作品も数多くあります。

 また異世界が舞台だとしても、必ず「魔法」がある必要もありません。たとえばマンガの内藤泰弘氏『トライガン』は二重恒星(つまりふたつの太陽)を有する砂漠の惑星で「ガンアクション」が繰り広げられる作品です。

 異世界が必ず「剣と魔法のファンタジー」でなくてもよいのです。



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