649.文体篇:創作過程の一部をお見せします(箱書き)

 久しぶりに「箱書き」を進めてみました。これがだいたい「箱書き3」です。

 ここまでくれば「プロット」に入ることができますね。

 事典を進めながらラストまでの「箱書き3」を書き終え、終わり次第「プロット」を作成します。





タイトル

 秋暁の霧、地を治む


軍制

 王国軍:軍務長官直轄従卒一万人、将軍従卒五千人、うち中隊長従卒五百人、うち小隊長従卒五十人、うち什長従卒十人、伍長従卒五人

 将軍の引率構成:騎兵中隊二個(戦車小隊一含む)、軽装歩兵中隊四個、重装歩兵中隊四個。軍務長官はそれぞれ二倍を有する

 帝国軍:大将従卒四万人、うち大隊長従卒五千人、うち中隊長従卒千人、うち小隊長従卒百人、うち什長従卒十人、伍長従卒五人

王国:

  アマム プロローグ(軍務長官)⇒第一章(将軍)

  タリエリ プロローグ(将軍:戦死)

  ミゲル プロローグ(中隊長)⇒第一章(将軍)

  ガリウス プロローグ(中隊長)⇒第一章(将軍)

  ナラージャ プロローグ(小隊長)⇒第一章(中隊長)

  カートリンク 将軍⇒第一章(軍務長官)

帝国:

  エビーナ プロローグ(大将:戦死)

  クレイド プロローグ(第一騎馬中隊長)⇒第二章(大将)





プロローグ

●八月:テルミナ平原の会戦

 王国軍:醜く肥えた嫉妬心の強い軍務長官アマム率いる四万五千の兵・将軍八名(軍務長官含め)

  主人公ミゲル中隊長、ガリウス中隊長は人格者として知られるタリエリ将軍の指揮下で後詰を務める

 帝国軍:人望の篤いエビーナ大将率いる四万の兵

  巨躯の禿頭クレイド中隊長は騎馬大隊長に疎まれて後詰を務める

 三人称視点。王国軍視点。帝国軍は動作だけを書き、心理描写はしない。


 夏の盛りで雲ひとつない抜けるような青空の下、「中洲」の下流域テルミナ平原に王国軍四万五千と帝国軍四万が対峙していた。

「全軍、前進せよ」

 戦の口火が切られると王国軍務長官アマムは兵力差を利用し帝国軍に正面決戦を仕掛ける。先鋒を務めた各将の戦車隊が互角に終わると、主力同士が正面から激突した。たちまち王国軍優勢となる。平地での戦いで正面決戦となれば、人員の多いほうが優位に立つのが道理である。


 前軍務長官カートリンクが任期の五年を全うし、五戦二勝二敗一分と平凡な戦績だったことから次期軍務長官を誰にするのか将軍たちで選挙をした。手下の将軍の多かったアマムが新しい軍務長官となる。醜く肥え太った体型が特徴で、帝国軍からは「肉まんじゅう将軍」の異名を与えられている。今年のテルミナ平原の会戦において、手下の六将軍と数合わせのタリエリ将軍を引き連れて赴いてきた。


【このシーンは帝国軍エビーナ大将とクレイド中隊の動きを書くことになる。三人称視点、帝国軍視点で書く】

 エビーナ大将は先駆けの戦車戦が互角に終わったのを見計らって、全軍をそのまま前進させ、両軍は中ほどで激突する。

 混戦のさなか、王国軍右翼に帝国軍左翼第二軽装歩兵大隊と後詰めの第一騎馬中隊との分断を成さしめてしまった。

「エビーナ大将! エビーナ大将! ええい、王国軍が邪魔か」

 エビーナ大将との連絡を絶たれた第一騎馬中隊長クレイドは、王国軍右翼をエビーナ大将と挟撃しようとする。しかしエビーナ大将が半包囲されているため挟撃には至らなかった。クレイドは「自分は遊兵になっている」と判断し、中隊単独で王国軍の側背へ回り込むことを決めた。

「我々は一時戦場を離脱する。皆ついてこい!」


【王国軍視点に戻る】

 王国軍では親カートリンクのタリエリ将軍は、手柄を与えたくないとの軍務長官アマムの思惑によって後詰を務めることとなった。麾下のミゲル中隊長とガリウス中隊長は帝国軍の後詰が戦場を離脱したことを側背に回り込むためだと予想しタリエリ将軍へ報告。側背へ監視の目を光らせる。

「数のうえで不利なのに騎馬中隊だけが戦場を離脱することは戦術的にまず考えられません。ここは一度我々の視界から外れ、側背いずれかから奇襲をかけるつもりではないでしょうか」


 タリエリ将軍は角刈りの黒髪で口ひげが特徴的な五十二歳。前軍務長官カートリンクの懐刀として帝国軍や異民族、野獣の群れなどと戦って軍功を重ねてきた。ミゲルとガリウスは小隊長副官の頃から仕えている。功績を鼻にかけず手柄も独り占めしない、徳も高く人望も篤い人物。ミゲルとガリウスの力量を正しく評価しており、剣としてのミゲル隊、盾としてのガリウス隊を巧みに使い分けており、両名の中隊長昇進の早さが他を圧するのもふたりの才能を高く評価したタリエリ将軍の用兵によるものである。


