909.文法篇:具体的と抽象的

 今回は「具体的と抽象的」についてです。

 具体的に書く利点と、抽象的に書く利点。

 実用文では「具体的」に分がありますが、小説ではどうでしょうか。





具体的と抽象的


 よく実用文において「文は具体的に書いてください」と指導されます。

「その袋は一円玉ほどの重さしかない。」という文なら「その袋は一グラムほどしかない。」ときちんと数字を出せというわけです。

 しかし小説においては具体的に書くよりも、抽象的に書いたほうが読み手に伝わる場面が多くあります。




具体的に書く利点

 具体的に書く利点は、誰が読んでも同じものが伝わることです。

「雲に隠れる東京スカイツリー」と書くより「高さ六三四メートルの東京スカイツリー」と書いたほうがよいと言われています。誰が読んでも同じ高さを認識できる点で有利だからです。

「売上が急落した。」と書くより「売上が百万円から二十万円に急落した」と書けば、五分の一にもなったのか。それはかなりの下落だな、と誰が読んでも同じ認識になります。

「徹夜で校正の最終確認をする。」よりも「校了日が迫ったので、徹夜で校正の最終確認をする。」のほうがわかりやすい。さらに「校了が明朝七時に迫ったので、徹夜で校正の最終確認をする。」と書いたほうが明確ですよね。


 また電車に乗っているときに急ブレーキがかかり、止まってから「しばらくお待ちください。」と言われるよりも「五分ほどお待ちください。」と言われたほうが、待ち時間の見当がついてわかりやすいのです。

 しかしこれだけでは受け手にやさしくありません。なぜ「五分ほど待たなければならないのか」の理由が示されていないからです。

「線路内に人が立ち入った信号を検知し、現在確認を急いでおります。確認が終わるまで五分ほどお待ちください。」

 これならなぜ「五分ほど待たなければならないのか」の理由も示されてありますから、格段にわかりやすいはずです。


 数値で書けるものは、基本的に数値で書く。

 理由がわかっているのなら、基本的に理由も書く。

 これは文章全般で言われます。

 しかし小説では具体的な数値を書いても、読み手に等しく認識させられるとは限らないのです。

 たとえば距離を表す「」という単位があります。

 これは一般的に約四キロメートルを指すのです。しかし同じ「里」も中国では五百メートルであり、朝鮮では約四百メートルに相当します。

 つまり同じ単位で数字を使ったとしても距離に差が生じるのです。日本と朝鮮では十倍もの違いになります。




抽象的に書く利点

 小説は絶対的な数値が必ずしも求められません。もちろん書いてあったほうが親切なのです。

 しかし「二メートル五十センチほど」と書くか「二メートル半ほど」と書くか「四歩の距離」と書くか。どれが正解だと思いますか。

 数字に細かい性格の視点保有者なら「二メートル五十センチほど」と書いたほうが、性格を的確に表現できるのです。

 大雑把な性格の視点保有者なら「四歩の距離」くらいざっくりと書いたほうがよい。

 剣術活劇なら「迎撃距離」「絶対防衛線」という抽象的な表現だけにして、「いかにもそれっぽい」雰囲気を醸し出したほうがよい場合も多いのです。

 剣術を主眼に置いた兵法書である宮本武蔵氏『五輪書』にも「何尺何寸」という明確な長さは書かれていません。

 また世界最古にして最高の兵法書と称される孫武氏『孫子』も「遠い」「近い」「大きい」「小さい」「多い」「すくない」という抽象的な形容詞が多用されていて、具体的な距離や長さの単位は出てきません。よくて「一日に千金を費やす」とお金の単位が出てくるくらいで、これも「こんなに大金がかかるんですよ」という「比喩」として使っているに過ぎません。

