778.回帰篇:書き出しで会話文から入ると

 今回は「もし書き出しが会話文だったら」ということについてです。

 前回「書き出し」の種類を三つご紹介しましたが、その中には意図的に「会話文から始まる」ものを削除しました。

「会話文」の持つ機能を明らかにするために、あえて二回に分けたのです。





書き出しで会話文から入ると


 まず「会話文」から入り、主人公の性格や状況といったものを暗に示します。

 これは多くの書き手の方が実際に用いている手法です。

 この書き出しの利点は「書き出し」を先延ばしできることに尽きます。

 あれ? すでに「会話文」を書いているから、それが「書き出し」でしょう、と思われるはずです。

 さにあらず。「会話文」を「書き出し」に書いても発言は宙に浮いてしまうだけなのです。どれだけ長いこと「会話文」のやりとりを繰り返したところで、地の文が現れるまでは浮いたままになります。

 なぜなら「会話文」を読んでいる間、読み手はその小説の評価ができないものだからです。




書き出しの会話文はイメージできない

「書き出し」を「会話文」にすると、読み手の脳内で明確なイメージが湧きません。

 誰かしゃべっているようだけど、どんな人がどんな状況でどう考えてしゃべっているのか。それがわからないからです。

 だから「書き出し」から「会話文」が何行も続いていると、いつまで経っても脳内で「映像化」されません。

 地の文が出てきて初めて「どんな人がどんな状況でどう考えているのか」が明らかになって「映像化」がスタートします。その段階でいったん「書き出し」まで遡って「どういう意図でこの会話文を発したのか。また書き手は書いたのか」を判断することになるのです。

 つまり「会話文」で「書き出す」と読み手は感情移入しづらくなります。

 ただし「会話文」が一文だけで、すぐに地の文が書いてあれば、「映像化」をそれほど妨げません。視野に地の文が見えているからです。

「書き出し」から「会話文」を延々と続けて書いても意に介さない書き手が、小説投稿サイトたとえば『小説家になろう』にもかなりいます。とくに「ライトノベル」は「会話文」を読ませるために書かれる側面があるのです。地の文は「会話文」では説明しきれない状況や形質などを読み手に伝える目的で書きます。

 そのあたりの認識の違いが、書き手と読み手のギャップにつながるのです。




地の文と会話文の割合

 私の小説は「地の文:会話文」の比率がだいたい「八:二」ほどが多い。

「ライトノベル」の比率は「五:五」が基本で、設定が複雑なら「六:四」、単純なら「四:六」となります。

 そう考えると、今の私の書き方では「ライトノベル」になりません。

 地の文のうち「会話文」で表せるものは「会話文」に切り替え、残った地の文も必要最小限まで削ります。

 生真面目に小説を読んできた人ほど、「ライトノベル」の文体はなかなか身につかないのです。最初から「ライトノベル」を読んで育ってきた世代が、今の「ライトノベル」業界を支えています。書き手が四十代以上である場合、今流行りの「ライトノベル」の書き方が身についていないのです。

 このハンデを乗り越えるために、年かさの書き手はつねに現在人気のある「ライトノベル」を研究する必要があります。

 何度も言いますが「ライトノベル」の主要な読み手層はあくまでも中高生です。四十代以上の感性で小説を書いているうちは「ライトノベル」の書き手として認めてもらえません。それは『小説家になろう』を始めとする小説投稿サイトにいくら新作を投稿してもブックマークや評価がつかない原因にもなります。

 四十代以上の大人であれば、毎年発売される『このライトノベルがすごい!』を購入して、上位作品の「大人買い」もできるはず。これはあなたの将来につながる必要経費と言ってもよいでしょう。

 なんの手本もなしに自分の感性だけで小説を書いていては、ターゲットとする読み手層に響かない小説の粗製濫造を続けるだけです。これ以上虚しい徒労を私は知りません。

 書くからには大勢に読まれなければ意味がない。そのためには今流行りの作品に便乗するのが最も手っ取り早いのです。

 始めは模倣でもかまいません。現在どんな小説が読み手に望まれているのかを知る。書き手としての才幹にかかわる重大事です。

 市場には「先行者利益」というものがあります。市場へ先に新作を投入した会社の商品には、後続者はすぐに追いつけません。その間に稼げるだけ稼いでやるのが「先行者利益」です。二番手三番手狙いでいくと「先行者利益」の一部を享受できます。剽窃や盗用にならない限りにおいて、模倣は悪いことではありません。むしろ「先行者」が発見した新たな道を誰にも遅れまいと追随する能力が求められます。

 必須となる能力は「誰よりも速く原稿を執筆し、誰よりも早く投稿する」ことです。

 努力が徒労に終わらないためには、小説界の「今のトレンド」を外さないことに注力しましょう。




サクサク一気読みと考えさせる深み

「会話文」にはこのような性質があります。読み手にリズムよく「会話文」を読ませて、サクサクと巻末まで一気読みしてもらえます。

 しかし現実として「会話文」で埋め尽くされている小説というものはイメージがいまいち湧きにくいのです。「サクサク一気読み」には向いていますが、「考えさせる深み」がありません。「考えさせる深み」は地の文で表現していくことになります。

 一人称視点であれば、主人公の見たもの聞いたもの感じたものなどを独白の要領で地の文に埋めていくのです。そうすれば「会話文」の量が減っても読み手に伝えたい情報を自然と読ませることができます。

