926.文法篇:文末を豊かにする
今回は「文末の多様性」についてです。
私は村上春樹氏のように何十文も文末を「〜た。」で書くなんてできません。
文末が変化しているからこそ、読み手を退屈させずかつ読みやすく仕上がります。
文末を豊かにする
日本語の文末には「だ・である体」と「です・ます体」があります。
一般的に小説で用いるのは「だ・である体」です。
なぜでしょうか。文末が豊かになるからです。
しかし、品のよい人物が主人公の一人称視点であれば「です・ます体」で書いたほうがピタリと当てはまります。
でもそんな人物が主人公になることはまずありません。
主人公にはさまざまな
品のよい人物が乗り越えていく姿を想像できるでしょうか。
小説における「です・ます体」の限界
長編小説は十万字以上にも及ぶ長い文章を読ませる一次元の芸術です。
長丁場で同じような文末が続いてしまうと、読み手は楽しく読めません。
同じ文末が続いている。似た文末が繰り返し書かれている。
そう感じただけで、十万字以上を読む気力がわかないのです。
「です・ます体」の限界は、乏しい「文末の豊かさ」にあります。
名詞文「彼は新社会人です。」、動詞文「彼は走ります。」、形容詞文「彼は忙しいです。」、形容動詞文「彼は物静かです。」があるとします。
この中で形容詞文と形容動詞文はできるかぎり小説では用いないようにするべきです。それでも書きたい場面もあります。ですのであえて書き添えました。
文末を見てみましょう。
名詞文、形容詞文、形容動詞文の文末は「です。」です。動詞文の文末は「ます。」になっています。
つまり文末は「です」と「ます」の二種類しかないのです。
「文末が豊か」だと言えますか。言えませんよね。
そこで「です。」と「ます。」を活用してみましょう。
問いかけ「ですか。」「ますか。」、推量「でしょう。」「ましょう。」、過去「でした。」「ました。」、仮定「でしたら。」「ましたら。」、否定「ません。」
たったこれだけです。
全部で十一種類しかありません。
文末をひとつずつ異なるように使ったとしても、直近ではどうしても同じ文末だらけになります。とくに仮定なんて日常遣いの言葉ではありません。
だから基本的は「です。」「ます。」の二つだけだと思ってください。
ただし、形容詞文「彼は忙しいです。」は「だ・である体」に変換すると「彼は忙しいだ。」となってしまいます。これではどこかの方言のようです。
そこで「彼は忙しいのだ。」として、これを「です・ます体」に変換した「彼は忙しいのです」を用いる手があります。
さらに「だ・である体」で「彼は忙しい。」と書いたら、「です・ます体」に変換しても「彼は忙しい。」と書けるのです。
そうすれば形容詞文の文末「しい。」「い。」が使えますから、表現の幅は少し広がります。
また「体言止め」を使えば、文末のバリエーションは増やせます。
ですが「体言止め」は劇薬です。使いすぎるとなにが言いたいのかわかりにくくなるのです。
小説の基本「だ・である体」のよさ
では「だ・である体」を見てみましょう。
名詞文「彼は新社会人だ。」、動詞文「彼は走る。」、形容詞文「彼は忙しい。」、形容動詞文「彼は物静かだ。」があるとします。
文末は「だ。」「る。」「い。」の三種類です。
――と思った方、少し考えてください。
動詞文の文末は、必ず「る。」なのでしょうか。
たとえば「会う」「書く」「指す」「立つ」「死ぬ」「忌む」「嗅ぐ」「叫ぶ」の五段活用動詞、「いる」「得る」などの上一段活用、下一段活用の動詞。「来る」のカ行変格活用動詞、「する」のサ行変格活用動詞などがあります。
その他古語の動詞も含めれば、動詞文の文末はさらに増えるのです。
上記した動詞文の文末文字は十三種類あります。
これに否定「走らない。」、仮定「走れば。」「走るなら」、命令「走れ。」、過去「走った。」、誘い「走ろう。」が加わります。これを合わせれば動詞文だけで十九種類です。
名詞文・形容動詞文「新社会人だ。」「物静かだ。」も否定「新社会人でない。」「物静かでない。」、仮定「新社会人なら。」「物静かなら」、過去「新社会人だった。」「物静かだった。」、推量「新社会人だろう。」「物静かだろう。」、連体形「物静かな」と六種類あります。このうち「ない。」「なら。」「た。」「う。」は動詞文と同様なので特異なのは二種類だけです。
形容詞文「忙しい」は否定「忙しくない。」、仮定「忙しければ」「忙しいなら」、過去「忙しかった。」、推量「忙しかろう。」の六種類。うち「い」「ない」「れば」「なら」「た」「う」は動詞文・名詞文・形容動詞文で重複していますので、特異なものはありません。
こちらも「体言止め」を使うことで、数多くの文末を生み出せます。
過去の話をするときに現在形も混ぜる
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去年は戌年だった。あれはまだ二月であった。ふたりは仲良く暮らしていた。しかし別れ話は突然訪れた。私たちはあんなに愛しあっていた。なのに彼はさりげなく「もう別れたほうがいい。それがふたりのためだ」と言ってきた。その日から私たちはぎくしゃくし始めた。もう元の関係には戻れそうになかった。
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ここまで書いて「やっぱり自分には、すべて過去形の文章は書けない」とわかりました。
「文末を豊かにする」という一点から見れば、八文も「た。」を繰り返したこの文章はどう映るのでしょうか。
ナンセンスですよね。
過去の話をするから、「過去のことはすべて過去形で書かなければならない」という規則はありません。
過去の話の中でも、とくに過去形にするまでもない場合、現在形にしたほうがリアリティーを感じられる場合では、その文を現在形に置き換えるべきです。
例文でどの文を現在形にすると生きてくるか考えてみましょう。
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去年は戌年だ。あれはまだ二月であった。ふたりは仲良く暮らしていた。しかし別れ話は突然訪れる。私たちはあんなに愛しあっていた。なのに彼はさりげなく「もう別れたほうがいい。それがふたりのためだ」と言ってくる。その日から私たちはぎくしゃくし始める。もう元の関係には戻れそうにない。
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例文の出来が悪いのであまり変えようがなかったのですが、とりあえず五文を現在形に直しました。
「去年は戌年だ。」は今から見ての「去年」ですから、この文を過去形にするとおかしなことになります。
「しかし別れ話は突然訪れる。」は現在形にして躍動感を出せば、読み手にぐっと訴えかけてくるのです。
「なのに彼はさりげなく「もう別れたほうがいい。それがふたりのためだ」と言ってくる。」も現在形にして躍動感を引き出したい。
「その日から私たちはぎくしゃくし始める。」も「去年は戌年だ。」と同様、今から見ての「その日から」なので、現在形のほうがすっきりします。
「もう元の関係には戻れそうにない」は「なかった。」でもよいのですが、前の文が現在形なので、過去形で終わると格好がつきません。ここは書き手のセンスの問題です。
最後に
今回は「文末を豊かにする」ことについて述べました。
小説の地の文が単調にならないためには、「だ・である体」を用いるべきです。
品のよい人物が主人公の一人称視点なら「です・ます体」で書いてもよいのですが、躍動感の少ない地の文になります。
どうしても「です・ます体」でなければ駄目なんだ。
そういう場合以外は素直に「だ・である体」を用いましょう。
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