794.回帰篇:結果よりも結果に至るプロセスを大事に

 今回は「結末に至るプロセス」についてです。

 物語は「こういう結果に終わりました」で終わっても満足感は出ません。

「こういう過程を経て、こういう結果に終わりました」なら満足感が高まります。





結末よりも結末に至るプロセスを大事に


 小説を読むとき、最も読み手の心を捕らえるのは「結末」ではありません。

 ここでいう「結末」とは、物語の四部構成「起承転結」の「結」のことです。

「ということで、このお話はこのような結果を残して終わります」ということだけを読んでも感動なんて起こりません。




結末に至るプロセス

 読み手を惹きつけるには「結末」ではなく「結末に至るプロセス」を読ませることです。

 つまり「起承転結」の「転」を読んで心を動かしてもらえなければ、「よい小説」とは言えません。

 もしあなたが三百枚の長編小説を連載していて、「転」のパートに入ってもいっこうに読み手から評価されない、ブックマークがもらえないという場合。相当なテコ入れが必要です。テコ入れしたら三百五十枚になったとしても、手を加えるべきです。

 ではどうやって「転」を盛り上げるのか。

 具体的には「主人公が『対になる存在』との最終決戦でギリギリの状態まで追い詰められる」ことです。これ以上押し切られると敗北してしまう。読み手がそう思ってくれたらしめたものです。

 どん底からの大逆転劇を読まされて興奮しない読み手はまずいません。いるとしたら「文学小説」の愛読者くらいではないでしょうか。「文学小説」は「主人公が崖っぷちまで追いやられる」展開をしても、そこから「大逆転劇」は生まれません。そのまま「崖っぷちから転落」して「悲惨さ」を読ませるのです。


 エンターテインメント小説寄りの「文学小説」でも、たいていの場合は「崖っぷちまで追いやられた」らそのまま「無常にも押し切られて人生の辛苦を味わう」展開が好まれます。片山恭一氏『世界の中心で、愛をさけぶ』、住野よる氏『君の膵臓をたべたい』を読んでいてもわかるのではないでしょうか。

「難病もの」はほとんどの場合治ることなくどんどん容態が悪化していきます。難病罹患者が衰弱していく様を丁寧に読ませて、主人公である見守る側が「崖っぷちまで追い込まれる」わけです。そんな中でちょっとした「感動する出来事」が起こります。ですが結局難病は治ることなく、難病罹患者は儚く死んでいくのです。これが「転」になります。そして「結」では難病罹患者が死亡した後の関係者の「その後」が描かれるのです。

 このような小説で「その後」に魅力を感じる人はまずいません。どのようにして「難病罹患者が衰弱して死んでいくのか」その過程こそが読み手を強く惹きつけます。つまり「難病罹患者が死ぬ」という「定まっている結果」に至るまでのプロセスを読ませるのが「物語」であり「小説」なのです。

 SF小説である田中芳樹氏『銀河英雄伝説』も「難病もの」という側面を有しています。銀河を統一せんと欲する主人公である銀河帝国皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムが終盤できわめて特異な難病に罹患するのです。そして章が進むごとにどんどん状態が悪化していきます。まるで苛烈な性格が自らを焼いてしまうかのごとく。『銀河英雄伝説』が今でも続編を望まれる理由は、「難病もの」の「結果に至るプロセス」つまり「転」がつぶさに描かれているのに、肝心の「結果」つまり「起承転結」の「結」がほとんど書かれていない点にあります。ラインハルトが衰弱していくほどに、その後の歴史においてどのような立場になるのかが書かれていく人物も幾人か明示されていますが、書かれない人物のほうが圧倒的に多いのです。

『銀河英雄伝説』のような群像劇では、主人公や「対になる存在」の死すらも物語の中ではひとつの出来事に過ぎません。その後にも劇は続き、ほどほど書いたところで唐突に物語が終わるのです。ラインハルトの好敵手にして「対になる存在」であった自由惑星同盟元帥ヤン・ウェンリーがテロにより亡くなっても物語は続きました。群像劇でなければ主人公か「対になる存在」かのいずれかが亡くなった段階で物語は終わるものです。

 このように群像劇には明確な「結」は存在しないのかもしれません。だからこそ、読み手は続編を期待してやまないのです。




連載小説は惹で盛り上げる

 それに対して連載小説の四部構成「主謎解惹」では「惹」で最も盛り上がらなければなりません。なぜなら、連載小説は次の投稿回を確実に読んでもらわないことには、連載する意味がないからです。

