784.回帰篇:文章力と説明力と表現力
今回は「小説の文章」についてです。
文章には「文章力」「説明力」「表現力」が求められます。
どれかひとつが突出してもダメなのです。
三つ揃って高くなければ、小説の文章にはなりません。
文章力と説明力と表現力
「小説の文章」を形作る要素は主に「文章力」「説明力」「表現力」です。
ではこれらの違いを説明できるでしょうか。
いきなり私の「説明力」が試される設問ですね。
文章力
「文章力」とは「日本語の文章として
多くの「文章の書き方」の書籍には「5W1H」を満たして読み手に情報を届けることが「文章力」であると書かれています。
以前「小説の文章」として「5W1H」のいくつかをあえて欠けさせることを提唱しました。読み手に「先が読みたい」と思わせる文章を作ることも「文章力」のひとつです。
また助詞の重複禁止や、主語と述語の対応、修飾語と被修飾語の対応など文章として最低限成立するレベルの文法も「文章力」に含まれます。
つまり「文」として日本語の法則に適っている状態の文章を書く能力を「文章力」と呼ぶのです。
「文章力」と書かれていますが、実際に問われるのは「文」単位。日本語として間違いない一文が書ける能力が「文章力」の正体なのです。
例1.「次の食事当番は田中だ。」は正しい文章。「次の食事当番は走っている。」は先ほどと違い「Who(誰が)」が抜けているため「5W1H」の要素がひとつ減りました。「走っている」は「Do」に相当しますから、「Who」の「田中」を書かなければ「誰が」次の食事当番なのかわかりません。しかし「小説の文章」としてはこれでも「あり」なのです。なぜなら「次の食事当番は走っています。」には「Who」がありません。なので読み手は続く文章からいち早く「Who」を見つけ出したくてしょうがなくなるからです。
新聞記事のように「5W1H」の揃っている文章が書ける「文章のプロ」である記者さんやライターさんに、面白い小説は書けるのでしょうか。
ほとんど書けません。
「小説賞・新人賞」に挑戦する記者やライターは多いのに、実際に獲得した人はほとんどいないのです。その事実こそが「5W1H」が完備された文章と「小説の文章」の差を表しています。
説明力
「説明力」とは「対象がどんな状態なのか、どんな性質なのか、どんな機能や能力があるのか」を表す言葉です。
事物は文章に書かなければ存在しません。言葉があるから存在するのです。
少し哲学的な文を書きました。
小説では「文章に事物を書く」ことでしかその事物は存在しないのです。
太陽のことにいっさい触れない小説があったとするならば、その世界には「太陽が存在しない」のかもしれません。
現実世界の物語なら「太陽はあって当たり前」なので書かない。という選択もできます。しかし異世界の物語なのに書かないでいると「太陽が存在しない世界なのかな」と思われてしまうのです。もしかすると太陽がふたつある世界かもしれません。それなのに太陽がふたつあることについて書かなければ、せっかく太陽について記述したのに太陽はひとつしかない世界なのだと思われます。
たとえば「空が明るんできて朝が到来したことに気がついた。」のように、直接「太陽」を書かなくても「空が明るんできたということは太陽があるんだな」と読み手は認識できるのです。
あなたの小説には太陽や月は存在するのでしょうか。雨や雪は存在するのでしょうか。雪に関しては温暖な気候であれば無くても当たり前なので問題になりにくいのですが、雨が降らないと乾燥地帯(砂漠地帯)が舞台かと勘違いしてしまいます。
また事物の形状や質感や触感なども文章で書かない限り読み手にはわかりません。
例2.「時計が時を告げた。」と小説に書きました。では問題です。この「時計」はどんな時計ですか。
柱時計、壁掛け時計、鳩時計、目覚まし時計、アラーム時計、腕時計、デジタル時計とアナログ時計など「時計」の形状にはかなりのバリエーションがあります。その差を書き分けなければ「説明力」は低いままなのです。
そこで「壁掛け時計の針が十時ちょうどを指した。鐘の音が十回発せられた。」と書けば、どんな時計がどんな音を出したのか一目瞭然。これが「説明力」です。
表現力
「表現力」とは「文章が言及する事柄をどのように言い表すか」を示す言葉です。
