763.回帰篇:よい小説は存在しない

 今回は「よい小説は存在しない」ことについてです。

 そもそも「よい小説」ってどのようなものでしょうか。

 文章力が危うくても楽しめる作品はありますし、文章力が完璧でもまったく面白くない作品もあります。

 あなたはどんな基準で「よい小説」を捉えているのでしょうか。





よい小説は存在しない


「小説が書けるようになってどうなりたいか」の答えとして「よい小説が書きたい」と答える方が一定数いらっしゃいます。

 そんなものが書けるのであれば、誰だって小説が書けるようになりたいと思うでしょう。

 では現実問題として「よい小説」というものは存在するのでしょうか。

 答えは標題に掲げてありますが、「よい小説は存在しない」のです。




そもそもよい小説とはなにか

 では皆様にお尋ねします。あなたにとって「よい小説」とはどんなものですか。

 おそらく「尊敬し憧れる書き手が書いた小説」のことを指しているのではありませんか。「自分もこんな小説を書いてみたい」という思いが、皆様にとっての「よい小説」をかたどっているはずです。

「よい小説」がどんな構造をしていて、どんな流れを展開して、どんな文法で書かれているのか。語彙の選び方や比喩の仕方など。そういったものを含めて「よい小説」という平易な言葉に置き換わっているのです。

 あなたにとっての「よい小説」を目指しましょうと言われたとき、どんな学習法を用いれば「よい小説」に到達できると考えていますか。

 この際、最善の学習法は「写本」です。手本を何度も何度も「写本」すれば、「尊敬し憧れる書き手が書いた小説」のありとあらゆることが丸々手に入ります。しかしそれは「あなた自身の小説」ではない。丸々手に入ったとしても、それは「尊敬し憧れる書き手の書いた小説」であって「あなた自身の小説」ではありません。

「写本」して手に入れた文体は、手本となった書き手の「二番煎じ」にしかならないのです。つまり「あなた自身の小説」ではなく、「尊敬し憧れる書き手の劣化コピーが書いた小説」に他なりません。

 であれば、あなたにとっての「よい小説」は「尊敬し憧れる書き手の書いた小説」を参考程度にし、独学して書けるようになる必要があるのです。



よい小説に求めているもの

 あなたは「よい小説」になにを求めていますか。

 淀みなくすらすらと読みやすい小説でしょうか。ページをめくる手が止まらなくなるようなワクワクする小説でしょうか。読み手の裏をかくような痛快な小説でしょうか。心を揺さぶる悲恋や宿命をテーマにした小説でしょうか。哲学的な命題を提示して考えさせる小説でしょうか。あるいは、これらのいくつかもしくはすべてを満たした小説でしょうか。

 答えはあなたの心の中に存在します。

 書きたい小説とは、あなたの心の中にある「よい小説」ですよね。

 そんなものは「絵に描いた餅」だと思いませんか。理想だけは朧げながらあるにしても、その実、形がなにもありません。


 私が「よい小説」に求めている最大のものは「すらすら読めて難しくない小説」です。読み手に重い命題を考えさせることなく、もっとライトに命題を解決してみせて読み手に解法を提示する。そうすれば「重い命題」を盛り込んでも「すらすらと読めて解法も手に入る難しくない小説」が出来あがります。

 こういった小説には「深みがある」ように見えるはずです。

 だからといって「重い命題」をいくつも設定してはなりません。一作にひとつの「重い命題」を据えて、その「解法」を読み手に提示するように配慮するのです。

 田中芳樹氏『銀河英雄伝説』は「きわめて民主的に支持された専制政治と、腐敗してひとりの評議会議長に政治決定を委ねてしまった民主共和政治のどちらがよい政治形態なのか」が「重い命題」となっています。専制君主としてのラインハルト・フォン・ローエングラムと、評議会議長としてのヨブ・トリューニヒトのどちらがましなのか。作品を読めばラインハルトのほうがましという「解法」が明確に提示されています。しかし国家体制のあり方として、専制君主による軍国主義と文民統制(シビリアン・コントロール)による民主共和主義のどちらがましなのか、という問題もあるのです。これは先軍政治で自ら陣頭に立つ皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムと民主共和制での文民統制を徹底したヤン・ウェンリーとの問題であり、「解法」は示されていません。これはラインハルトとヤンの戦術的な戦いはつねにヤンが勝利し、戦略的な戦いはつねにラインハルトが勝利していたからです。戦略と戦術のどちらに重きをおくのかは人それぞれの価値観によります。軍事的な観点からいえば戦略に重きをおくべきなのです。最初から戦いに勝ってのち実戦に挑めば、たとえ戦術上で敗北しても結果的には勝利できます。ラインハルトとヤンの戦いでも、ラインハルトは戦略上で勝利する条件を整えてから戦術上の戦いを挑んでいたのです。


