790.回帰篇:それでも時間と手間をかける(毎日連載丸二年、730日目)

 今回は「時間と手間をかける」ことについてです。

 前回申し上げたのは「時間の密度」を高めることです。

 だからといって、最低限の時間で最大の質が担保されるものではありません。

 短時間で書いた作品を「推敲」していくことで、みるみるうちに質が高まります。

『ピクシブ文芸』で本コラムの毎日連載を開始して丸二年となりました。さまざまな出来事を乗り越えての記録なので、自分の中で毎日連載の小説を執筆できるんだという自信もつきました。本コラムはいつ終わるのかなかなか見えてきませんが、新しいことに気づいたときに、都度投稿していけたらと思います。





それでも時間と手間をかける


 前回「かけた時間と質は比例しない」ことについて述べました。

 では最低限の質を確保できる時間だけで小説を書いたら、読み手がみな満足し「小説賞・新人賞」を授かれるものでしょうか。

 できないんですね、これが。

 それは質が最低限の状態だからです。

 質を極限まで高めるために、時間と手間をかけましょう。




かけた時間と質のバランスは最低限にしかならない

 かけた時間と質とのバランスが最もとれた状態では、質が最低限になってしまいます。

 物語を練る時間と書く時間が最適化されると、出来あがった作品の質は低くなるのです。

 なぜかといえば、物語を練る時間を執筆時間に入れてしまうと、構想を練れば練るほど原稿用紙に書くまで時間がかかります。そのため、その場しのぎの物語にしかなりません。そして原稿用紙に書き始めてから書き終えるまでの時間は、何度も推敲するよりも一度書いてそれで終わり、というのが最も短くなるからです。


 毎日連載をされている方は、物語を練る時間が足りず、行き当たりばったりでPCに小説を打ち込み、それをろくに推敲せず、そのまま投稿してしまう方が多いのではないでしょうか。

 それでは、小説の質は高まりません。

 毎日連載をしていて評価の高い作品を書く方は、PCに打ち込むより前にじゅうぶんな時間をかけて物語を練っています。そして書きあげて最低でも一晩は寝かせ、「推敲」してから投稿しているのです。

 つまり毎日連載は「ただ毎日書いて、投稿するだけ」で成り立っているわけではありません。

 もちろん毎日連載していると、技能スキルが上がってきて、凡庸な書き手が丁寧に「推敲」したものと同等の質を持った作品も書けます。ですが、それはほんの一握り。ほとんどの方はよくて凡庸な作品にしかなりません。

「ながら執筆」をせずに「時間の密度」を高めることは、時間効率で行なっているわけではないのです。

 だから小説を、単に時間効率だけで考えてはなりません。




ながら執筆しないことと時間の効率は同じではない

 そもそも「ながら執筆」をしないことと「時間の効率」とはイコールではないのです。

 言い換えれば「時間の密度」と「時間の効率」とはイコールではありません。

 執筆に集中し「時間の密度」を高めて作品を執筆したら、一晩以上寝かせるのです。

 翌日以降に読み返せば気になる表現が必ず見つかります。そこを「推敲」していくのです。

 ただしこれは毎日連載をするときの方法論であって、「小説賞・新人賞」を狙う長編小説の場合は若干異なります。

 長編小説は一度書きあげたら、毎日「推敲」して作品を磨き続けなければならないのです。

 妥協は許されません。「推敲」に終わりはないのです。「これ以上もう直しようがない」と思う明確な基準もありません。

「ここの展開は強引すぎたか」「もっと丁寧に説明しないとわかりにくいのではないか」「もっと噛み砕いた表現をしたほうが伝わるのではないか」「この表現では冗長すぎないか」

 小説を執筆していると、このような不安が絶えずつきまといます。

 不安な時間も「執筆時間」の一部であり、時間をかけることで作品は洗練されていくのです。

 ただし「推敲」に時間をかけすぎて、いつ投稿してよいのかわからなくなってしまう方もいらっしゃいます。そういう方は「推敲は何日間で終わらせる」と前もって決めておきましょう。

 とくに「小説賞・新人賞」を複数狙いに行く場合、「推敲」の締め日を決めておかないと多作できません。

 締め切って投稿したあとに「推敲」したい点を見つけたら、次回作で活かしましょう。そうすれば書けば書くほどに筆力は間違いなく高まります。




推敲に時間をかける

 小説は書きあげてからが本番です。頭の中から物語を吐き出して書きあげるだけなら誰にでもできます。

 その後、展開の仕方によって部分ごと順番を入れ替えることだってあるのです。これを「構成」と呼びます。物語の「構成」が確定してから、表現の良し悪しを判断するのです。

 表現を云々する時間が、小説を書くうえではいちばん長くなります。

 部分部分での表現の是非ももちろんたいせつです。しかし全体を通して判断することはそれ以上に重い意味を持ちます。

 だから「推敲」では、単に「その部分でどの表現が適切か」だけでなく、「その部分が全体においてどのくらいの重要性を持っていて、そのうえでどの表現が適切か」を考えるのです。

 長編小説なら基本的に原稿用紙三百枚・十万字の中での適切な表現を探すことになります。

 連載小説の場合、できれば連載全体を通した中で、適切な表現を探すべきです。ですが、全体でどんな表現をしてきたのかを忘れてしまったり、変わってきたりしている場合は、当初のプロットがあてになりません。そうなったときは、直近の投稿の中で適切な表現を見つけ出すのです。


 元々「推敲」という言葉は、唐の詩人である賈島カトウが都・長安に科挙を受けるためロバの旅をし、その途中で詠まれた詩の中で「僧はす月下の門」の「推す」を「たたく」にしてはどうだろうかと考えたことに由来します。結局賈島は決めかねて没頭しているときに、長安の知事で詩の大家でもあった韓愈カンユの行列に突っ込んでしまいます。そこで韓愈は賈島の話を聞くと「それは『敲く』のほうがよいだろう」と教えたとされています。

 このように「推敲」はひとりでやっていると途方もない時間がかかるのです。しかし第三者が読んでくれれば、適切な言葉を選びやすいという利点があります。

 あなたも「推敲」をしてくれる人を見つけて、その人の意見を聞いてみても悪くないのではないでしょうか。





最後に

 今回は「それでも時間と手間をかける」ことについて述べました。

「時間と質」は比例しません。そのバランスをとってもたいした小説にはならないのです。

 そこであえて時間と手間をかけて「よりよい表現」を見つけ出さなければなりません。

「推敲」にはさらに時間と手間をかけて、今よりももっと伝わる小説に仕上げるのです。

 よい小説は効率だけでは書けません。

 一見ムダに思えるような「推敲」を繰り返すことで、質がみるみる高まっていきます。

「推敲」を侮っているうちは、よい書き手にはなれません。



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