796.回帰篇:読み手がどうなってほしいか

 今回は「読み手にどうなってほしいか」についてです。

 読み手の満足度は、読み手があなたの作品になにを求めているかで決まります。

 そしてあなたは、小説を読んだ方たちにどうなってもらいたいのでしょうか。





読み手がどうなってほしいか


 小説は基本的に書き手が文字を組み上げて文章を作り、読み手が文字に目を通して形を思い浮かべながら把握していく娯楽です。

 あえて「基本的に」と書きました。

 今回の標題「読み手がどうなってほしいか」という意識が書き手になければ、読み終えたときの「読み手の満足度」は下がってしまうのです。




読み手の満足度

 あなたがウィリアム・シェイクスピア氏であれば、劇場に訪れる観客は「悲劇」を求めているはずです。「悲劇」以外にも良作はありますが、代表作といえば「四大悲劇」や『ロミオとジュリエット』が挙げられます。それが観客の偽らざる欲求です。

 だからウィリアム・シェイクスピア氏が新たな「悲劇」を書き続ければ、観客の満足度がどんどん高まります。

 小説も同じです。

 読み手があなたの小説になにを求めているのか。まずこれをはっきりとさせましょう。

 実はここに、あなたの小説がどれだけの方に読まれるかの鍵があります。

 あなたは読み手にどのような感情を抱いてもらいたいのか。行動してもらいたいのか。それを意識して書いているでしょうか。

 もし意識して書いていなければどうなるか。読み手はあなたの小説を読み終えたときにどんな反応をすればいいのか困ります。笑えばいいのか泣けばいいのか怒ればいいのか哀愁を感じればいいのか無情を感じればいいのか安堵すればいいのか。

 わからないから困惑するのです。困惑しているうちは、あなたの小説に評価を下せません。満足感が得られませんから「魅力のない小説」だと思われます。もし評価でマイナスポイントが入れられるのなら、大きなマイナス評価になるでしょう。

 ウィリアム・シェイクスピア氏のように物語と接する前から「知名度ネームバリュー」が高ければ、求められるのは「知名度ネームバリュー」で表される書き手特有の「読後感」です。読み手は泣いたいと思っていますし、「悲劇」の中にも希望が見出だせるような終わり方を求めます。

 つまり「知名度ネームバリュー」のない書き手の小説は読まれないのです。とくに無名の書き手がいきなり連載小説を始めても、ブックマークがゼロ、評価もゼロ、のみならず閲覧数(PV)もゼロの「トリプル・ゼロ」になります。それではせっかく書いた時間と労力がもったいないのです。

知名度ネームバリュー」がなくても作品を読んでもらう方法は、「投稿当初は短編小説を重点的に書いて名前を売る」ことと「タイトルやキーワード・タグで読み手が読みたい小説の属性だとアピールする」ことです。

 短編小説はとくに五千字前後のショートショートの分量がよいでしょう。多作できますし、読み手も十分程度の手隙のときに読みきってしまえる分量です。

 小説投稿サイトの攻略パターンは、まず「名前を売る」こと。そして「なんであれ作品を読んでもらうこと」です。「名前を売っ」て「知名度ネームバリュー」を高め、どんなジャンルであっても挑戦して、さまざまなジャンルの読み手にこちらからアピールしていきましょう。

 最終的にあなたが得意とするジャンルの連載小説で勝負します。ですが、当面は「書けそうなものは手当たり次第に書い」てください。あなたの名前を憶えてもらうことが、小説投稿サイトで最初にやらなければならないことなのです。