適切な語彙の選び方、対象をわかりやすく表すために比喩を用いることが「表現力」に含まれます。
時間描写、場所描写、人物描写、物体描写、概念描写などが「表現力」と呼ばれますが、その表現は多岐にわたるのです。
以前にもコラムを書きましたが、「表現力」を短時間で上げるためには「形容詞をできるだけ使わない」「形容動詞を可能な限り使わない」の他に「副詞もなるべく使わない」ようにしましょう。
これらの言葉はいずれも「話し手の感想」を書いているだけであり、描写になっていないのです。
「感想」は書くものではありません。読み手に感じさせるものです。
例3.「文字を小さく書く」は感想です。しかし「文字を米粒に書く」とするだけで「描写」「表現」に変わります。
形容詞「小さく」を具体的な大きさがわかるものに変えるのです。「米粒に書かれた文字とは、さぞ小さいことだろう」と読み手が感じたら、それが正しい「表現力」になります。「小さく」を「3mmの大きさで」とさらに具体的な数字に置き換えるとより大きさが明確になるのです。これは「説明力」にも通じます。
例4.「女三人寄れば姦しい」という慣用句も形容詞を用いた「感想」です。これを「女性が三人集まれば話も華やぐ」と書き直せば「描写」「表現」に変わります。形容詞を動詞に変えるだけで「表現力」が身につくのです。
文章力、説明力、表現力の三つ揃え
「小説の文章」には上記の「文章力」「説明力」「表現力」がすべて必要になります。
新聞記者さんやフリーライターさんは「説明力」はありますが、「文章力」「表現力」がありません。だから彼らは小説に興味を持って小説講座に通ってもすぐにやめていくのです。
「小説の文章」に求められる「文章力」は「5W1H」だけでは語れません。もちろん「5W1H」が揃った文章は情報がわかりやすくなります。しかしその文章だけで話が完結してしまうため、読み手は「これってどうなっているんだろう」という謎や好奇心が喚起されないのです。
そこで意図的に「5W1H」のいずれかを欠落させて「どういうこと?」「どうなっているの?」などを作り出します。新聞記者さんやフリーライターさんに小説が書けないのは、この「意図的に」ができないからです。どうしても身についている「5W1H」が完備された文章を書いてしまいます。
新聞記者さんやフリーライターさんは「説明力」に関しては一級品と言えます。その自負があるからこそ、彼らは「小説賞・新人賞」へ作品を応募して一次選考すら通過しないことに傷ついて執筆をあきらめるのです。
我々文章のアマチュアは「説明力」不足を心配しましょう。具体的な数字や事物、概念や名称などを書くことで「説明力」は確実に上がります。
また新聞記者さんやフリーライターさんは記事を書くときに「形容詞」を多用するのです。彼らはその場にピタリと合った「形容詞」を見つけてくるのがうまい。でもそれこそが「表現力」を減衰させる要因であることに気づいていません。だから「感想」を述べるだけの「子どもの作文」レベルでしか「表現力」が身についていないのです。
「文章力」「説明力」「表現力」の三つ揃えこそが、「小説の文章」を構成する三要素なのです。
どれかひとつが秀でていても、他のふたつがレベル不足であれば、魅力ある「小説の文章」を過不足なく書けません。
あなたの「小説の文章」はこの三つ揃えが整っていますか。
三つ揃えがすべて高いレベルにあるからこそ、読み手を楽しませる小説が書けるのです。
最後に
今回は「文章力と説明力と表現力」について述べました。
「小説が書ける」方でこの三つ揃えがすべて整っていることはひじょうに稀です。
逆に言えば、この三つ揃えが整っていて、さらに物語そのものが面白ければ、「小説賞・新人賞」を狙える位置にたどり着くことができます。
「物語そのものの面白さ」は、物語のバリエーションを多く知ることで身につけられるでしょう。ここは好んで読んできた物語によって個性が強く出るところです。
しかし「小説の文章」が高いレベルで書けるかどうかは、三つ揃えを押さえられるかどうかで決まります。これは勉強することでどうにでもなる部分です。
だからこそ、最低限三つ揃えを整えていきましょう。
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