889.惹起篇:ひらがな・カタカナで書きたいもの

 今回は表記の問題についてです。

 推敲のときにチェックするものですが、執筆時から意識しておくと推敲が楽になります。





ひらがな・カタカナで書きたいもの


 現在、小説はPCで書かれています。日本語漢字変換入力ツール(古くはFEPフロントエンドプロセッサとも。Microsoft「IME」、JUST SYSTEM「ATOK」、Apple「ことえり」、Google「日本語入力ツール」など)が普及した結果、これまで漢字で書かれなかった言葉も漢字で書けるようになったのです。

 しかし弊害もあります。とにかく漢字を使いまくる書き手が多くなりました。




漢字は表意文字

 漢字は表意文字であり、一字に意味を持たせられます。

「牛」は牛乳を絞ったり、お肉を食べたりして我々が日頃お世話になっている動物です。

 では「栗鼠」はどうでしょうか。栗色のネズミ、栗を食べるネズミ。イメージできましたか。答えは「リス」です。

 では「獏」はどうでしょうか。意味どころかそもそも読み方がわからない人もおられますよね。答えは想像上の生き物「バク」です。夢を食べる動物とされています。でも文字のどこにも「夢を食べる」なんて書いていませんよね。ちなみに「莫」には「無い」という意味があります。砂漠の「漠」の字は「水が無い」という意味です。だから「獏」を表意文字として解釈すれば「動物が無い」ということになります。「獏」が「夢を食べる」ので「夢が無くなる動物」と考えれば、じゅうぶん表意文字として機能しています。(プロの夢枕獏氏で読みは知っている方もいらっしゃると思います)。

 ならば「麒麟」はどうでしょうか。これはすんなり読める方が多いはずです。読みは「キリン」。しかし、我々が知っている「首の長い鹿のような動物」ではないのです。中国で「天翔ける鹿」のようなイメージをしています。一角獣の仲間とするものもあるのです。古代中国では「瑞獣」つまり「よいことが起こる前兆として人々の前に現れる幻の獣」とされます。ですので読みが同じでも、「首の長い鹿のような動物」に「麒麟」という漢字を当てるのは間違いです。

 このように動物であれば、一般的にカタカナで書くと一読でどんな動物かがわかります。ただし、漢字一字で明確に種族がわかるのであれば漢字を用いるべきです。

「リス」「バク」「キリン」はカタカナのほうが合います。「牛」「馬」「豚」「犬」「猫」はおおまかな種族がわかりますよね。

「松阪牛」「牝馬」「黒豚」「秋田犬」「三毛猫」も漢字のほうがわかりやすい。

 では「西表山猫」はどうでしょうか。一読して読めなくはないですが、ちょっと無理を感じますよね。こういった類・目・科・属などの単語はカタカナで書くべきです。「イリオモテヤマネコ」はやはりカタカナでなければ。




副詞・連体詞・接続詞はひらがなが基本

 次に「副詞」「連体詞」「接続詞」について見ていきます。

「折角」「兎角」「兎に角」「暫く」「暫し」「嘗て」「予て」「凡ゆる」「全て(総て・凡て)」「然し」「但し」あたりは漢字で書くと混乱しませんか。

 ここは素直に「せっかく」「とかく」「とにかく」「しばらく」「しばし」「かつて」「かねて」「あらゆる」「すべて」「しかし」「ただし」とひらがなで書いたほうが断然わかりやすい。

「文豪」の文章を読んでいると、「副詞」「連体詞」がすべて漢字で書かれていることが多いのです。

 なぜ「文豪」の作品では「副詞」「連体詞」で漢字が多用されているのでしょうか。

 これも「言文一致体」が関係してきます。

 それまでの小説は書簡体の「候文」で書かれていたのです。「候文」とは漢文の読み下し文であり、いったん漢文で著さなければなりませんでした。漢文では「また」を「亦」、「〜して」を「而して」と書いていますから、これらも「候文」に翻訳した際に漢字のままになることが多かったのです。


「一番大事な人」の「一番」は「副詞」ですからひらがなで「いちばん大事な人」と書くべきです。もし「二番大事な人」「三番大事な人」という表現が可能であれば漢字で書きましょう。

 ですが「二番大事な人」なんてフレーズを聞いたことがあるでしょうか。ありませんよね。だから副詞としての「一番」は「最も」と同じ意味を持つのでひらがなで書いたほうがよいのです。