【このシーンは三人称視点、王国軍視点のままで。「秘密」の共有を目的とする】

 クレイドは戦場の視界から離れると、エビーナ大将本隊と切り離すために突出していた王国軍右翼の側背に狙いを定めた。素早く回り込んでくさびを打ち込み、横薙ぎで王国の軍務長官アマムを討ち取るべく、雄叫びをあげて突撃していく。


【三人称視点。王国軍視点】

「ミゲルとガリウスの言うとおり、やはり奇襲か」

 タリエリ将軍は帝国軍クレイド中隊の出現を確認すると、ガリウス中隊に軍務長官守護を指示し、ミゲル中隊に帝国軍大将を討ち取るべく帝国軍の右側面からくさびを入れるよう指示する。

「ミゲルは帝国大将を左側背から攻撃。私がそれに連動して挟撃をかける。ガリウスはその間時間を稼いで軍務長官をお護りせよ」

 王国軍は前がかりで攻めていたため帝国本隊と死角から襲いかかるクレイド中隊との激しい挟撃を受けることとなる。精強なクレイド中隊の勇戦により、王国将軍が次々とクレイドの槍の露と消えていった。指揮官を失い撤退もままならない王国軍兵士はなりふり構わず帝国軍に殺到し、そのまま双方激しい消耗戦を繰り広げることとなる。タリエリ将軍本隊はミゲル中隊と呼応しエビーナ大将の直轄部隊を挟撃する。

「かの中隊の進撃が速い! ミゲル、早くエビーナ大将を討ち取るのだ!」

 自らの手で四将を薙ぎ払ったクレイドの前進はとどまることなく、エビーナ大将をミゲル中隊と挟撃していたタリエリ将軍をもひと息に打ち倒す。一路軍務長官アマムを目指して、ガリウス中隊の防壁へ突進する。

「ここは死んでも通さない! 各隊防御陣を維持せよ!」

 ガリウス中隊が決死の覚悟で食い止め続ける。

「中隊長殿のためになんとしてでも敵大将を討ち取るぞ! 小隊、俺に後れるなよ!」

 その間、ミゲル中隊が“無敵”のナラージャ小隊を先頭とした怒涛の突撃を見せて瞬く間に帝国大将エビーナを討ち取った。


 戦争は帝国の大将、王国の軍務長官が討ち取られた時点で負けが決定する。そこで今回の戦は終わり、双方兵を退くこととなる。軍事に精通した大将、軍務長官は情勢が不利と見れば即撤退し、被害を最小限にして翌年に備えていた。前軍務長官カートリンクは戦う前に兵力差を加味して戦うか退却するかを判断していた。それが五年で二敗した原因である。兵を損ねない敗北は翌年の兵力増強につながり、事実翌年には大勝している。

 此度の戦いにおいて双方甚大な被害が出たのは、数をたのんでクレイドによる挟撃を受けても退くことができなかったアマムの狭量さと、クレイドの突撃を全力で支援しようとしたエビーナ大将の奮戦の結果である。

「これだけ兵を損ねては国王陛下に顔向けもできん。せっかく手にした軍務長官職も奪われてしまう。どうすればよいのじゃ」

 保身を図ろうとするアマムの身勝手さだけが戦場に漂っていた。


 王国軍:軍務長官以外の将軍七名の戦死と四万を超える兵を失う。生き残ったアマムは軍務長官職を解任され、前長官のカートリンクが軍務長官の座に返り咲く。

 帝国軍:エビーナ大将と五人の大隊長、そして三万六千の兵を失う。五人の将軍を自ら打ち倒し軍功著しいクレイドは中隊長から一気に大将へと昇進することとなる。





第一章:将軍任官式典

●八月:レイティス国王都

 王国軍:残存兵四千弱。七名の将軍を失い前軍務長官アマムの降格により、残存兵を率いる将軍が必要となる。適任として帝国軍エビーナ大将を討ち取ったミゲル中隊長と、アマムを守り抜いたガリウス中隊長が推挙された。しかし残存兵に予備役を加えても五千程度と将軍ひとりぶんの兵数しかない。そこで二十代の新将軍に半数の二千五百ずつの兵を割り当てることとなった。


【王都王城軍事会議室】

 二人の保護者でもあった七十二歳の短い銀髪の老将、軍務長官に返り咲いたカートランクは二人を将軍へ取り立てたい。しかしともに二十代と若いため諸将の反対に遭う。そこで予備役から千人を加えてミゲル、ガリウスに二千五百ずつ(本来将軍は五千人を率いる)割り振る提案をし、ようやくふたりの将軍昇進は受理される。