 だからこそ、洋の東西を問わず「世界最古にして最高の兵法書」と称されるようになったのです。

 抽象的に書くと応用が利きます。

「遠い」とはレーダーの範囲外であり、「近い」とはレーダーの範囲内のことである。と解釈しても『孫子』の示した法則に乱れは出ません。

「十万の兵」を「多い」とし、「三万の兵」を「少ない」と解釈してもよいのです。

もちろん「一万の兵」との比較ならこちらが「少なく」、「三万の兵」が「多い」ことになります。




どちらかが正解は無い

「真ん丸の眼をかっと見開き、鋭い視線を投げかけている。」と客観的で具体的に書くか。

「獰猛な大型ネコ科動物のような鋭い視線を投げかけてくる。」と比喩を用いて抽象的に書くか。

 小説においては、どちらかが正解ではありません。

 ある場面シーンでは客観的で具体的な描写が正解で、別の場面シーンでは比喩を用いた抽象的な描写が正解なのです。

 たとえば視線を向けられた当事者なら、比喩を用いた抽象的な描写のほうが、受ける印象を的確に表現できます。

 もし他人へ向けられた視点なのであれば、客観的で具体的な描写をするほうが、傍観者の視点としては正しい表現です。

 視点保有者か傍観者かだけでも、正解は入れ替わります。

 客観的で具体的に書いたほうがよいのか。比喩を用いて抽象的に書いたほうがよいのか。

 今書いている場面シーンでは、どちらで描写するのが正解なのか。

 つねに考えながら書いてください。

 その積み重ねでしか、正しい描写は身につきません。




専門用語は初めて書いたときだけ説明する

「VRMMORPG」は今では「テンプレート」になってしまい、説明するまでもない存在となっています。

 しかし始祖となった川原礫氏『ソードアート・オンライン』では、「ナーヴギア」や「VRMMORPG」の説明に紙幅を割いているのです。

 今読むと野暮ったさを感じる方もいらっしゃるでしょうが、『ソードアート・オンライン』発表当時は斬新すぎて、読み手がついてこられないと思われていました。

 だから「VRMMORPG」とはどんなものか、それを実現するデバイス「ナーヴギア」とはどんなものかについて、しっかりと読み手へ説明しているのです。

 しかし、各章で何回も説明することはありません。

 説明するのは、初めてその専門用語を使ったときだけです。

 毎回同じ話を聞かされるのは、老人を相手にしているようで、とても骨が折れます。


 たとえば「剣と魔法のファンタジー」で魔法使いの役に立つ「使い魔」という存在がいます。

 主人が命令すれば、それをこなしてくれる便利な存在です。

 しかし「剣と魔法のファンタジー」を読み慣れていないと、読み手は「使い魔」ってなに? という状態になります。

「使い魔」と書くとき、読み手が「使い魔」を知らないかもしれないと先読みできるかどうか。

 読み慣れている方には、どんな存在かは単語だけでわかります。しかし読み慣れていないとわからないのです。

 だから「カレンは黒猫のニッキーを使い魔にしている。使い魔とは主人の代わりに雑用をこなしてくれる便利な存在だ。」のように書く必要があります。

「読み手の多くが知っているだろうから、説明しなくていいや」という考え方では、せっかくの読み手を多く失ってしまうものです。

 先ほども書きましたが、専門用語は初出時にだけ説明しましょう。毎回出てくるたびに説明すると野暮ったくなります。





最後に

 今回は「具体的と抽象的」について述べました。

 客観的で具体的な表現のほうが適している場面シーン、比喩を用いて抽象的に表現したほうが適している場面シーンというものがあるのです。

 どんな場面シーンにどちらが適しているのかは、数を書いて憶えてもらったほうが身につきます。

 横着してしまうと、小説を書く才能のひとつ「描写力」が育ちません。

 ヒントは書きました。

 そこから手探りで見つけ出していきましょう。

 自分で手に入れた真実は、あなたを裏切りません。

 また、専門用語には必ず注釈を書くようにしてください。注釈を入れるのは初出時だけでかまいません。「知らない読み手もいるんだ」という意識を持って注釈を書きましょう。



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