筆洗篇〜小技集

954.筆洗篇:フィクション・レベルを決める

 今回から「筆洗篇」が始まります。

 さぁ皆さん。いよいよ小説を書き出す時期ですよ。

 小説を書く知識はすでにじゅうぶん手に入れています。

 あとは書き始める勇気を持つだけです。





フィクション・レベルを決める


 小説は自由です。

 なにを書いても、書いたものは作中に存在します。

 どんな嘘でも虚構フィクションでも書けてしまうのです。

 だからこそ「どこまでのフィクションを許容するのか」について、小説を書く前から決めておかなければなりません。

 それが「フィクション・レベル」です。




フィクション・レベルがないとなんでもありに

 もし作品に「フィクション・レベル」が規定されていなければどうなるでしょうか。

 まさに「なんでもあり」になります。

 マンガの鳥山明氏『DRAGON BALL』は当初、人間以外の人型生物も存在する地球が舞台でした。

 だから孫悟空が満月を見て大猿に変身したとしても「まぁ人間以外もいるわけだし、そんなこともあるだろう」と見てくれました。

 キーアイテムのドラゴンボールを集めるのは科学者のブルマです。彼女は自作のドラゴンレーダーを用いて「どこにドラゴンボールがあるのか」方角も距離もわかるというアイテムを持っていました。運用実績がほとんどないはずのドラゴンレーダーによって、次々とドラゴンボールの場所が判明していくのです。

 これって作者都合でしかありません。

 もしドラゴンボールを探すアイテムがなければ、ドラゴンボールを探し出すのは奇跡です。だからこそ七つ揃えればなんでも願いごとが叶います。ある意味「等価交換」が成立するのです。

 ですがドラゴンレーダーが方角と距離を示してくれるのですから、あとはルーチンワークとして、ドラゴンレーダーの示す場所をブルマと孫悟空が徹底的に探索します。そうやって一個ずつドラゴンボールを集めていくのです。

 なんでも願いが叶うドラゴンボールの存在する「フィクション・レベル」は最低限必要ですが、ドラゴンレーダーが存在する「フィクション・レベル」はそれよりも高くなければなりません。

 つまりオカルトの分野においてドラゴンボールが、科学の分野においてドラゴンレーダーが「フィクション・レベル」の頂点にあるのです。

 そうなれば、オカルトの分野で人類以外の人型生物がいたって不思議はありません。

 科学の分野ではドラゴンレーダーが最上のものです。これは「絶対」だったはずなのですが、フリーザ編が始まって「小型宇宙船」がいくつも地球にやってきたことで、「小型宇宙船」が科学の分野で最上のものになりました。

 となれば、相手の戦闘力が数値でわかる「スカウター」が存在しても不思議ではないのです。「小型宇宙船」に比べればたいした技術ではありませんからね。

 地球にやってきたフリーザの手下をすべて倒したら、フリーザのいるナメック星に乗り込むことになります。科学の分野で「地球外惑星」なんて「小型宇宙船」よりも上の「フィクション・レベル」ですし、そこに住む原住民ナメック星人もオカルトの分野では地球上の人型生物よりも「フィクション・レベル」は上です。

 つまり最初にドラゴンボールを集めていた頃と、フリーザ編とでは「フィクション・レベル」が異なっています。より引き上げられたのです。

 フリーザ編が終わって、孫悟飯とピッコロとクリリンがナメック星人のデンデとともに地球へ帰ってくると、今度は「人造人間」が現れます。

 さらに、未来の世界から「タイムマシン」でトランクスがやってきて科学の進歩に寄与するのです。

 その影響からか、人造人間17号と18号を吸収して完全体となるセルが新たに誕生し、「人造人間」よりもさらに上の科学が生まれました。

 このように『DRAGON BALL』は、「フィクション・レベル」がどんどん上がっていった作品でもあったのです。

 もはや「なんでもあり」の状態と言ってよいでしょう。

『DRAGON BALL』が魔人ブウ編で終わったのも、「フィクション・レベル」が上がりすぎて「なんでもあり」を極めてしまったからです。

 だからアニメ・オリジナルの『ドラゴンボールGT』『ドラゴンボール超』は、本当に制限がなく「なんでもあり」になりました。


 小説で「なんでもあり」に設定してしまうと、まったく面白みがなくなります。

 制限があるからこそ、そこにどんなオカルトや科学があるのかを追求できるのです。

 小説では「フィクション・レベル」を意図的に落としたほうがよいでしょう。

 たとえば「主人公は空を飛べる」「主人公はタイムリープできる」「主人公は他人と入れ替われる」というたったひとつの「フィクション」が成立する「フィクション・レベル」に設定したほうが、物語は俄然面白くなります。