 長編小説の「起承転結」は「転」で盛り上げる必要があります。これは「結」が「転」の事後処理に過ぎないからです。

 しかし連載小説において、「解」は今投稿回の「謎を解いて」まとめる役割を、「惹」は次投稿回も読んでもらうための「伏線」を提示する役割をそれぞれ担います。

 次投稿回を確実に読んでもらいたいのなら、「惹」でどれだけ読み手の関心を集められるかが問われるのです。

『銀河英雄伝説』は、章の中の節の終わりに強い「惹」を作っています。これにより次の節も読みたくなるのです。そうやってどんどん読み進める推進力を生み出しています。そういう意味でも『銀河英雄伝説』は群像劇の三人称視点(「神の視点」ですが)では「お手本」となるべき作品なのです。さらに洗練された形として同じく田中芳樹氏『アルスラーン戦記』が挙げられます。田中芳樹氏が群像劇の屈指の書き手となれた理由は、「連載小説」というものをよくわきまえていたからではないでしょうか。


 連載小説はその投稿回での「主人公を立て(主)」「今回の課題を立て(謎)」「課題を解決して(解)」「次回に影響を及ぼす(惹)」の四部で成り立っています。もちろん「謎解」部分に魅力がなければ、その投稿回で読み手に見切られてしまうでしょう。ですが「謎解」が魅力的であれば今回については満足してくれます。その後で「次回も期待していいのかな」という読み手の心を文字通り「惹きつける」ことが必要です。

 そのため連載小説は「惹」で盛り上げなければなりません。

「惹」は「結末に至るプロセス」を盛り上げるために存在します。つまりこの連載小説の本筋である「物語の結末」へ向けて「惹」を効果的に用いれば、「結末に至るプロセス」が際立つのです。一回一回の投稿ぶんがそのまま大きな「結末に至るプロセス」の一環であることを認識しましょう。

 こちらはマンガの青山剛昌氏『名探偵コナン』が参考になります。主人公・江戸川コナンは、日常の事件を解決しつつ本来の姿「工藤新一」を幼児化させた「黒の組織」に迫り壊滅させるための状況を整えなければなりません。謎の多い「黒の組織」について連載二十年を超えてようやく「黒の組織」の中枢に至る情報が手に入るようになってきたのです。また片想いや両片想いだった男女がくっついて関係線がかなり整理されています。人間関係はほとんど整理されたので、残るは「黒の組織」の詳しい情報と壊滅させるために工藤新一陣営を強化しなければなりません。現在も「黒の組織」に所属しながら情報を提供してくれる人物や、アメリカの情報機関で内偵を続けている人物が、これからの展開でどのような活躍を見せるのか。そこが見どころです。それは2018年公開の映画『名探偵コナン ゼロの執行人』が90億円を超える興行収入を獲得した要因ともなっています。2019年公開予定の映画『名探偵コナン 紺青の拳』では鈴木財閥の令嬢でありヒロイン毛利蘭の親友でもある鈴木園子が想いを寄せる四百戦無敗の空手家・京極真と世紀の大泥棒・怪盗キッドとの闘いであり、こちらも園子がどちらを選ぶかで関係線のひとつが整理されることになります。(この原稿執筆時は、まだ公開前でした)。

『名探偵コナン』に学ぶべきは、「連載もの」でのメインストーリーの「惹」をどう用いるかという点です。まったく触れないシリーズもありますが、ところどころに入る「惹」で「黒の組織」の謎が少しずつ解けてきます。この塩梅が絶妙なため『名探偵コナン』は推理マンガとしては異例の二十年以上の連載を可能にしたのです。

 あなたの連載小説でも「惹」を要所で入れてください。まったく触れない回があってもいいですし、触れてメインストーリーが推進してもよいのです。





最後に

 今回は「結末よりも結末に至るプロセスを大事に」ということについて述べました。

「結末」はあくまでも物語の「事後処理」でしかありません。「事後処理」が盛り上がってしまっては、あなたの書く長編小説や連載小説は魅力がなかったということです。

 たいせつなのは「結末」ではなく「結末に至るプロセス」です。小説の目的はそれを読ませることになります。「結末」ではなく「過程をたいせつに」してください。



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