【カットバック】

 朝焼けを思わす落ち着きのある橙がかった赤髪をした二十四歳のミゲルは商家に生まれたが、親族が早くに流行り病で亡くなったため頼る者もなく、王都のスラム街を根城に子どもながらもスリをして生計を立てていた。ある日場内を巡視していたカートリンクの財布をスろうとして失敗し、保護者へ引き渡そうとしたが引き取り手がいなかったため、カートリンク自身が身を引き受けることとなった。それ以降ミゲルはガリウスとともにカートリンクから剣の扱いに始まり、命の尊さや悪事を忌むこと、他人を損なえば自身の心が失われることなどを教わる。士官学校に入って一年、小隊長副官となったが、ナラージャという変わり者の什長を手懐けた。のちに“無敵”と称されるナラージャの比類なき攻撃力をもってミゲル小隊は軍功を重ねることとなった。中隊副官となった際もナラージャ小隊を効果的に用いて軍功が著しかった。中隊長となってもナラージャを小隊長のままとし、中隊副官には別途ラフェルを起用した。


【カットバック】

 さらりとした栗色の髪をした長身で二十八歳のガリウスは北方国境の城塞都市に住む名家の出身だった。二十一年前、七歳のときに異民族が城塞都市を攻め落として住民を大虐殺する。ガリウスの家族は彼を階段下にあつらえてあった秘密の隠し部屋へ押し込み、彼が隙間から見つめる中で惨殺された。当時将軍であったカートリンクが半日後れで城塞都市に到着すると異民族はたちまち掃滅された。カートリンクの指令により生存者の捜索が行なわれ、住民一万五千余人のうち生き残ったのはガリウスを含めて七人のみ。王国軍に護られながら王都へ帰還した「奇跡の七人」となったが、そのときガリウスは声を失っていた。王都に身寄りもなくひとりで生きていくのも難しいと判断したカートリンクは、ガリウスの身を引き受けた。老将の庇護と四年目に家族に加わったミゲルとの共同生活を経て翌年の十二歳で声を取り戻す。


【王都士官学校控室】

 カートリンクにより育てられた二人は十五歳になると相次いで士官学校へ入る。とくにミゲルの才能は傑出しており、通常将軍昇格は四十歳過ぎが多い中、二十四歳は異例の速さである。ガリウスもミゲルの導きにより二十八歳での将軍昇進となった。

 ミゲルとガリウスはともに赤マントを羽織って控室で座って待っていた。

「今回の卒業は俺たちだけか」

 ミゲルは毒づいたが、先の戦いでの残存兵は四千弱であり、予備役の千余人を加えても、率いる五千の兵は将軍ひとりのものである。ほぼ兵を温存させたミゲル中隊とガリウス中隊を中心に再編成する案がカートリンクから挙げられた。そんな中での二名昇進であるから、「半人前」という諸将の認識が透けて見える。

 ミゲルは将軍への昇進には消極的だったが、ガリウスはミゲルが昇進しなければ自分も昇進しないと伝えたため、仕方なく昇進に同意した。それでも心の中では中隊長よりも多くの兵を率いる地位に就くことには逡巡している。人を殺す権限が高まるほど、カートリンクの教え込んだ倫理観が心の中で燻るのだ。ガリウスの前で弱音を吐くが、今さら撤回しては保護者だったカートリンクの顔を潰すことにもなる。それでも弱音を吐かずにいられなかった。

 ガリウスはそんなミゲルの心を受け止めつつ、勇気を出して将軍職に就いてほしいと懇願する。

 ミゲルとガリウスはふたり揃って軍功を重ねてきた。

 ミゲルの部隊には“無敵”のナラージャという切り込み隊長がいる。小隊の頃からつねに最前線に立ち、ミゲル部隊のくさびを担っていた。ミゲル中隊では絶大な突貫力のある小隊を率いる小隊長として獅子奮迅の活躍を見せる。とくにミゲル本人は戦闘での敵味方の戦死者を悼む心が強い。だがナラージャの活躍により王国軍最高の破壊力を有する中隊として名を馳せていた。ナラージャはミゲル中隊長の意志をしっかりと汲み取っていた。突貫も手薄な場所を選択し兵と兵との狭間を進撃することで帝国軍の戦死者を減らし、かつ反撃を挫く鮮やかな手腕を披露した。今回ミゲルの大将昇進に合わせてミゲルの副官ラフェルも将軍副官へ進み、ナラージャは中隊長へ昇進となった。ナラージャの突貫力が中隊規模で存在すれば、帝国に対して相当なプレッシャーを与えることができるだろう。

 ガリウスの部隊は彼と副官ユーレムそして各小隊長との緊密な連携による、緻密な防御戦術を得意としている。十の小隊が交互に突出しては後退し、敵の小隊を誘い込んでは半包囲して叩いていくという手腕を発揮している。このため中隊規模で十倍する帝国大隊の進撃を阻止するほどの手並みを見せている。とくにミゲルとともに編み出した防御陣は鉄壁を誇り、王国軍劣勢の際は帝国軍の追撃を幾度も阻止してきた。タリエリ将軍が最も頼りにした守備的な中隊長であった。先の戦いでもクレイド中隊から軍務長官アマムを守り抜いている。


