881.惹起篇:主人公に旅をさせよ

 今回は「波乱」と「不安」についてです。

「波乱」があるから物語は断然面白くなります。





主人公に旅をさせよ


 小説の書き手にとって、主人公はかわいいわが子です。

 だからつい甘やかしてしまいます。主人公に都合のよいことが起こって、問題が解決してしまうのです。

 これって波乱がありませんよね。

 波乱のない物語は面白いのでしょうか。




波乱があるから面白くなる

 小説は「波乱のあるほうが断然面白くなる」ものです。

 主人公が鬼ケ島に赴いて、鬼を一方的にやっつけて、金銀財宝を奪って帰ってくる。

 この話のどこが面白いのでしょうか。

 しかも道中で犬・猿・雉を次々と仲間とし、まさに大量殺戮ジェノサイドを繰り広げるのです。

 もし『桃太郎』がライトノベルで小説投稿サイトに掲載されたら、ランキング入りすることは絶対にありません。

 だって「波乱」がないのですから。

「波乱」がないと物語は淡々となり、味けなくなります。素材の味は出せても、よりおいしくするための「スパイス」が足りないのです。

 たとえば「おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃がどんぶらこと流れてきました。しかしおばあさんはそれに気づかずに立ち去ろうとします。」という状況になったらどうでしょうか。なにか新しいものが読めそうですよね。桃太郎がそのまま海まで流れ着いたらどうなるんだろうと考えるだけでも面白いです。

「桃太郎が泣いて」おばあさんに気づかせますかね。ちょっと無理やりかな。

 でも普通に考えて、洗濯に熱中しているおばあさんが、大きいとはいえ流れてくる桃に気づくものでしょうか。

 なにか「大きな桃」に気づく演出が欲しいところです。

 たとえばおばあさんの近くに生えていた桃の木から「大きな桃」が川に落ちた大きな音に気づいた、なんてどうでしょうか。とても「どんぶらこ」と流れてはきませんが、おばあさんが「大きな桃」に気づけるかもしれません。でも高齢になると耳が遠くなっている可能性もありますから、音で気づかせるのは難しいかも。ではどうやって気づかせるのか。

 ここを考えるだけでも、「物語づくり」の醍醐味を味わえると思います。

 いつもと同じく平坦では、つまらないお話にしかなりません。

「波乱」が起きて「これからなにが起こるんだろう」という「不安」を掻き立てるのです。「不安」があるから、読んでいて引き込まれるし、先の展開が気になります。

 連載小説を書いていて「どうにも次話が読まれない」方は、投稿回の終わりに「波乱」を起こして読み手の「不安」を煽ってください。「不安」があるだけで、どうしても次話が読みたくなるのです。

 これが連載小説の四部構成「主謎解惹」の「惹」になります。




主人公をツラい目に遭わせる

 読み手の不安を煽るためには、「主人公をツライ目に遭わせ」ましょう。

 たくさんの苦しみを味わわせ、傷つけ、泣かせるのです。

 小説の書き手はある意味で「加虐嗜好」がないと大成しません。

「かわいい子には旅をさせよ」と言いますよね。

 書き手にとって主人公は、まさにわが子のようにかわいいものです。

 しかしときには残酷に突き飛ばして艱難辛苦かんなんしんくを味わわせ、それをどう乗り越えてくれるのかを見守りましょう。

 乗り越える過程を読ませることで、読み手は自然と主人公へ感情移入してくれるようになるのです。

「ファンタジー」であれ「恋愛」であれ「SF」であれ「推理」であれ。おおかたの小説は時として主人公にツラく当たっています。

 なんの「不安」も「波乱」もなく、主人公の願いが成就することはないのです。

 必ずなにかしら「波乱」が起こって「不安」な気持ちを抱きます。主人公は「不安」や怯えを乗り越えて出来事を達成するのです。だから主人公は成長し、感情移入している読み手も成長を促されます。

 これらは読み手が作れません。

 作品の書き手にだけ与えられた特権なのです。

 主人公がどれだけ苦しみ、泣き、耐え抜き、頑張って克服したのか飲み込まれたのか。その過程を読み手に提示してください。

「主人公をツライ目に遭わせた」小説は、ツラければツラいほど、酷ければ酷いほど、より面白くなります。

 アットホームな雰囲気が売りの小説であっても、なにがしかのツラい出来事が起こっているのです。しかし主人公がそれを苦とせず解決しているから、アットホームな雰囲気でも面白い作品に仕上がります。

 マンガの北条司氏『CITY HUNTER』は主人公である冴羽リョウが銃撃戦を繰り広げる場面以外は、いたってアットホームな作品です。アットホームでもあれだけの人気が出たのは、「銃撃戦」という生死を懸けたツラい目に遭っているからでしょう。

 もし「銃撃戦」がなければ、ただのヒューマンドラマになってしまいます。

 またリョウが生死を懸けて戦う姿を見て、依頼人は依頼前と比べて成長してリョウたちから旅立っていくのです。




心に痕跡を残す

「たいへん評価される物語」には、読み手の「心に痕跡を残す」ような「なにか」が必ずあります。

 ただ「よくできただけの小説」は物語としてはうまいのですが、読んだ後に「なんの影響も残さない」のです。

 読んだ後に「自分ならこうはしないな」「自分ならこうするな」という感想を読み手が持てるかどうか。つまり他人事ひとごとではなく自分事としてとらえてくれるかどうか。それが求められます。

 もし読み手が「自分事」としてとらえてくれなければ、書き手の力量がなかったことの証左です。

 では「心に痕跡を残す」ような「なにか」とはなにか。禅問答のようですね。

 一言で表すなら「個性」です。

「個性」が読み手に共感されればフォロワーさんになってくれます。

 逆に言えば「個性」が共感されなければフォロワーさんは生まれないのです。

「こんな小説を待っていた」と思ってくれる読み手が多ければそれだけのフォロワーを獲得できます。

 フォロワーが増えれば「紙の書籍」化されたときに買ってくれる方も増えるのです。

 プロとして成功したいなら、読み手の「心に痕跡を残す」ような「個性」があることを確信できなければなりません。

 プロの書き手になることは、長い小説書き生活のスタートラインに着いただけです。

 プロの書き手を続けていくためには「紙の書籍」が売れ続けなければなりません。売れ続けるためには「個性」でフォロワーを増やすことです。

 子どもの頃にツラい経験をしたことのある方は、それが「個性」となって光ることもあります。

 私が構想中の連載小説『秋暁の霧、地を治む』の主人公は「孤児」という設定です。これは私が養護施設育ちであることに起因します。愛情を培う時期に親から育てられなかった。だから、人間関係をどうしてもドライに見てしまう面があるのです。それを小説の主人公に仮託することで、主人公の厚みを生み出したいという意図があります。

 この「孤児」「養護施設育ち」という特殊な経験をした書き手は、現在それほどいないはずです。

 だからこれは私の「個性」になりえます。

「孤児」のバイブルとも呼べる『アーサー王伝説』が今も多くの方に親しまれているように、私の「個性」はうまく書ければ多くの方に親しまれるはずなのです。

 私にうまく書く才能があれば、ですが。





最後に

 今回は「主人公に旅をさせよ」ということについて述べました。

 小説は「波乱のあるほうが断然面白くなり」ます。

 読み手の「不安」や期待を煽ることで、次話を待ちわびてくれるようになるのです。

 それためにも「主人公をツライ目に遭わせ」ましょう。

 そして物語の中で「心に痕跡を残す」よう心がけてください。



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