 あなたにとって「よい小説」とは、万人にとって「よい小説」であることが望ましい。これは原則です。そんな小説はこの世に数多あります。名筆家はそういった「万人ウケ」する「よい小説」を書くから「名筆家」なのです。

 そうではなく、どこか一点において「よい小説」であればいい。それが数少ない読み手にピンポイントで共感してもらえたら、その人にとっての「よい小説」となりうるのです。

 初めのうちはあれこれ欲張らないでください。なんでもいいのでどこか一点が「よい小説」であればいい。そのくらい気楽に考えましょう。

「兄妹もの」を「よい小説」と思っている読み手も多いのです。要はピンポイントに絞った「よい小説」の要素に、どれほどの読み手が魅力を感じてくれるのか。それがわかればランキングに載ることも夢ではありません。




それでもよい小説は存在しない

 ここまで前向きに「よい小説」を捉えてきましたが、実際問題として「よい小説」は存在しません。必ずどこかに欠点があるのです。これはそのジャンルの小説としては「よい小説」と呼べるのかもしれません。しかし門外漢から見れば、とてもではないが「よい小説」と断じられないのです。気に入っているジャンルだから「あばたもえくぼ」、多少の欠点があっても読み手は「これも愛嬌」と気にもとめません。しかしとくに好きなジャンルでもない小説を読むと、途端に「ここが悪い」「あそこが気になる」と欠点ばかりが目につきます。だからとても「よい小説」などと判断できない。どちらもその小説を読んだ感想を述べているだけなのに、「よい小説」と言う人もいれば「よい小説ではない」という人もいます。

 つまり万人にとって「よい小説」というものは存在しないのです。

 先ほど「名筆家は『万人ウケ』する『よい小説』を書くから名筆家」と書きました。

 これはある意味そのとおりであり、ある意味で異なるのです。

「万人ウケ」を突き詰めれば、その小説におけるたったひとつの「テーマ」が万人の関心のあるものだった。ただそれだけです。

 たとえば「生と死」という「テーマ」。すべての人が生きておりいずれ死んでいきますから、万人が関心を持ちますよね。だから「万人ウケ」するのです。

 しかし「生と死」を「テーマ」に据えた小説を探してみると、存外多いことにお気づきでしょうか。

 文学小説はかなり多くの作品が「生と死」を「テーマ」にしています。芥川龍之介氏も有名な『羅生門』『蜘蛛の糸』などで「生と死」について書いているのです。お笑い芸人ピース・又吉直樹氏『火花』だって「生と死」から抜け出せていません。若竹千佐子氏『おらおらでひとりいぐも』も「生と死」が「テーマ」です。

 また推理小説では、冒頭に登場する死体とそれにまつわる生者との物語であり、やはり「生と死」が付きまといます。SF小説・ファンタジー小説は人の命がとても軽い世界であることが多く、それゆえに「こんなに死んで大丈夫かいな」と思われてしまいますが、それでもなんとかなるのです。ライトノベルでも「剣と魔法のファンタジー」は登場人物の「生と死」なしには語れません。

「生と死」が「テーマ」の小説など腐るほどあるのです。「万人ウケ」を狙ってもすでに幾人もの先達がおり、それらを超えるような小説でないかぎり正当に評価されません。「生と死」を正面切って書き切ろうとするならば、数多の「文豪」とも勝負しなければならないのです。あなたに勝ち目があるとお思いですか。




突破口は側背攻撃

 今は正面切って「生と死」を「テーマ」に掲げないほうがよい。他に目を惹く要素を作って、そちらだけでもじゅうぶんに満足してもらうことを考えましょう。その中に「生と死」が含まれていて側背攻撃すれば、興味深い作品が生み出されるのです。

 閉塞的な小説界に生み出された革命的なライトノベルが川原礫氏『ソードアート・オンライン』シリーズです。「VRMMORPG」をメインの「テーマ」に据えながら、ゲームをプレイしているのにプレイヤーにそして読み手に強く「生と死」を感じさせる仕掛けを施しました。この仕掛けが功を奏し、今なお連載が続き、アニメ化も続くという好循環を生み出したのです。これほど長く支持されるライトノベルは数少なく、かつ文学小説を含めた大衆小説の中でも傑出した作品であることは読んだ方ならすでにおわかりのことと思います。

 これほど革新的な『ソードアート・オンライン』を猛烈な勢いで追い越していったのが鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』シリーズです。こちらはスピンオフ作品の『とある科学の超電磁砲』シリーズとの合算で『ソードアート・オンライン』を軽く凌駕しました。『とある魔術の禁書目録』シリーズが成功した要因は「ローファンタジー」だったことでしょう。「特殊能力を持つ高校生たちの物語」というのはライトノベルの主要層である中高生から大きな支持を得ました。ライトノベルを読む多くの中高生は「なにかをこじらしている」ものですからね。そして特殊能力を活かした「異能力バトル」により「生と死」を感じさせる見事な正面突破を果たしました。

