801.構成篇:蘇らせるか抹殺するか
今回は「蘇らせるか抹殺するか」についてです。
出来事は必ず「人の手」によって解決させてください。
神頼みで解決してしまっては、小説の意味がありません。そんな物語は『聖書』だけでよいのです。
人物にはそれぞれ役割があります。役割を持たない人物が登場しては、作品として無意味な存在になってしまうのです。
蘇らせるか抹殺するか
物語の解決は人の手によること
物語には手順があります。
1.まず
2.そこへ応援がやってきて、かろうじて
3.「対になる存在」をできるだけ早めに出す
4.脇役は話の流れの中に適宜差し入れる
5.新たな
6.主人公と「対になる存在」との初対峙で主人公が敗北する
悔しさから主人公(パーティーを含めて)が修行する(修行の旅に出る)
7.後日、人々が危機に陥る
8.次々と差し向けられる強敵をひとりずつやっつけていく
9.「
10.「結果」を受け、人々の「
「ヒロイック・ファンタジー」の筋書きはだいたいこんなところです。(ここでは簡略化したものを示しました。詳しいものは後日執筆し、投稿する予定です)。
ここで気づいてほしいことがあります。
物語の解決は「人物」によって行なわれることです。
「神の力」でも「偶然」でも「奇跡」でもありません。そんなものが入り込んだら、物語は途端に安っぽくなってしまいます。
最初の出来事は必ず失敗させる
もし「1.」の段階で最初の
そんな小説を読むと、読み手はそこだけで満足感を覚えます。
するとどうなるでしょうか。
続きを読もうという意欲がとんと湧かないのです。
なにせ最初の
となれば「1.」の段階の「最初の
どう失敗させればよいのでしょうか。
準備を怠ったゆえの失敗なのか、準備は万端だったのに失敗なのか。
これがわかるだけで、主人公の「要領の良さ」を読み手にわかってもらえます。
準備を怠り、ドジを踏んで失敗すれば「主人公は場当たり的なドジを犯しやすいのか」と読み手に伝えられるのです。
準備万端相整って、事は順調に進んでいたのに不運に見舞われて失敗すれば「主人公は要領は良いのに敵がその上を行くのか」と伝えられます。
失敗のさせ方を変えただけで、主人公の「要領の良さ」を読み手に知らせることができるのです。
では
腕力頼みの「筋肉バカ」なのか頭脳頼みの「推理オタク」なのか。中には吉岡平氏『無責任』シリーズの主人公ジャスティ・ウエキ・タイラーのようにすべては「運」の為せる業なのか。マンガでいうとガモウひろし氏『とっても!ラッキーマン』の主人公ラッキーマンのような主人公です。
格闘技でねじ伏せるのか頭脳プレーが得意なのか思いがけないことが起こってしまうのか。
出来事を解決させようとする方法は、枚挙にいとまがありません。
そのバリエーションこそが、主人公(や周りの人物)のキャラを決定づけて引き立たせます。
だからこそ、小説はまず
枚数によって人数が決まる
原稿用紙五枚のショートショートの場合、無理なく登場させられる人物はふたりです。それ以上登場させると、人物の書き分けと掘り下げだけで五枚はあっという間に埋まってしまいます。
原稿用紙十枚なら三人が最適です。十五枚なら四人まではなんとかなります。
原稿用紙五十枚の短編小説では六人から八人くらいが関の山です。
いずれも登場人物を可能なかぎり減らして人物の書き分けと掘り下げに重点を置きましょう。ただそこにいるだけの人物など小説には必要ありません。
作品に人物を登場させるのは、それだけで「物語に欠かせないピース」であることが求められます。
田中芳樹氏『銀河英雄伝説』には三百余人にも及ぶ人物が出てきます。長編の本伝十巻、外伝五巻ですから一巻当たり二十人です。
三百枚の長編小説なら十人以上を登場させてもじっくりと書き分け、掘り下げられます。『銀河英雄伝説』は原稿用紙なら一巻に五百枚くらいは費やしていますから、二十人出しても破綻しないのです。
