795.回帰篇:伝えたいことを主張する
今回は「メッセージ」についてです。
「命題」と「テーマ」の中間に位置します。
「メッセージ」の重要度によって「ライトノベル」にもなりますし「文学小説」にもなるのです。
ただし「勇者として生まれた村へ凱旋する」は目標であって「メッセージ」ではありません。
たとえば「どんな犠牲を払ってでも成し遂げなければならないことがある」というのが「メッセージ」です。
伝えたいことを主張する
小説は「
「
「テーマ」に近いですが、「テーマ」は小説を書くときに指標となるものです。
「
皆が気づいていないこと
小説にとって「
「
それは他の哺乳類と異なり一年中が発情期であり、妊娠して十月十日で子どもを産むと、また妊娠する準備が整うからです。つまり毎年死ぬよりも生まれる者が多くなって、人口が爆発します。そうなると凶暴な肉食動物ですら、数の力で打ち倒してしまうのです。
しかし、ただ交合するだけでは奇形児が産まれやすくなります。とくに近親間で妊娠したときに多く見られるのです。そのためか「
近親者かどうかは匂いでわかると言われています。年頃の女の子が「パパの靴下臭いから、私の下着は別に洗って」と言うのも、近親者である父親の匂いが脳の嫌悪感を引き起こすからです。
そして遺伝子的に奇形児が産まれない好ましい相手もまた匂いでわかるとされています。大好きな男子が汗を拭ったタオルの匂いを芳しく感じるのも「この相手との子供には奇形は産まれない」と脳が分かっているからです。そしてそういう相手に対して恋愛感情(愛情)が生じます。
つまり「
さて、ここまで「
「
小説は成長の過程を読ませるもの
では小説ではどうでしょうか。
小説は「人物の成長の過程」を読ませる文章です。最初から「主人公が勇者として生まれた村へ凱旋する」話だとわかってしまったら、読み手にとって「人物の成長の過程」はすべてすっ飛んでしまいます。ですが「主人公は勇者として生まれた村へ凱旋する」結末を書き手が内々に確定させていれば、そのための伏線を張る猶予が与えられるのです。
いちばん大きな伏線としては、冒頭の出来事を経て「ヒノキの棒と木の盾を携えて生まれた村を飛び出した」というものが考えられます。つまり最低の状態で出発し、最高の状態で帰ってくるのです。これは「人物の成長」を意味しています。その「過程」を書くことに集中できるのです。読み手としても「ヒノキの棒と木の盾を携えて生まれた村を飛び出した」主人公が、その後どんな「成長」を見せてくれるのか、ワクワクしながら読み進めてくれます。
幼馴染みとお姫様、どちらと結婚しようか、というのも「成長の過程」のひとつです。どちらを選ぶのか、読み手にはその時点ではわからないと思います。「主人公の本心」は「皆がまだ気づいていないこと」「皆が本当は気づいていないこと」だからです。それを伝えるから「物語」になります。
伝えたいことはできるだけ短く表す
「
先ほどの「勇者として生まれた村へ凱旋する」は目標であって「
「どんな犠牲を払ってでも成し遂げなければならないことがある」や「人物の成長の過程」が「
皆が知っていても、実はよく知らない。そんなことも世の中には数多くあるのです。読み手が知っているようで、その真の価値を知らないものを「
読み手が知っているように見えれば、気楽にクリックしてくれるかもしれない。でも実際に読んでみたら、読み手の知っていることとは若干異なることが書いてある。このギャップが読み手の「先が知りたい」心を刺激します。
あなたにとって「難しい」と思えるような「
なぜなら書き手本人が理解していないのですから。
理解していないほど「難しい」ことを書けるはずがありません。それを語ろうとすること自体が誤りなのです。
あなたにとって「難しい」とは思えない「
なぜなら書き手だけが理解していて、読み手に理解するだけの知識がないからです。
これではいくら崇高な理念を「テーマ」にして小説で書いても、誰からも反響が来ません。
ブーイングの嵐が巻き起こればまだよいほうで、たいていの場合は総スカンを食らいます。つまりブックマークも評価もされません。連載していても第一話だけ閲覧数(PV)がよくて、第二話からはいっこうに伸びてこないでしょう。だからこそ「
読み手の誰にでもわかる「
このような
現代では「言文一致体」など意識することもなく、多くの方が書き言葉で小説を書いています。話し言葉で書ける小説は一人称視点に限られるのです。
だから現代は「ライトノベル」全盛期を迎えています。書店の文芸コーナーも、現在では二十年前よりも「ライトノベル」が多くの棚を占拠しているのです。「エンターテインメント小説(大衆娯楽小説)」もすべてのジャンルをまとめてようやく「ライトノベル」と張り合えるだけの棚を確保しているにとどまります。
「難しさ」がなく新鮮味のある「
しかし「文学小説」は早晩消滅するようなものではありません。まだまだ時代を逆行できます。それを証明したのがお笑い芸人ピースの又吉直樹氏です。単巻で三百万部以上も売り上げた「文学小説」は、巷に「文学小説」ブームを巻き起こしました。それも現在ではかなり下火になりましたが、少なくともたった一冊でもブームを起こすことが可能なのです。次のブームを生み出すのはあなたかもしれません。
読み手に説明するつもりで書く
ただ自分が「
小説に限らず文章は読み手に伝わらなければ意味がないのです。
読み手に伝わるためにはどうすればよいのか。書き手であるあなたが、読み手に出来事や状況を説明するつもりで書いてください。
その説明を読んだ読み手が、あなたが思い描いている出来事や状況を脳内で再現できるのが小説のベストな書き方です。
語りかけるように書く。簡単なようでとても難しい作業です。まず読み手がどの程度知っているのか。そのレベルを知らなければなりません。ここはテンプレートを用いるとたちどころに解決します。テンプレートは読み手の理解レベルがそのまま反響につながるのです。反響の多いテンプレートを探してきて、それを用いて小説を書けばまず理解度のギャップを回避できます。
「
最後に
今回は「伝えたいことを主張する」ことについて述べました。
小説は「テーマ」を設定しても「
「命題」より長くて、「テーマ」によって読み手に伝えたいもの。それが「メッセージ」です。
あなたがどのような小説を書くべきなのか。また書けるのか。それは「命題」を明らかにすればわかります。
「命題」には書き手の人間性がそのまま表れます。高潔な人物が「人間の卑賤さ」を命題にすることはできません。人生の中で「卑賤」な時期を過ごしてきて、今は立派な人物になったというのであれば書けます。日本に生きるほとんどの書き手は聖人でもなければ賤民でありません。
それは読み手も同じです。読み手の「命題」にピタリと合った「命題」の小説が、最も共感を呼びます。
日本人はとくに信教があるわけではないのです。だから現代日本人に宗教小説は合いません。それこそ特定宗教を信仰している人でなければ、宗教小説を読もうなどと思いもしないのです。
あなたがこの小説で「なにを伝えたい」のか。つまり「テーマ」を明確にしましょう。そしてそれを読み手にわかるよう「
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