849.創作篇:説明するときは断定する

 今回は「説明するときは断定する」ことについてです。

 書き慣れないうちは、どうしても「〜のようだ。」「〜そうだ。」「〜らしい。」のように、文章を断定できません。

 それだと説得力に欠けます。

 フィクションに説得力を持たせるためにも、「説明するときは断定する」ことを徹底してください。





説明するときは断定する


 皆様の小説を読んでいて、少し不思議なものがありました。

 事物の説明で「だろうか。」「みたいだ。」「のようだ。」「かもしれない。」といった断定しない文を書いていることがままあるのです。

 これでは文章に説得力が生まれません。




説得力が世界を作る

 小説内の世界は、事物を断定して説明することで形作られます。

 断定しないあいまいな表現では、事物の存在を確定できないからです。

 小説内の世界をすべて知っているのは、書き手であるあなただけ。それなのに肝心のあなたが小説内の世界を断定できない。これで読み手が明確なイメージを思い描けるものでしょうか。まず無理ですよね。

「断定すると非難されたり重箱の隅をつつかれたするのではないか」と萎縮してしまうのかもしれません。ですがそれは「逃げ」です。

「逃げ道」を残しておけば、たとえ非難されたり重箱の隅をつつかれたりしても「だから断定しなかったじゃないですか」と言って逃げられるのです。

「逃げ」は便利だと思いますよね。ですが便利ではないのです。

「逃げ道」があると思えば、多少のあいまいさは許容されると思い込んでしまいます。


 そんな「逃げ道」を作った文で世界観の構築をしているようでは、あなたの小説は豆腐のようにもろい世界で繰り広げられます。

 だからこそ小説内の世界は書き手が自ら構築しなければなりません。

 読み手の想像力だけに任せては、読み手の数だけ小説内の世界が変わってしまうのです。それでは統一した世界観にはなりません。

 あいまいなままにしておくと世界観を築く柱や壁が脆くなるのです。

 小説は「フィクション」だからこそ、事物の存在を「断定」して物語世界の内で確定させる必要があります。

 そして読み手も「断定」されたことなら、どんなに嘘っぽくても「そういう世界なんだ」「そういうことなんだ」と理解するのです。

「フィクション」の小説だからこそ、「断定」すると読み手を物語に没入させられます。

「ノンフィクション」の小説でも、「断定」しないことにはどんな出来事が起きたのかがあやふやになって、「必然性」が薄らいでしまうのです。




ノンフィクションはすべて真実ではない

 そもそも「ノンフィクション」は「フィクション」を書かずに構成された「物語」というひじょうに不安定な立ち位置にいます。

「物語」の多くは「フィクション」で構成され、「フィクション」を支える「必然性」によって「骨組み」が強化されているのです。

 しかし「ノンフィクション」は「書かれているものはすべて真実だ」と言いたいわけですから、どんなに「必然性」がなくても成立してしまいます。

 だから「フィクション」の「物語」を書き慣れていない方は、小論文や読書感想文のように「書かれているものはすべて真実だ」と思うのです。そこで「フィクション」の小説を書くときにも、本来必要な「必然性」を盛り込まずに文章を執筆します。その結果「突飛な出来事」が生まれ、読み手は「フィクションの小説」としては「意味不明な作品」に分類してしまうのです。

 そうなると「ノンフィクション」は「現実味リアリティー」を担保できなくなります。

 だからこそ、たとえ「ノンフィクション」であっても「必然性」はあって当たり前なのです。

「フィクション」を支える「必然性」は、「フィクション」が混じる可能性のある小説全般に求められます。しょせん「フィクション」だから、どう書いても自由なはずだ。そう思いたい気持ちはわかります。ですが「フィクション」はそれが見え透いてしまうと興醒めするのです。「必然性」で裏打ちされることで「フィクション」は、さも「真実」であるかのように読めます。

 そして「フィクション」文を「断定」書きすれば、「必然性」がより強固になるのです。


 ここまであれこれ書いてきました。要は「フィクション」でも「ノンフィクション」でも「必然性」が不可欠で、それを強化するためには文を「断定」するしかないのです。




偶然性を書くときほど因果を固める

 しかしすべての出来事に「必然性」があるわけではないのです。

「今日は大雨だし、学校に行きたくないな」という主人公の思いと、「あまりの大雨で交通機関が麻痺し、臨時休校になった」ことに「必然性」はありません。

 もしすべての出来事に「必然性」があるとするなら、主人公が「学校に行きたくないな」と思ったから「臨時休校になった」わけです。主人公が天変地異を起こせるほどの超能力者か雨乞いの巫女のような存在になってしまいます。

 このような出来事は「偶然性」で成り立っているのです。

「偶然性」には「学校に行きたくないな」と思ったら「あまりの大雨で交通機関が麻痺し」て「臨時休校」になったという「物語」が必要になります。

「偶然性」にはなぜそれが起こったのか「因果」が書かれていなければなりません。それも「主人公が介在しない偶然が起こったから、そういう結果になった」という「因果」です。「あまりの大雨で交通機関が麻痺」したという「原因」があり、その「結果」として「臨時休校」になった。この「原因」が「因」であり、「結果」が「果」となります。

 だからこそ「偶然性」のある出来事には「因果」の説明が不可欠です。

 けっして「学校に行きたくないな」という思いが「因」なのではありません。




偶然性は因果を断定する

「偶然性」を書くときほど「因果」を断定する必要があります。

 なぜ偶然は起こったのか。偶然が起こったらどうなったのか。

 このふたつは必ず断定すべきです。

 先の例なら「あまりの大雨で交通機関が麻痺した。」と「臨時休校になった。」は断定します。

 そして「今日は大雨だし、学校に行きたくないな」の一文は憶測で書くのです。

 そうすればどれが「因果」でどれが「偶然」なのかが明白になります。

「偶然」にかかわる文を断定すると、それがさも「因果」のように受け取られるのです。

「雨乞いの巫女」の例なら「巫女が雨乞いを始めた。」「雨が降った。」という「因果」が明確だからつながります。

 もし「因果」が断定されていなければどうなるか。

「巫女が雨乞いを始めたのかもしれない。」「雨が降りそうだ。」

 なにか煮えきりませんよね。

 文を断定するのは、小説の世界を構築する柱を打ち込むためです。





最後に

 今回は「説明するときは断定する」ことについて述べました。

 小説を書くことに慣れていないうちは、どうしても「断定」しづらい心境でしょう。

 しかし、慣れていないからこそ積極的に「断定」していくクセをつけてください。

 説得力は「断定」でしか生み出されません。



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