そして登場する名前のある人物にはいっさいのムダがありません。皆なにかしらの役割を負っています。自由惑星同盟の評議会議員や宮内庁の役人、地球教徒の信者に至るまで、物語でなにかしらの役割を与えられているのです。
人物が生きていること
こういう人物は「生きて」います。名前が出てくるのにそのあと物語になんらの関与もしなければ、その人物は「死んで」いるのです。
「死んだ」人物ばかり出てくる小説は、一見すると重厚そうに見えます。しかしその実、中身がスカスカなのです。
中身のスカスカな小説が「小説賞・新人賞」を獲れるでしょうか。
まず無理です。
「小説の文章」さえ書けてあれば、中身がスカスカでも一次選考は通過するでしょう。しかし二次選考に残ることはありません。多くの人物がただ出てくるだけで物語にいっさい関与しないことから内容が充実していないのです。読んでいて薄っぺらく感じてしまいます。
短編小説にせよ長編小説にせよ、「死んで」いる人物を多く書くだけで選考さんに減点されてしまうのです。一次選考を通過できても「物語が薄っぺらい」と講評が添えられて「二次選考」では選考さんに読まれることもなく落選の箱に振り分けられます。
せっかく読み手を惹きつけるだけの「小説の文章」が書けるのに、「死んで」いる人物を書いただけで二次選考は夢のまた夢です。いくら文章が達者で一次選考を何度も通過しているのに、どうしても二次選考を通過できない方は、一度登場人物が「生きて」いるのか「死んで」いるのかをチェックしてみてください。きっと「死んだ」人物が存在していることに気づくはずです。
蘇らせるか抹殺するか
「死んで」いる人物は扱いに困ります。取るべき方策は、存在そのものを削除して「抹殺」するか、役割を与えて「蘇らせる」かです。
短編小説なら「抹殺」したほうが断然よい。「蘇らせ」ようとすれば人物を書き分けて掘り下げるだけで相当な枚数を要してしまいます。結果として規定枚数をオーバーしやすくなるのです。であれば短編小説なら「死んで」いる人物は「抹殺」すべきです。
長編小説の場合は文字数の制限が短編ほどキツくないので、「死んで」いる人物を「蘇らせ」られます。物語に影響を及ぼすわけですから、ひとり「蘇らせた」ならストーリーにも調整が求められるのです。
もし「原稿用紙三百枚程度」と規定されている「小説賞・新人賞」ではかなりストーリーをいじくる必要が出てきます。
対して「原稿用紙三百枚以上」で上限がほとんど規定されていない「小説賞・新人賞」なら、「蘇らせる」ことで発生する書き分けと掘り下げを丹念に行なって、よりよい物語が作れるのです。
しかし「死んで」いる人物が多数に及ぶ場合は、さらに困ります。「抹殺する」人物と「蘇らせる」人物を選り分けなければなりません。しかし短編小説ではもし十人も「死んで」いるようならひとりくらいは「蘇らせる」のもよいでしょう。その場合はできるだけストーリーの核心に近い人物を「蘇らせる」べきです。ですが、十人分の役割をたった一人でこなさなければならないため、「モブキャラ」が「重要人物」に格上げなんてことも。
上限のない「小説賞・新人賞」なら、すべての「死んで」いる人物を「蘇らせら」れます。ただしそれによって主要人物よりも目立ってしまうのでは困りものですが。
最後に
今回は「蘇らせるか抹殺するか」について述べました。
小説には
人物の中では「死んで」いるキャラクターを作らないようにしてください。
「死んで」いる人物がひとりいるだけで、作品の評価は格段に落ちます。
「小説賞・新人賞」で二次選考を通過できない最大の理由は「死んで」いる人物がいることだとしても過言ではありません。
「抹殺する」か「蘇らせる」か。書き手であるあなたの判断で物語は姿を変えます。
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