【王都王城内大広間】

 王城内大広間に案内されたミゲルとガリウスは、老王ランドルの前にひざまずいて将軍昇格の儀に臨んだ。その折アマム将軍から「将軍にふさわしい軍功を立てた中隊長は他にもいる」との悪態が飛ぶ。二年前の戦いで功績を挙げながら将軍に昇進されなかったアマム配下の中隊長がいたのだ。しかし当時アマムが位を並ばれるのを嫌って恩賞のみで済まされていた。またランドル王は中隊の戦死者数を理由として、位を上げるわけにはいかないとはねのけた。負け戦でもあり、実際に帝国大将を打ち倒したミゲルと、軍務長官アマムを守り抜いたガリウスの功績は多大なものである。今回は将軍を七名も失い、それを増補する必要がある。だが率いる兵がいないのだ。二年前に軍功を立てた中隊長はアマムを守ったとはいえ兵も百名を切った数しか生き残っていない。ほぼ兵を損ねることのなかった中隊を率いたミゲルとガリウスは、その点からも将軍昇格にふさわしかった。

 ランドル王はガリウスに将軍への意気込みを尋ねる。「カートリンク長官に師事し、知勇の均衡がとれた将軍を目指します」と即答してきた。ミゲルに尋ねるとミゲルは逡巡する。控室で気持ちを固めていたはずなのだが、いざこの場に臨むと心が揺れ動いてしまう。ガリウスに倣おうとも思ったが、自分の偽らざる気持ちを述べてみることにした。「できるかぎり人を殺めない将軍を目指します。それは味方のみならず帝国に対してもです。戦争の勝利とは相手を作戦遂行が困難な状態に追いこむことであって、大量殺戮をすることではありません」これが受け入れられなければ将軍職は辞退する。本心をさらけ出して周囲の反応を見ると、案の定各将軍から非難の声が相次いで飛んできた。

 しかしランドル王は若かりし頃カートリンクとともに異民族平定の兵を挙げ、なるべく異民族を殺傷することなく地位を保証することで騒乱を鎮めてまわった。その心意気をミゲルにも感じたランドル王は、この者こそ次世代の軍務長官いやそれ以上の地位にふさわしいと感じ始める。

 二人にそれぞれ一振りの宝剣と将軍を示す紫のマントを授けて昇進式は終わる。するとただちに軍務長官カートリンクが次なる脅威について問いた。帝国へ放っている斥候より、巨躯の禿頭クレイド中隊長が大将へ一足飛びに昇進し、次の戦いがそう遠くない時期だとの伝令が届いている。アマムは次戦での汚名返上を期し、総大将が自らに任せられるようランドル王の前で諸将に盛大なアピールをしていた。カートリンクは前戦から帰還してきたミゲルとガリウスからクレイドという巨躯禿頭の中隊長がいかに危険な人物なのかを伝え聞いている。できれば次戦にクレイド大将が軍を率いてこないことを望んでいるが、皇帝が中隊長から一足飛びに大将へと昇進させたということは、次戦の相手は新任のクレイド大将に間違いないだろう。実際手合わせしたミゲルとガリウスの経験を必要としていた。それがそれぞれ二千五百の兵しか持たないのでは、クレイド率いる一軍を相手にしえないだろう。ガリウスの防御陣も十倍の敵を凌ぐ戦術だが、二十倍の敵となればさしもの“鉄壁”も崩壊を免れないのではないか。ミゲル配下の“無敵”のナラージャが中隊長として五百の兵を指揮することとなったが、ひいき目に見ても百倍する兵を穿つだけの力量はないだろう。まだクレイド大将の用兵手腕はわからないが、用心しておくに越したことはない。カートリンクは王国軍内にはびこる帝国軽視の風潮が、次戦で悪い方向に働かないことを祈るしかなかった。





第二章:大将就任式典

●八月:ボッサム国帝都

 帝国軍:残存兵二千。エビーナ大将と五人の大隊長を失う。

 戦死した王国将軍七人のうち五人を打ち倒し、軍功著しいクレイドは中隊長から一気に大将へと昇進することとなる。


【歴史背景】

 プレシア大陸の南東地方には南と東を海に、北と西を山に囲まれた広大な平野があった。そこには二筋の大河が流れている。山脈の交わる西から平野の東へ伸びるアルビオ河と、その上流にあるテリオス湖から南東に伸びるルドラ川である。双方の川幅は広く、平野は大きく三つに分けられていた。

 二つの河川に挟まれた土地は「中洲」と呼ばれ頻繁に洪水が起こるため人の定住には適さない。反面肥沃で穀物のよく実る豊かな大地でもあった。

 北のアドリア山脈を初めて越えてきた部族は、アルビオ河の北岸にレイティス王国を打ち建てた。レイティス王国は肥沃な「中州」を食糧庫として急速に繁栄し、人々が街にあふれかえるようになる。

  六代国王は増えすぎた国民をルドラ川西南へ大規模に移民させ、新天地と定めた。ルドラ川上流域の渓谷に巨大な吊り橋を建設し、増えすぎたレイティス国民を半減させる政策だ。この地は「新地」を意味するレイティス語「ボッサム」と名づけられた。野獣の跋扈する危険な土地であったため、これまで移民は行なわれいない。しかし人口が増えすぎた以上、多くの民をこの危険な地へと移住させなければ王国の運営が保てないと時のレイティス王は判断したのだ。