「最も」が出てきましたので「最も」を見ていきます。

「最も」も副詞ですからひらがなで書きたいところですが、注意が必要です。

 なぜなら「尤も」という接続詞もまた「もっとも」と読みます。つまりひらがなで「もっとも」と書けば「最も」なのか「尤も」なのかが区別できません。

「最も」は「いちばん」を表す副詞であり、「尤も」は「そうであっても」の意味の接続詞になります。

 どちらかをひらがなで書いてどちらかを漢字で書かなければこの両者は区別できないのです。

 ではあなたならどちらを漢字で書きますか。

 おそらく「最も」を漢字で書いて、「尤も」をひらがなで書くでしょう。

 なぜなら「最も」は常用漢字ですが、「尤も」は常用漢字ではないからです。

「最も高い山はエベレストだ。もっとも火星には二万メートルを超えるオリンポス山がある。」

 これがいちばんわかりやすい書き方になります。


 では「確か」はどうでしょうか。これも「副詞」ですから当然ひらがなで「たしか午後五時を過ぎていたと思いますよ」と書けばわかりやすい。

「午後五時を過ぎていたのは、たしか」はどうでしょうか。これはあやふやな意味を持ち、「副詞」の省略形や倒置法であればひらがなの「たしか」にするべきです。しかし「形容動詞」としての「正しく」「合致する」ことを指したい場合は漢字で「午後五時を過ぎていたのは、確か」と漢字で書くべきです。同じ言葉でも使われ方で漢字のままかひらがなにすべきかは変わります。




動詞でもひらがな・カタカナにすることがある

 動詞の「暗算ができる」と「家が出来る」の差はおわかりになりますか。

 可能を表す場合はひらがなで「できる」と書き、なにかが達成・完成する場合は漢字で「出来る」と書きます。

「料理ができる」と「料理が出来る」の差を考えてみてください。

 料理をすることが可能であるのなら「料理ができる」、料理が完成したのなら「料理が出来る」です。ひらがなと漢字の用例は統一を指示されることが多くあります。ですが意図を持って漢字とひらがなを書き分けている場合は、たとえ担当編集さんや校正さんが統一するように求めても意見を通しましょう。

 ちょっと特殊なのは「赤ちゃんがデキる」です。

 可能でないのは確かですし、達成・完成に分類すると違和感があります。こんなときはカタカナを使うのです。「デキちゃった婚」略して「デキ婚」もカタカナで書きますよね。意味もなくカタカナを使っているわけではありません。それ以外に表記しようがないからカタカナを用いているのです。


「人という字は人と人が支え合っている」の「いう」には発話の機能がありません。なので発話の「言う」と書かないで、ひらがなで「いう」と書いて抽象比喩であることを意味します。

「恩師が遺した最期の言葉はなんと云ったか」の場合は発話の意味合いが出てきますが、現在では基本的に「云う」は「言う」か「いう」に言い換えることが推奨されていますから、やはりひらがながベストかもしれません。「云う」は「他人の言葉を借りて表現する」ことなので、自分の言葉で表現する「言う」とは区別すべきです。

 他にも「これをイタチの最後っ屁と謂う」があります。これは「ある意味を囲んで考えを述べる。独自に名付ける」ときに用いますが、こちらも「言う」か「いう」に言い換えることが推奨されているのです。




時や事や物

「走る時は全力で」「人生とは走る事だ」「実力を出しきれずに競り負けたのは悔しい物だ」の「時」や「事」も「物」もひらがなにしたほうがよい字句になります。

 漢字で書いてしまうと動詞の抽象名詞としての役割を果たせず、主役になってしまいます。上の例でも「時が全力で走る」「事は人生とは走る」「物は実力を出しきれずに競り負けたのは悔しい」といった意味合いになってくるのです。日本語として変ですよね。

 あくまでも抽象名詞として用いるのであればひらがなで「走るときは全力で」「人生とは走ることだ」「実力を出しきれずに競り負けたのは悔しいものだ」と書いたほうが抽象名詞は主張してきません。





最後に

 今回は「ひらがな・カタカナで書きたいもの」について述べました。

 たいていの日本語には漢字が当てられていますが、ひらがなにしたほうがわかりやすいものが多い。場合によってはカタカナのほうが伝わりやすいこともあります。

 漢字にするのは「表意性のあるもの」に限定し、抽象的なものはひらがなにしたほうがよいでしょう。



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