918.文法篇:らしい、そうだ、ようだを使い分ける
今回は「らしい」「そうだ」「ようだ」の推量文末三種の使い分けについてです。
これらを使い分けられると、カン働きも書けるようになります。
応用が広いので、この機会にしっかりと役割を確認しておきましょう。
らしい、そうだ、ようだを使い分ける
推量の文末表現は主に「らしい。」「ようだ。」「そうだ。」の三つです。
使い分けできていないと、ちぐはぐな文章に仕上がってしまいます。
そこで今回は三種の推量文末の違いを見ていきましょう。
根拠のある「らしい」
推量表現で最も用いるのが「らしい」です。
「らしい」は確実な根拠に基づいて推量する場合に使います。
たとえば「天気予報によると明日は雨らしい。」「今日の体育は十キロも走るらしい。」はともに根拠が確実です。
前者は「天気予報」に根拠を求めています。後者は「確かな筋からの話」に根拠を求めているのです。
これを「天気予報は見ていないけど明日は雨らしい。」と書いたらどうなるか。
「明日は雨」という推量にはまったく根拠がありません。
なのに「らしい。」で終わっているので、語り手はどこから「明日は雨」という情報を仕入れたのでしょうか。
もし語り手のカンであれば、これほど無責任な話はありません。
語り手が兆候を捉えて「明日は雨」と言いたいのであれば、「天気予報は見ていないけど明日は雨のようだ。」でなければなりません。
直感の「そうだ」
「天気予報によると明日は雨になりそうだ。」「今日の体育は十キロも走りそうだ。」はともに語り手の憶測が混じった推量で表現した形です。
これを「天気予報は見ていないけど明日は雨になりそうだ。」と書いたらどうなるか。
「語り手の憶測」で「明日は雨になる」と感じているので、「天気予報」という情報源がなくても成立します。
ここに「らしい」との差が表れているのです。
「天気予報は見ていないけど明日は雨になるらしい。」はどこから情報を得たのかがわからないため文として成立していません。
「天気予報は見ていないけど明日は雨になりそうだ。」は情報源がなくても、語り手の感覚だけで書けるため文として成立するのです。
「なにやら雨が降りそうだ。」を「なにやら雨が降るらしい。」と書き直せばわかりやすいかもしれません。
「そうだ」には自発的な気づきを感じさせますし、「らしい」にはどこからか情報が入ったように映ります。
「今日の体育は十キロも走りそうだ。」も情報源には触れず、語り手の憶測だけを書いています。「らしい」のような情報源がなくても語り手の気づきやカンで書けるのです。
おわかりいただけないかもしれません。
この「そうだ」は「カン」を文中に直接書ける魔法のフレーズなのです。
「このまま留まれば雪崩に遭いそうだ。」は「カン」を書いています。
「このまま留まれば雪崩に遭うらしい。」は情報源から仕入れている定かでない情報です。
「スーツがキツそうですね。」も、語り手の気づきやカンが表されています。
兆候を捉える「ようだ」
「天気予報によると明日は雨になるようだ。」「今日の体育は十キロも走るようだ。」も語り手の気づきを書いた推量表現です。
これを「天気予報は見ていないけど明日は雨になるようだ。」と書いたらどうなるか。
情報源を遮断しても文として成立しています。
語り手には「雨が降る」兆候が感じられている。そんなニュアンスです。
ということは「そうだ」と同じように気づきやカンが混じっているのではないでしょうか。
試しに直接比べてみます。
「今日の体育は十キロも走りそうだ。」
「今日の体育は十キロも走るようだ。」
違いがわかりましたか。
「そうだ」は自発的な気づきやカンによるものです。
「ようだ」は外的な兆候を捉えた気づきやカンということになります。
つまり自発的なのか受動的なのかの差があるのです。
「なにやら雨が降るようだ。」は雨雲が迫ったり太陽が遮られたり霧雨が舞っていたりなど、兆候を捉えて気づきやカンを得ています。
「このまま留まれば雪崩に遭うようだ。」も事前に兆候を捉えて「危険だ」という気づきやカンが働いているのです。
つまり理論で説明できる気づきやカンは「ようだ」、理論によらない自発的な気づきやカンは「そうだ」を使えばよいということになります。
「カン」を表現する
小説で主人公の「カン」を書くのはひじょうに難易度が高い。
それを「そうだ」「ようだ」で書けるのは正直ありがたいのです。
内在的な気づきやカンは「そうだ」、外的な兆候を捉えた気づきやカンは「ようだ」を用います。
それだけのことで「カン」つまり直感を書くことができるのです。
未来予知の形にすると違いがわかりやすいかもしれません。
「明日、南海トラフ地震が起こりそうだ。」
「明日、南海トラフ地震が起こるようだ。」
「起こりそうだ」には語り手の内から湧き出る気づきや「カン」が働いています。つまり理屈や兆候ではないのです。どうにも今のままだと「起こる」可能性が高いのではないか。そう感じるから「起こりそうだ」と言います。
「起こるようだ」は外的な兆候を捉えて導き出される気づきや「カン」です。つまり理屈がそれなりにあります。これだけの前兆があれば、明日には南海トラフ地震が起こっても不思議ではない。そう思わせられます。
「カン」を表現するのは至難の業です。
だからこそ表現できれば、それだけでひとつレベルの高い小説が書けるようになります。
天才が登場する小説は数多くあります。
彼ら彼女らの天才ぶりを表現するため、積極的に「カン」を書いていきましょう。
最後に
今回は「らしい、そうだ、ようだを使い分ける」ことについて述べました。
いずれも推量表現ですが、使える状況には差があります。
根拠のある「らしい」、内から湧き出る気づきやカンの「そうだ」、外的な兆候を捉えて導き出される気づきやカンの「ようだ」。
この違いがわかれば、天才の「カン」の書き方もわかるはずです。
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