 移民は苦難を極めた。国王は移住者を盛大に送り出しこそすれ、開拓にはまったく手を貸さなかったのだ。そのため強固な城壁を築くまでに幾万もの犠牲者を出すこととなる。

 便宜上ルドラ川南西岸に造営される領地は「ボッサム市」と仮称される。その中で山脈を背にし水利と陽あたりがよい高台に城邑を構えることとなった。前任者たちは野獣の群れが襲いかかる中での都市建設の至難さと多忙さで過重労働が続き、いずれも耐えきれず病に伏した。次の移民行政官としてレブニス伯爵が着任する。爽やかさを想起させる澄んだ青い瞳を持つ。文官だが法学・兵学の心得もあり、与えられた役割をじゅうぶん以上の成果で応えた。のちの歴史家は彼の手腕を「非凡というより奇跡」と讃えているが、当面は「人のよい勉強家」として市民に親しまれることとなる。

 若きレブニスはまず城壁を作る場所を一隅と定め守備人員を集中つつ、並行して城邑内の高台で行政官邸の完成を急いだ。官邸がないことにはいかに非凡なレブニスといえど建設推進と治安向上を同時に進行させることはできない。 着工からふた月で一隅の城壁と行政官邸が完成する。部下がそこから城壁を拡張する案をレブニスに提出したが、これは却下された。残り三隅の城壁新設に順次着手した。完成したら隅と隅の間に城壁を飛び石で築いていく。最も効率のよい手順を実行に移した形だ。あれだけ難渋を極めた城邑「ボッサム市」の城壁建設は、レブニス着任後四年で完成する。

 移民たちは当然のごとくレブニスの手腕を高く評価した。城邑完成まで祖国レイティスからなんら助力を得られなかった不満は溜まりに溜まっている。そこで移民たちは「ボッサム市」をレイティス王国から独立させようと策動しはじめた。

 商業組合所属の豪商四家は「新地」の開拓に意欲的だった。己が財産を惜しみなく注ぎ込み、王国移民行政官であった壮年のレブニス伯爵を支援してきた。親身だったのはレブニスにであり王国にではない。家族を野獣に襲われた四家は国王に憤り、死者を弔う席においてレブニスを担ごうと意見を一にする。

 弔事の翌日のこと。前夜の告別式での言動などレブニスには覚えがない。彼はそもそも酒に弱い。豪商たちがひっきりなしに乾杯を繰り返すため、許容量はとっく超えていたのだ。豪商四家の代表は、二日酔いに悩まされながらも居住区の建設指導に熱が入る移民行政官を訪ねてきた。建設の指揮を執っているレブニスに近寄り、酒席で彼が直筆で署名したとする「独立起案書」を証拠として掲げる。その場にいた誰もがレブニスによる新しい国を望み、移民を人とも思わぬレイティス王国の態度に憚ることのない声を挙げた。四家は「新地」に居住する「ボッサム市」住民の集会所に足繁く通い、移民従事を課せられた民衆を裏から焚きつける。策動が王国に看破されればボッサム市民は王国の権威を蔑ろにした咎で鞭打ち百回、無期限の懲役、財産の没収が予想されたため、話は城邑外には洩らさない気の配りようだ。

 城邑の八割が完成するときレブニスは「ボッサム市」の法律と軍律を体系化し独立自治が可能な政治体制の母体を生み出す。レブニスは豪商四家を後ろ盾として担ぎ上げられ、密かに「皇帝」の地位を贈られた。 城邑の完成とともに正式にボッサム帝国を興し、王国に公然と反旗を翻したのである。

 以来レイティス、ボッサム両国は「中州」の食糧を奪い合い、年一回の戦争を絶やすことがなかった。戦況は今日まで均衡している。


【帝都城軍務会議室】

 帝国は三人の大将をローテーションさせて運用していた。そのうちのひとりエビーナ大将が王国軍に討ち取られたため、次の大将を選定する御前会議が開かれた。

 大隊長八名のうち五名を失い、残った三名の中から選抜しようとしたヒューイット大将とマシャード大将だが、皇帝レブニスは王国将軍五名を打ち倒した剛の者クレイドを大将に就かせると発表する。ヒューイット大将とマシャード大将が推そうとしていたエビーナ大将付き第二重装歩兵大隊長、さらに第二軽装歩兵大隊長もクレイドを大将に推薦した。

 二大将は不承不承御意に従い、新大将はクレイドに決まった。

 さっそく皇帝は来月九月にクレイド大将をテルミナ平原へ送り出し王国軍と戦闘するよう勅命を出す。新大将は大隊長として大将から一年間、用兵術を学んだ者がなるべきであり、これまで大隊を率いたことのないクレイドには荷が勝ちすぎる。いきなり四万の兵を扱えるものとはとても思えない。そのような前例に則り当然異を唱えるヒューイット大将とマシャード大将だが、レブニス帝は「実力は予が保証しよう」と一蹴する。第一、今さらヒューイット大将やマシャード大将の下で一年間学んだところでたいしたものは身につかないだろう。亡きエビーナ大将の下であれば知勇兼備の良将となれただろうが、力押しを好むヒューイット大将やマシャード大将から学ぶべきものなどなにもない。なによりレブニス帝は型破りな大将を望んでおり、ヒューイット大将やマシャード大将、そして亡きエビーナ大将では考えもつかないような用兵をする人物を選びたかった。