『とある魔術の禁書目録』シリーズが『ソードアート・オンライン』シリーズの上を行った最大の理由は、つねに「生と死」を感じさせるバトルが繰り広げられている点にあるでしょう。

 『ソードアート・オンライン』シリーズは第二巻までの「アインクラッド編」が「デスゲーム」となっており、ゲーム内で死ぬと現実世界でも死んでしまう。強制的にログアウトすることもできない状況下でゲームに挑まなければなりませんでした。しかしこの仕掛けは多用できません。「またか」と読み手に免疫がついてしまうからです。それにより、どうしても「生と死」成分は薄まってゲーム感覚に落ちてしまうのが難点でした。

 しかし『とある魔術の禁書目録』は実戦闘において「生と死」をかけたド派手な「異能力バトル」が繰り広げられます。つまり毎巻読めば読むほど「生と死」のスリルを存分に味わえるのです。これで中高生が食いつかないはずがありません。しかも「生と死」を「テーマ」として正面突破を敢行したのです。ライトノベルの読み手に最も支持される理由がこの勇気にあります。普通の書き手であれば「生と死」に挑むことは「文豪」との戦いであることを意識せざるをえません。そこを鎌池和馬氏は強行突破して見せたのです。




これからの書き手は

 これからの書き手には「生と死」という普遍的な「テーマ」をどう扱うべきなのでしょうか。

「文豪」との戦いを避けて別の「テーマ」に向かうのも悪くありません。渡航氏『俺の恋愛ラブコメはまちがっている。』のように「青春」を「テーマ」に据えて現実世界恋愛を書いてもいいのです。こちらは『このライトノベルがすごい!』で三年連続首位を獲得して殿堂入りした近年の傑作のひとつに数えられます。

「異能力バトル」を切り口に「生と死」と真正面から向かい合った『とある魔術の禁書目録』シリーズのように、勇気を持つのもよいでしょう。

『ソードアート・オンライン』のように、「生と死」を見せながらも「主人公最強」となってゲームをクリアするごとに別のVRMMO世界へ渡り歩いてゼロからやり直すスタイルというのも着眼点に優れています。

 もちろんライトノベルの古より書き連ねられてきた「剣と魔法のファンタジー」にだって活路はじゅうぶんにあるはずです。

 書き手としてはまず「生涯書き続けたい命題テーマ」を考えることから始めましょう。

 文学作品で「生と死」を書き続けたい。そう志すことも自由です。

「異能力バトル」を書き続けたいでもかまいません。

 王道の「剣と魔法のファンタジー」を書き続けてもよいのです。

 要は、書き手としてのあなたの「代名詞」になるような「テーマ」が欲しい。

『フルメタル・パニック!』でブレイクした賀東招二氏は、『甘城ブリリアントパーク』で多少苦戦しています。これは「生涯書き続けたい命題テーマ」の不明なところが枷になっているのです。もし「ロボット・アクション」に特化したテーマを書き続けていれば、現状よりもラクに支持を得られたでしょう。そうしなかったのは、賀東招二氏が書きたかった小説を『フルメタル・パニック!』で書き尽くしてしまったからではないでしょうか。しばらくは同じような作品は書けないな。そう思ってしまったのかもしれません。その結果が『甘城ブリリアントパーク』の失速につながっているのです。賀東招二氏が「ロボット・アクション」ものをまた書いたとすれば、必ずや往年のファンは歓喜して戻ってくることでしょう。それくらい「代名詞」となるような「テーマ」が欲しいのです。

 文学小説では「生と死」以外に「友情」が「テーマ」になりやすい。夏目漱石氏『坊ちゃん』、太宰治氏『走れメロス』のように。

 自身の評価を「生涯書き続けたいテーマ」に求めるのか、「多様な作品が書ける」ことに求めるのか。前者は熱狂的なファンによって支えられ、後者は文壇に名を残すような名筆家としての名声によって支えられます。





最後に

 今回は「よい小説は存在しない」ことについて述べました。

 万人誰もが読んで「傑作だ」と太鼓判を押されるような作品はまず書けません。

 そもそも「よい小説」かどうかは読み手の主観によります。書き手は読み手に物語を見せることしかできないのです。

 最も普遍的で安定している「命題(テーマ)」は「生と死」ということになっています。

 文学小説は「生と死」もしくは「友情」で結びついている作品が多いのです。

 そういった名筆家と直接対決することを厭わない姿勢があれば、ライトノベルを書いていても必ずや成功することでしょう。

「よい小説」なんて存在しない。

 それがわかっていれば、今と比べて「よりよい小説」を目指す足がかりにもなります。



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