名作ほどフィクションの数は少なくなる

 マンガの手塚治虫氏『鉄腕アトム』は、十万馬力のロボット・アトムが主人公です。

 各種のロボットが人々を助ける「未来」という設定ですから、かなり「フィクション・レベル」の高い物語になっています。

 同じく手塚治虫氏『ブラック・ジャック』は、天才外科医ブラック・ジャックが主人公です。こちらは医学をテーマにした、「フィクション・レベル」のかなり低い物語となっています。

 つまり手塚治虫氏は、創作を続けていくうちに「フィクション・レベル」を意図的に下げていく努力をしました。

 氏のライフワークとなった『火の鳥』は「フィクション・レベル」が高くなりがちなテーマです。しかし可能なかぎり「フィクション・レベル」を下げて現実味リアリティーを追求していました。


 アニメで手塚治虫氏の跡を継いだのは松本零士氏です。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』などを次々とアニメ化し、人間ヒューマンドラマで視聴者を獲得していきました。しかし『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』ともに「フィクション・レベル」は高く、どちらも地球のある太陽系が属する天の川銀河よりさらに遠い銀河へと赴く物語です。さまざまな人型生物が主人公たちの行く手に現れます。


 そんな「フィクション・レベル」の高い風潮の中で爆発的なヒットを記録したのが、富野由悠季氏です。とくに『機動戦士ガンダム』の劇場版三部作によって業界のリーダーとなります。『機動戦士ガンダム』の特徴は、現代からそう遠くない「未来」にモビルスーツと呼ばれる巨大ロボットが存在する、という「フィクション・レベル」がそれほど高くない物語でした。科学の「フィクション・レベル」は「モビルスーツ」と「ミノフスキー粒子」が最上で、オカルトの「フィクション・レベル」は「ニュータイプ」が最上と規定されています。限りなく現実に近い設定で「リアル・ロボット」路線の先駆けとなりました。


『機動戦士ガンダム』劇場版三部作以降、アニメ業界を牽引した富野由悠季氏ですが、これに待ったをかけたのが宮崎駿氏です。『ルパン三世 カリオストロの城』での「フィクション・レベル」の低い現代劇や、『未来少年コナン』での荒廃した地球という「フィクション・レベル」がある程度高い創作劇をカバーし、人気クリエイターとなりました。とくに『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』によってアニメ監督として不動の地位を確立し、以後のアニメ映画に多大な影響を与えたのです。『となりのトトロ』で「フィクション・レベル」の低い作品もヒットさせてはいます。しかし代表作となる『千と千尋の神隠し』『もののけ姫』は「フィクション・レベル」がかなり高い。それでありながらも、普遍的な心のつながりを重視したのです。結果、多くの観客を動員しました。


 宮崎駿氏率いるスタジオジブリの快進撃は、氏の引退宣言によってブレーキがかかり、次代を担うクリエイターが数多く現れます。

 押井守氏、細田守氏の名を数多く見ましたし、スタジオジブリの宮崎吾朗氏など、新世代のクリエイターが名乗りを上げました。『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明氏も期待されましたが新劇場版が遅れに遅れたことでレースから脱落。そうして宮崎駿氏に迫るだけの大ヒット作は生まれませんでした。

 そんな閉塞感の中で一躍頭角を現したのが『君の名は。』の新海誠氏です。最新作『天気の子』も好調な氏の作品は、徹底した現実味リアリティーの中にアクセントとして「フィクション」をひとつ混ぜた作品が多い。『君の名は。』で知られるようになった背景の現実味リアリティーを追求した美しさは、ただの背景なのに人々の心を震わせるほどです。