【カットバック】

 かつて惰弱帝と王国軍からなじられていたレブニスを影から支え、政略の第一人者に仕立て上げた張本人がクレイドなのである。子供の頃から病弱だったレブニスは帝位に即いてまもなく閲兵式に臨み、抜きん出た巨躯を誇るクレイドに目をつけた。密かにクレイドを身近に招いては身体の鍛え方を学び、三年ののちようやく一年を通じて病気に罹ることがなくなった。それに伴いクレイドは什長から小隊長に昇進し、三年前に中隊長へと昇進した。今回の出兵で手柄を立てれば大隊長へと昇進させるつもりだった。

 計算外にエビーナ大将が討ち取られたため、これ幸いとクレイドを一挙に大将へと昇進させたのだ。ヒューイット大将とマシャード大将が推していた第二重装歩兵大隊長はレブニスの妹・皇女レミアであり、レブニス自身レミアが大将になることを快く思っていなかった。

 レミアはレブニスのふたつの意図、クレイドの昇進と彼女自身の退官のうち、まずクレイドの昇進を後押ししたのである。現在の帝国と王国の戦争において帝国はやや劣勢であり、自身の退官は時期尚早と判断していた。


【帝国北西・大規模演習場】

 新大将となったクレイドの実力を疑問視するヒューイット大将とマシャード大将に対し、模擬戦を行なって素質を見極めよとの勅令が下り、帝国の演習場には来月出兵予定の三万の兵とそれを率いるクレイド大将、そしてヒューイット大将とマシャード大将が揃った。この演習場は帝都の北西に位置し、ルドラ川上流域の渓谷に置かれている。ここは移民期に橋が架けられ、多くの王国民が移民としてボッサム市を目指したゆかりの場所でもある。そんなところに演習場を設けたのは、再び橋を架けられて王国軍が侵攻してこないよう監視する意図もあった。

 クレイドはヒューイット大将、マシャード大将と兵を二分して模擬戦を行なう。クレイドは麾下の兵士に「上官の指示に必ず従うこと」を誓約させ、四人の大隊長へ細かな指示に従うよう求めた。模擬戦でクレイドは変幻自在の用兵を見せ、ヒューイット軍、マシャード軍を次々と撃破し、六戦六勝の成績を収めた。二大将はクレイドの実力を認めざるをえなかった。しかし素直に認められるものでもない。とくにヒューイット大将はクレイドの巨躯を忌み嫌っており、大将の器は身体の大きさではないと憤慨していた。





第三章:新大将、躍動す

●九月:テルミナ平原

 王国軍三万五千 対 帝国軍三万

 王国軍は軍務長官に返り咲いたカートリンクが全将兵を引き連れる

 帝国軍はクレイド新大将が三万の兵を兵種ごとに細かな陣形を布いて待ち構えている。


【王都王城軍務会議室】

 斥候から帝国軍が九月に打って出るとの伝令がレイティス本国に届いた。ただちに軍務長官カートリンクが全将軍を招集し、対策会議が始まった。

 帝国軍は先月新たに大将となったクレイドが兵三万を率いて「中洲」下流域テルミナ平原へと向かっているという。

 アマム将軍は汚名返上のため総大将に名乗り出たが、今回は王国全軍を出動させるため軍務長官カートリンクが直々に率いることとなった。アマムら四将は相次いで先鋒を主張する。先鋒で実績を残せば恩賞に与れる。帝国軍三万、王国軍三万五千であり、勝ち戦となるのが目に見えていたからである。ミゲル将軍とガリウス将軍からクレイドの用兵を聞いていた軍務長官カートリンクは、クレイドに猶予を与えずに勝つため、四将の布陣に腐心することとなった。


【中洲・テルミナ平原・帝国軍視点】

「中洲」は九月になると朝から霧が立ち込めるため、自然と午後からの決戦となった。雨が降る中、クレイド新大将は極端にこじんまりとした陣形を布く。中央を支える重装歩兵が一万を横二百に並べて正面へ、軽装歩兵一万六千と騎兵四千をふたつに分けてその後ろに陣立てした。通常、先制攻撃を告げる戦車隊を率いるものだが、三万の兵で王国軍に勝たなければならないので、先制攻撃にしか用いない遊兵を抱えるわけにはいかなかったのだ。

