783.回帰篇:事実と意見を分けて書く

 今回は「事実」と「意見」を分けて書くことについてです。

「事実」は「説明」であり、「意見」は「描写」などの「感想」です。

 一人称視点で書くときはこのふたつがごちゃ混ぜになってしまいがち。

「説明」する部分と「描写」などの「感想」部分を明確に分けて書きましょう。





事実と意見を分けて書く


 小説はよく、事実と意見を分けずに書いてしまうものです。

 しかし事実と意見が混同していると、間違いなく読み手は混乱します。

 一人称視点の場合はとくに混同しがちなので、明確に切り分けて書きましょう。

 では事実とはなにか、意見とはなにかから見ていきます。




事実はデータで説明すること

 小説で書く事実とは「説明」のことです。

「説明」を尽くすことで現実味リアリティーが増し、その世界での事物をかたどります。

 もし「説明」が一文もなければ、小説は心の中だけで行なわれることになってしまうのです。

 今書いているのは「剣と魔法のファンタジー」なので、誰も見たことがない世界が舞台。よってなにも書けない。というのはまったくの間違いです。

 誰も見たことがない、あなたの頭の中にだけある世界を「説明」しなければ、どんな世界なのか読み手の誰にもわかりません。

 だから必ず文中とくに場面が転換したら、なるべく早く場所の情景を「説明」してください。

 横着して「説明」を怠ると、それだけで「小説賞・新人賞」の選考ではマイナス評価になります。 

 では具体的になにを「説明」すればよいのでしょうか。

 最初に「見えるもの」を書くのが基本です。場面が変わればたいてい場所も変わります。そこがどんな場所なのか、読み手が最も早く受けるのが「目からの情報」です。一般的に、光は秒速三十万キロメートルであり、音は秒速三百四十メートルと言われています。光のほうが圧倒的に速いのです。脳への刺激はタイムラグを考えれば、光つまり「目からの情報」を真っ先に受けます。

 だから最初に「見えるもの」を書くのです。

「見えるもの」には色彩、形状、質感、温度といった「データ」があります。

 砂漠なら、黄色い砂色に、起伏のある地形、サラサラとして足を踏ん張らないと走りにくく、昼は四十度、夜はマイナス四十度と温度が激変する環境です。

 木々が生い茂っていたら葉の緑と幹や枝の茶色、形状は木々が生い茂っているわけなのでそのまま書けばよい。質感も温かみを感じさせるはずです。

 鋼製の真剣なら銀色、刀剣の形状をしていて、冷たい光沢といったものを感じるでしょう。

 動物が見えれば、どんな動物がいるのかを書いてください。もしそこが異世界で、現実世界にはいない動物であったら、その旨を書いてください。まったく書かないと、その動物は存在しないことになります。

 書き手には見えているのに、それを読み手に「説明」して伝えようとしないのでは、読み手と世界観を共有できません。そんな小説が「小説賞・新人賞」を獲れるのでしょうか。改めて言うまでもないですよね。




意見は感じ思い考えること

「意見」は登場人物が事物に触れてどのように感じたのか、思ったのか、考えたのか。それを書きます。

 砂漠の砂について人物がどのように感じたのか。名刀を見てどのように思ったのか。それを書くのです。

「砂に触れると熱かった。」は形容詞を用いているため「感想」を表しています。

 あれ、形容詞は使っちゃダメって前に言いましたよね。とお思いの方、よく記憶しています。

 形容詞を使ってダメなのは、地の文です。会話文・独白は人物の感じたこと、思ったこと、考えたことを書かなければ真実の声にはなりません。

 もしこれらの感情や思考が入り込んでいない会話文・独白を書いてしまうとどうなるか。淡々と台本を読んでいるナレーターのように他人事のセリフに堕してしまいます。

「意見」とは感情や思考を書くものです。つまりそこに「感想」を書くのは至極当然。形容詞・形容動詞は会話文・独白を書くときに人物が抱いた「感想」を述べるために積極的に使うべきです。

「事実」と「意見」は分けて書かないと、どうしても地の文にも「感想」があふれることになります。




一人称視点での切り分け

 一人称視点の場合、地の文は基本的に視点を有する主人公の思考と感情と感覚によって書かれることになります。

 だからといって、地の文に形容詞を入れることはできるかぎり封じてください。形容詞が書いてあるだけであなたの小説は、小学生の書いた作品のような印象を読み手に与えてしまいます。

 形容詞は感想を伝える品詞であるため、「嬉しかった」「楽しかった」「悲しかった」のように書いてしまいがちなのです。小学生の作文も、たいていは「うれしかったです」「楽しかったです」「悲しかったです」と書いていますよね。あなたが子供時代に書いた作文が残っていたら、試しに読んでください。見事に形容詞だらけであることに気づくはずです。残っている可能性を考えれば「卒業文集」がよいでしょう。あなただけでなく同い年の他人の文章が読めるため、「形容詞過多」な作文であることを再確認できます。


 文章を書くのがうまい人は、形容詞をさほど用いません。ですが「まったく用いないわけではない」のです。

 形容詞は会話文・独白で使います。会話文・独白で形容詞が使われていないと、かえって不自然です。言葉は「感情を伝える」ために発します。

 会話に形容詞を使わないなんて、今どきAIロボットですらしません。AIロボットは的確な形容詞を選んで会話を弾ませるのです。

 一人称視点の場合は地の文にも会話文が混じることがあるのですが、事物を「説明」するときは意識して形容詞を外してください。感情がこもるときだけ形容詞を出すのです。

 例1.「将人の点数は八十七点だった。」

 これは「説明」です。

 例2.「将人の点数は八十七点だったようだ。」「将人の点数は八十七点だったそうだ。」

 これはどちらも「感想」です。

「ようだ」は憶測の形容動詞、「そうだ」は伝聞の形容動詞であり、どちらも話者の「意見」が介在しています。だから例2はともに「感想」なのです。

 それらを省いて「だ」「である」だけにすれば「説明」の形になります。





最後に

 今回は「事実と意見を分けて書く」ことについて述べました。

 ライトノベルに多い一人称視点では、事実の文と意見の文がごちゃ混ぜになっているものをよく見ます。

 一人称視点はすべて主人公の主観で語ればよいわけではないのです。

 なぜなら、人はパッと見したものをいったんそのまま受け入れて、それからどんなものにどんな感情が湧くのかどんなことを思うのか考えるのかを決めるからです。

 各段落では早い段階で客観的に「説明」を書きましょう。設定した事物を読み手に伝えてください。ここでしっかり状況を「説明」できなければ、読み手にそこがどこなのかを正しく伝えられません。

「事実」と「意見」を明確に分けて書けるようになれば、「一人前の書き手」として読み手から支持されやすいのです。



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