907.文法篇:かかりと受けを近づける

 今回は「かかりと受けを近づける」ことについてです。

 副詞を動詞に近づける。形容詞・形容動詞を名詞に近づけましょう。





かかりと受けを近づける


「かかり」と「受け」には主に、「副詞」を受ける「動詞」、「形容詞」「形容動詞」を受ける「名詞」があります。




副詞を動詞に近づける

「副詞」は「動詞」に対する修飾語です。

 たとえば、

「しばらく東京へ行った息子家族が帰省するのを待った。」

 という文があります。

 この「しばらく」という「副詞」はどの「動詞」に対する修飾語でしょうか。

「行った」でしょうか。


「東京へしばらく行った息子家族が帰省するのを待った。」

 なにか噛み合いませんね。

 では「帰省する」でしょうか。


「東京へ行った息子家族がしばらく帰省するのを待った。」

 こういうこともありますが、文全体を見ると違和感があります。

 これでは帰省してくる息子家族はしばらく滞在するように読めてしまう。

 であれば「待った」でしょうか。


「東京へ行った息子家族が帰省するのをしばらく待った。」

 文全体を俯瞰すると、言いたかったのはおそらくこれです。

 これで受ける「動詞」のニュアンスがすんなりと伝わりますよね。

 かかる「副詞」は受ける「動詞」の直前に置く、という前提の正しさがおわかりいただけましたか。


 では「ようやく一日中降り続いた雨がやんだ。」はどうでしょうか。

 一回練習しましたので正解はわかりますよね。

 かかる「副詞」は「ようやく」、受ける「動詞」はどちらなのか。

「一日中降り続いた雨がようやくやんだ。」 が正解です。もし、

「一日中ようやく降り続いた雨がやんだ。」

 と書いてしまうと、雨乞いをしてようやく雨が一日中降り続いてくれたのに、それがやんでしまった、かのように受け取られます。


 このような解釈の誤りを起こさせると、読み手はすぐに感情移入していた物語世界から現実へ引き戻されてしまうのです。

 とくに「副詞」と「動詞」の間に「名詞」を入れると起こりやすい、というプチ情報も憶えておきましょう。


 また「副詞」は時に「形容詞」や「名詞」などにかかるものがあります。

「もっと速く走れ。」の副詞「もっと」は動詞「走れ」にかかっているように見えて、実際は形容詞「速く」にかかっているのです。

 仮に動詞「走れ」を削除すると「もっと速く。」となり、スピードアップを目的としたかかり受けになります。

 今度は形容詞「速く」を削除すると「もっと走れ。」となり、回数を上げることを目的としたかかり受けとなるのです。

 では全体を見て、どのような文意なのかを確認してみましょう。

「もっと速く走れ。」つまりスピードアップを目的としたかかり受けになっているのです。副詞「もっと」が「速く」にかかっていることが明確になりました。

 では「名詞」にかかってみましょう。

「およそ七メートル跳躍した。」の副詞「およそ」は「七メートル」という「名詞(数詞)」にかかっています。もし「七メートルの」を削除したら「およそ跳躍した」となり、なにか変ですよね。

 逆に「跳躍した」を削除したら「およそ七メートル」となり、こちらはある程度想像できます。

 これで副詞「およそ」が名詞(数詞)「七メートル」にかかっていることが明確になりました。

 この他にも「副詞」の重ねもあります。「もっとゆっくり走れ。」は副詞「もっと」「ゆっくり」と副詞がふたつ用いられています。そして「走れ」を省いても「もっとゆっくり」となり、ある程度どんな状況なのか明確です。




形容詞・形容動詞を名詞に近づける

 こちらも考え方は「副詞と動詞を近づける」と同じです。

 かかる「形容詞」「形容動詞」を受ける「名詞」に近づけます。

 これで誤解はかなり防げます。

 たとえば「清い男女の交際を続ける。」という文があります。

「清い」のは「男女」でしょうか「交際」でしょうか。

 普通に考えると「清い」のは「男女」のほうです。

「清廉な男女による交際」を指していますが、肉体関係があっても成立する文になりますよね。

 もし「交際」が「清い」のであればどうなるか。

「男女の清い交際を続ける」と書けば、「清い」のは「交際」であり、肉体関係を持たない純愛プラトニック・ラブになります。

 ですので、かかる「形容詞」は受ける「名詞」の直前に置くべきなのです。


 次は「形容動詞」を見てみましょう。

 たとえば「愚かな父親の息子だな。」という文があります。

「愚かな」のは「父親」でしょうか「息子」でしょうか。

 こちらも普通に考えると「愚かな」のは「父親」のほうです。

「息子の賢さや愚かさ」についてはわかりません。少なくとも「父親が愚か」であることだけはわかります。

 もし「息子」が「愚かな」のであればどうなるか。

「父親の愚かな息子だな。」と書けば、「愚かな」のは「息子」であり、「父親」の賢さや愚かさはわかりません。省略されていると解釈すれば、「息子」をあえて「愚かな息子」と書いたわけですから、父親は「愚かでない」ことになります。

 ですので、かかる「形容動詞」は受ける「名詞」の直前に置くべきなのです。





最後に

 今回は「かかりと受けを近づける」ことについて述べました。

「主語と述語を近づける」も、見方を変えれば「かかりと受けを近づける」ことでもあるのです。

 文意がわかりやすくなれば、それだけ誤った解釈をされなくなります。

「伝わる」文が書けるようになるのです。



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