 重装歩兵大隊長二名とクレイドがくつわを並べている。軽装歩兵大隊長は四名、騎兵には大隊長を置かず中隊長八名をクレイドの直轄兵力として動かせるようにしてある。


【中洲・テルミナ平原・王国軍視点】

 カートリンクは帝国軍の布陣を見て奇妙な感情にとらわれた。なにかがおかしいという感覚はあるのだが、具体的にどこがおかしいのかは見出だせなかった。

 王国軍は軍務長官カートリンク率いる一万の直轄兵、新将軍ミゲルとガリウスを合わせた五千の兵がその後方に備えている。軍功を競う他の四将軍を横五十×縦百列にして横に並べ、誰がクレイドを仕留めるのかを争わせることにした。中軍として二将軍の部隊をそれぞれ横百×縦五十列に並べる。カートリンク直属は横二百×縦五十列に並べ、その後ろに横百×縦二十五列ずつのミゲルとガリウスの兵が揃い、カートリンクとミゲル、ガリウスがくつわを並べていた。

 カートリンクの疑念にミゲルとガリウスが声を上げる。先陣を切るべき戦車隊がいないこと。その次に機動力のある騎兵が後詰を務めていること。中央の重装歩兵は厚みが五十しかなく、こちらの先鋒の半分の厚みしかないこと。これでは容易に大将のクレイドまで刃が届いてしまうだろう。それにこの布陣では軽装歩兵と騎兵が遊兵となってしまう。そんなヘマをあのクレイドがするのであろうか。この会話によりカートリンクは疑念の正体を掴んだ。

 可能性があるとすれば騎兵中隊が戦場を迂回してわが軍の側背から挟撃することだが、騎兵は四千しか見えない。ミゲルとガリウスを用いれば容易に食い止められるだろう。

 その計算が立ったことで、カートリンクは現布陣のまま帝国軍へ迫ることにした。

 雨脚が強まる中、先陣を切る王国四将は戦車隊を繰り出して弓を射かけるが重装歩兵の盾に矢が突き刺さるだけで効果はなかった。そのまま戦車隊が突進して槍で重装歩兵の盾を薙いで左右に分かれて先制攻撃が終わる、はずだった。

 そのスキを突いてクレイドは全軍を急速前進させ側面を向けている王国戦車隊を飲み込んでいく。

 王国軍は各将軍に戦車隊、騎兵隊、重装歩兵隊、軽装歩兵を割り当てているため、ひとりの将軍だけでさまざまな役割をこなすことができる。反面帝国軍のように兵種分けされていないので、各個撃破の的になりやすい。


【中洲・テルミナ平原・帝国軍視点】

 鹵獲した戦車を後方へ搬出したクレイドはさらに前進を命じて迫りくる王国軍本体へと突進する。四将が騎兵を用いて重装歩兵をひとりずつ倒そうとしたとき、クレイドが動く。そのとき雷が轟いた。後方にいた騎兵と軽装歩兵が王国前衛の側面に取り付き、左右から圧迫してきたのだ。これにより脆弱な側面から攻撃を受けた王国四将は瞬く間に打ち減らされていく。中軍のカートリンク本隊と後詰めのミゲル隊・ガリウス隊だけでは一万五千。帝国軍はさして消耗もせずに王国四将の軍をみるみる飲み込んで討ち滅ぼしていく。

【中洲・テルミナ平原・王国軍視点】

 カートリンクはたった一度の接触で敗北を察した。このまま打ち減らされていくわけにはいかない。しかし帝国軍の攻撃は苛烈であり、間に割って入って先鋒を退却させるだけの空間もなかった。しかもただまっすぐに兵を引いたのでは帝国軍の追撃を受けるだけだ。ミゲルとガリウスも撤退を支持したが、この状況下では前衛四軍を全滅させられるだけである。そこでミゲルとガリウスはカートリンクに撤退策を進言、受理された。

 ただちにミゲルとガリウスは王国前衛の側面に取り付いている騎兵と軽装歩兵の後方から攻撃を加え、王国前衛への攻撃の手を緩めさせる。カートリンクは隊の間隔を広げて前衛の生存者が退却する道を作り出し、その隙間を縫って王国前衛兵士が戦場を離脱する。しかしそれは帝国軍重装歩兵大隊の進撃に拍車をかけることにもなり、歴戦のカートリンクといえどもその圧倒的な前進を食い止めることはできなかった。

 ひときわ大きな轟雷が響きわたったのち「カートリンク、討ち取ったり」と女性の声で名乗りをあげられる。しかし重装歩兵大隊は前進をやめなかった。このままでは王国軍はカートリンク本隊を含め全滅を覚悟しなければならない。

 ミゲルはただちにガリウスと合流し殿を構築し、帝国軍の前進を完全に食い止めることに成功した。このスキにできるだけ多くの兵士を後方へ逃さなければならない。ミゲルとガリウスはさらに反転攻勢に打って出て、数少ない兵を率いて帝国軍を半包囲下に陥れようとした。半包囲が完成すれば王国軍は起死回生する。


【中洲・テルミナ平原・帝国軍視点】

 カートリンクを討った第二重装歩兵大隊長レミアは、王国軍の殿を務めるふたりの将軍がいることをクレイドに報告した。半包囲の危機を感じ取っていたクレイドは、こちらを半包囲しようとしている王国の二将軍を認めると彼らの名前を聞こうと問いかけた。