 以上のようにアニメ史を俯瞰で見れば、時代を経るごとに「フィクション・レベル」がどんどん下がってきているのがわかるのではないでしょうか。

 そうなのです。

 今売れている作品は総じて「フィクション・レベル」が低い。

『小説家になろう』のトップランカーたちによって作られた「なろう系」の作品は、紙の書籍化もアニメ化もされやすいのですが、大ヒットを飛ばすまでには至りません。

 数多くアニメ化されたライトノベルとして川原礫氏『ソードアート・オンライン』、鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』のふたつが挙げられます。

 ともに古くから続くライトノベルですが、構造は「なろう系」と根本的に異なっているのです。

 それは「フィクション・レベル」が低いこと。

 たったそれだけのことです。




大ヒット作はフィクションが少ない

「なろう系」は異世界へ転生して成り上がる物語、勇者パーティーから追放されひとつのスキルを極めて無双する物語、恋愛ゲームの世界へ転生して悪役令嬢となる物語と大きく三つの潮流があります。

 いずれも「異世界」の物語ですから必然的に「フィクション・レベル」が高まってしまうのです。

 しかし『ソードアート・オンライン』はSFジャンルのVRMMO、『とある魔術の禁書目録』は現代ファンタジーであり、ともに「フィクション・レベル」は低く設定されています。もちろんゲーム内世界での無双であったり、敵の異能力を無力化したりと、限られた範囲内での「フィクション」は設定されているのです。でも明確な「フィクション」はそれだけ。あとは徹底した現実味リアリティーの追求によって構成されています。

 だからこそ、ライトノベルにさほど興味のない人たちをも飲み込んで大飛躍を遂げた作品となりえたのです。

 あなたが書きたい小説は「なろう系」でしょうか、『ソードアート・オンライン』や『とある魔術の禁書目録』のような作品でしょうか。

 そこまで考えたとき、「なろう系」の限界に気づくはずです。

「なろう系」は確かに紙の書籍化されやすく、またアニメ化もされやすい。それは『小説家になろう』と提携している出版社レーベル、アニメ制作会社の数が多いからです。

 しかし『ソードアート・オンライン』『とある魔術の禁書目録』ほどの大ヒットを記録した「なろう系」はまったくありません。

 業界の入り口として「なろう系」は間口が広いのです。その代わり大ヒットはしない。

 1クール全12話の「使い捨てアニメ」が量産される結果を生んでいます。

 アニメ制作会社も、できれば『ソードアート・オンライン』や『とある魔術の禁書目録』のような大ヒット作を手がけたいと思ってはいるのです。

 なにせアニメ制作会社の実入りは、テレビ放映によるスポンサー収入だけでは赤字であり、DVD&Blu−ray及び関連グッズが売れなければ黒字転換しません。

「なろう系」の限界を実感したアニメ制作会社は、よほど惚れ込んだ「なろう系」でなければアニメ化したいと思わなくなったのではないでしょうか。それが近頃『小説家になろう』のメディアミックス戦略が低迷している理由かもしれません。

 悪しき先例が積み重なってしまったのですね。

 全盛期のような、「なろう系」の紙の書籍化やアニメ化はもう望めないのではないでしょうか。

 それを感じ取った出版社レーベルが、独自の小説投稿サイトを相次いで開設し、「なろう系」でない作品を募っているのです。

「なろう系」は『小説家になろう』でなければランキングに載らない。それほど気骨のある小説投稿サイトはまだありません。今のところどの小説投稿サイトでも「なろう系」の流民たちがランキングの上位に存在します。しかしそういった「なろう系」は、たとえトップランカーであっても紙の書籍化やアニメ化には程遠くなりました。小説投稿サイトを運営している出版社レーベルとしては切り捨てたい作品なのです。

 出版社レーベルが新設した小説投稿サイトには「なろう系」ではない作品を投稿しましょう。

 それがあなたの未来を切り開きます。





最後に

 今回は「フィクション・レベルを決める」ことについて述べました。

 物語には「オカルトのフィクション」と「科学のフィクション」があります。

 この上限を決めていなければ、その作品は「なんでもあり」の状態になって、手に負えなくなるのです。

 そして現在の創作界において、フィクションはできるかぎり少ないほうがよい。

 フィクションはひとつで、残りは徹底した現実味リアリティーで構成された作品が大ヒットを飛ばす時代なのです。

 いつまでも「なろう系」のテンプレートに頼らず、現実味リアリティーを追求してください。

 圧倒的な現実味リアリティーには、読む人を吸い込むだけの磁力があります。



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