読み手にどうなってもらいたいか

 再び問います。あなたの小説を読み手が堪能して、「読み手にどうなってもらいたい」のでしょうか。

 笑ってもらいたい泣かせたい安堵してもらいたいなどあると思います。他人に優しくなりたい、親友をたいせつにしたい、家族を守りたいといったものもあるでしょう。

 これらはすべて、小説を読んだ結果その境地にたどり着いたというのが理想的です。

「文豪」の書いた小説には、こういった警鐘を鳴らして読み手に気づかせる作品が数多く見られました。小説が政治的主張をするためのプロパガンダに使われたためです。

 当時は現在ほど書籍の流通量が多くありません。だからこそ書き手の特徴の際立つ「尖った」作品が多かったのです。

 現在は三十年前と比べて「文学小説」の流通量が大きく減った反面、「ライトノベル」の流通量が激増しています。

「ライトノベル」の主な読み手は中高生です。だから政治的な主張をしているような小説は難しくて読めません。でも難しい話がいっさいない「ライトノベル」は楽しんで読めます。販売部数だけで比較すれば、「文学小説」よりも「ライトノベル」のほうが多く売れるのです。

 主要な読み手層である中高生に小説を読んでもらい、どうなってもらいたいのか。

 昭和の頃、高倉健氏主演の任侠映画を観た客たちがいました。その帰り際多くの男性客は自分が高倉健氏であるかのように、肩で風を切って劇場から出てきたものです。

 この例は「受け手にどうなってもらいたいか」を考えさせます。

 正しい物語の影響力はかくあるべきなのです。

 現在では川原礫氏『ソードアート・オンライン』の主人公であるキリトこと桐ヶ谷和人はVRMMORPG内ではかなりのチートだと思われます。そのせいか、現実の通信ゲームでは「キリト」を名乗るユーザーが多数に上ることもあるのです。こういった「キリト」を気取ってプレイする人たちは「イキリト」と呼ばれています。「意気がる」の関西風の言い方である「いきる」と「キリト」を組み合わせた造語です。最強プレイヤーを「イキリト」と呼称するくらい、『ソードアート・オンライン』は実際のゲームの世界にも影響を及ぼしました。

 小説でも、チートすぎる俺TUEEEな主人公は「イキリト」に映るのです。発想が貧弱なのは、読み手が中高生だからでしょう。

 読み手にどうなってもらいたいのか。それを明らかにしておきましょう。

 高倉健氏でもキリトでもかまいません。主人公になりきれるほど深く没入してもらうために、読み手が主人公に共感を抱くように設定してください。

 小説を読み終えた方が、まるで主人公になりきって振る舞っているようであれば、あなたの小説は読み手に正しく伝わりました。

 小説には魅力的な主人公が不可欠です。皆が憧れ、慕うような理想的な主人公が最も強く読み手の心をつかみます。逆に皆が軽蔑するような主人公は、反面教師にはなりますが、読み手をそのような人物像へ誘導する力が弱まるのです。主人公はできれば読み手が憧れるような人物に設定しましょう。

 勇者として讃えられたいのか、名もなきヒーローとして活躍したいのか。全人類を破滅から助ける救世主になりたいのか。さまざまに考えられるのです。

 どれが正しいというものではありません。

 読み手がどう変わってほしいのか。その意図どおりに読み手を誘導できれば書き手の勝ちです。

 読み手に退廃的な結末を読ませて、寂れていく主人公の気持ちを読み手に感じさせることができればそれでいい。

 まぁ主人公が死んで終わる場合、感情移入が激しくて現実の自分も自殺する、という人はまずいないでしょう。この場合は今にも自殺しそうな人の心と感情の移り変わりを追体験することが主眼です。どのようにして精神的に追い詰められていくのか。それを丁寧に書いていきましょう。





最後に

 今回は「読み手がどうなってほしいか」について述べました。

 小説には目的があります。物語を通じて読み手に変わってほしいのです。

 どう変わってほしいのかは、主人公の変遷を見ればわかります。

 ある作品では弱者救済、勧善懲悪の勇者として。またある作品では優柔不断な学生として。そういった主人公がどのような物語を見せてくれるのか。それが小説という娯楽が持つ真の目的です。



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