 だからこそ「ライトノベル」の多くは一人称視点を採用しているのです。

 筆力がそれなりでも読み手を惹き込んで、巻末まで「サクサク一気読み」させながらも、「考えさせる深み」を独白の形で提示すれば、読み手はおおいに評価してくれます。




小説の基本は一人称視点

 小説を書き慣れない書き手は、どの陣営をも眺め、誰の心の中も覗け、どうとでも物語れる三人称視点の中でもとくに「神の視点」を採用しがちです。

 しかし「神の視点」は視点があちこちに飛び散ります。読み手は誰に感情移入したものかと、ストレートに感情移入できないのです。

 書き慣れないのに苦労して「神の視点」で小説を書きあげ、小説投稿サイトへ掲載してみたものの、誰からもブックマークされないし評価もされない。それは「神の視点」だからです。

「神の視点」は誰でもそれなりに物語を書けてしまう「魔法の書き方」と言えます。ですが、計算もなしに用いると、確実に物語が空中分解するのです。

 そこで今すぐ「神の視点」をやめて一人称視点で書く努力をしてください。「この小説は主人公側と魔王側の両面から物語りたいから、一人称視点では書けない」。そう考えがちなのですが、これは解決できる問題です。

 ある場面シーンでは「主人公の一人称視点」、ある場面シーンでは「魔王の一人称視点」と使い分けます。そして「主人公の一人称視点」を書いているところに「魔王の一人称視点」を混ぜないよう気を配ってください。逆もまた然りです。

 きっぱりと「主人公の一人称視点」と「魔王の一人称視点」が分かれていれば、どちらも一人称視点であり、読み手に感情移入してもらいやすくなります。

 そうなれば結果として「会話文」と地の文のバランスも改善するのです。

「会話文」は発言者の意図を込めて書かれるもので、誰が話し手で誰が聞き手なのかをはっきりと分ける必要があります。

「神の視点」はこの話し手と聞き手が混沌としやすいのです。次々と現れる話し手に視点が移ろって、誰の視点から書かれているのかが一見ではわかりません。

 ですが「一人称視点」にすることで、主人公が話しているのか聞いているのか、他人同士が話しているのを傍らで聞いているのか。それが明確になります。つまり混沌がなくなり、「会話文」に秩序がもたらされるのです。

 一人称視点で秩序のある「会話文」を書けば、地の文にも秩序がもたらされます。

 誰がそのシーンの主人公で、それがどのように動いたのか感じたのかが綺麗に分けられるのです。

 結果として、苦労して書いた「神の視点」のときよりも格段にわかりやすい小説に仕上がり、ブックマークや評価もより多く付くようになります。

「神の視点」を脱し、まずは「一人称視点」に注力することです。「一人称視点」が慣れてきてから、「三人称視点」に挑戦してください。ですが決して「神の視点」では書かないように。「神の視点」には欠陥が多すぎることは上記しました。

「一人称視点で書けと言われても、どう書けばよいのかわからない」という方もいらっしゃると思います。

 現在「紙の書籍」として出版されている「ライトノベル」は概ね「一人称視点」で書かれているのです。つまり「ライトノベル」を数多く読んでいれば、「一人称視点」とはどのようなものなのかは体得しています。まさに「門前の小僧、習わぬ経を読む」です。

 でも「紙の書籍」を買うだけの経済力がない。そんな方もいらっしゃるでしょう。その場合は小説投稿サイトでランキング上位の作品を読んでみましょう。確実にとは言えませんが、十中八九「一人称視点」で書かれているはずです。

「一人称視点」と「三人称視点」。より評価されやすいのは「一人称視点」です。

 誰が主人公のどんな物語なのかを早いうちから示せるので主人公に感情移入しやすく、そのためブックマークと評価が加点されやすくなります。そのため三人称視点よりも明確にランキングポイントの初動がよいのです。

 私は戦争ものをよく書くため、概して「三人称視点」に陥りがちです。そこで意図的に「この場面シーンはこのキャラが主人公」と決めて、場面シーンの移り変わりを明確にします。「三人称視点」をわかりやすくする工夫を施しているわけです。





最後に

 今回は「書き出しで会話文から入ると」ということについて述べてみました。

「ライトノベル」の台頭により「会話文」が中心となる新たな文体が生み出されたのです。しかし、その流れはややもすると「会話文」だけが連なっている小説を生み出します。

「書き出し」から「会話文」を用いてしまうと、初めて地の文が出てくるまでその「会話文」は宙に浮いたままになるのです。地の文を書くことで読み手は初めて大地を踏みしめて宙に浮いていた「会話文」を解読する作業に取りかかれます。

 ですので「書き出し」を「会話文」で始める場合は、すぐに地の文を書いてください。

 また「書き出し」を「会話文」にすると「神の視点」になりやすいのです。その「会話文」は誰が発したものなのかがわかりません。主人公かもしれませんし、他の誰かかも知れないのです。

 逆説的ですが「神の視点」から「一人称視点」に切り替えるだけで、「会話文」が最適化されます。話し手と聞き手が明確になるからです。

「神の視点」と「三人称視点」は異なります。「一人称視点」に慣れてきて群像劇が書きたいという動機が生まれたとき、初めて「三人称視点」に挑戦してください。そのときも誰の心の中も覗けるようにはせず、全員の心の中は語り手であるあなたが推測したものを書くにとどめます。それができて初めて「三人称視点」を使いこなせるのです。

「書きやすい」という理由だけで「神の視点」で執筆すれば、執筆スキルが上がりません。今すぐ「神の視点」から脱却しましょう。



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