 なぜ戦場でそんなことをしようと思ったのか。当のクレイドも不思議だったのだが、クレイドが考案した戦法を五千の兵で食い止める手腕はたいしたものである。しかもふたりとも見たところ若い。戦前の情報から察するに、先月新将軍となったミゲルとガリウスであろう。彼らの容赦ない反撃で均衡している今だからこそ彼らの名前を聞いてみたかったのかもしれない。しかし何度尋ねても名前を返してはくれなかった。そこで帝国軍に戦闘をやめさせ、再度二将に名を尋ねた。帝国の前進が終わったことを見て取ると、王国軍の生存者を可能なかぎり救いたいと現在の陣形を維持しつつミゲルとガリウスは逃走路を守り続けた。そして何度目かのクレイドの問いにようやく気づいたふたりはそれぞれ行動を停止し、クレイドに名乗りをあげた。


【中洲・テルミナ平原・王国軍視点】

 この絶望的な戦いにおいて、王国軍は先鋒の四将と中軍の二将、そして軍務長官の死という最悪の結果を招いてしまった。もしクレイドの戦法を事前に予測できていれば、この結果にはならなかったろう。ミゲルとガリウスは敗残兵を率いて王国領へと帰還していった。

 これで王国に残された将軍はミゲルとガリウスのみで、残存兵も六千弱である。予備役三千に臨時徴兵をしても合計一万がよいところであろう。

 対して帝国はクレイド新大将を含めた三大将がいまだ健在であり、総兵力も五万をゆうに超えるはずである。

 もはや王国軍の敗北は決定的となった。





第四章:軍師あらわる

●九月:レイティス国王都

【レイティス王国王城軍務会議室】

 国王ランドルは生還した二人の将軍ミゲルとガリウスのうちミゲルを次期軍務長官に指名した。ミゲルはそれを固辞し、ガリウスを推挙した。しかしランドル王は将軍任官式典でのミゲルの言葉を振り返り、ミゲルに彼が思い描くような世界を作るために軍務長官になるよう要請する。ミゲルは戸惑うが、ガリウスに振り向くと「これはミゲルの仕事だよ」とたしなめられてミゲルは軍務長官の職を拝命することとなる。

 ただし時間がなかった。今回一か月の間隔で出兵してきたことを考えれば、来月にも帝国軍が進軍してくる可能性が高い。

 ランドル王はただちに王国軍の立て直しを指示する。だが率いる兵が一万であれば新将軍を昇進させることもできず、王国軍は軍務長官ミゲル直属五千、将軍ガリウス麾下五千という貧弱な布陣とならざるをえなかった。

 ミゲルは若輩であり軍務に精通しているわけではなかった。

 それでも近日中にクレイドと対戦することは避けられない。その対策を今から練ることになった。


●九月:ボッサム国帝都

【ボッサム帝国帝都軍務会議室】

 クレイドを出迎えたレブニス帝は大喜びした。王国の名将カートリンクを討ち取り、残る将軍はあと二名。王国軍はすでに死に体である。

 ヒューイット大将とマシャード大将は皇帝の御前であることをかまわず憤然とした態度を取り続けていた。帝国伝統の軍編成そのものを打ち壊し、奇策を以って王国軍を撃滅した。古来の戦い方に固執する二人にとってクレイドのやり方は納得のできようはずがない。だがふたりとも皇帝の手前、口だけは感服してみせた。

 レブニス帝は此度の功績を大として空席の軍務大臣の職に任じようとする。その場にいる誰もがその決断に反対を表明した。しかし勅命であると言われてしまえば二の句が継げなかった。レブニス帝は任命を固辞するクレイドを退出させる。

 残されたヒューイット大将とマシャード大将へレブニス帝は翌十月の出兵を告げた。先月戦い今月も戦った。来月も戦うのは愚策ではないか。皇帝にそう告げた。レブニス帝が「王国に残された兵は少ない。今攻め込めばレイティスを滅亡へと追いやれるのだ。それともなにか。そなたたちは少数の王国軍に勝てないとでも言うのか」と焚きつけた。

 気の短いヒューイット大将が名乗り出たが、皇帝はマシャード大将も出立するように下命した。王国に残されたのは一万ほど、だからそれぞれ一万五千もあればじゅうぶんだろう。しかし帝国はこれまで戦場にはひとりの大将が全権をふるって切り盛りしてきた。船頭がふたりいても正しく川は下れない。しかし先に王国軍を壊滅させ王都を攻略したほうに大将軍の位を授け、戦場での実権は大将軍が握ることを明確にするという。この提案に我先にと意気込んだふたりを見て、レブニス帝は内心ほくそ笑んだ。

 王国との戦いが終われば、残る戦闘はせいぜい異民族や野獣の討伐くらいだ。そうなれば大将軍だろうと大将だろうとたいした差はないのだ。それがわからないほどの近視眼に用はなかった。皇帝の本心はクレイドを軍務大臣に据えることにある。

 此度の出兵ではクレイド麾下の大隊長と直属部隊の兵士は連れ出さないこと。もちろん妹レミアも含まれている。


【ボッサム帝国・帝城皇宮執務室】

 場を解散させ、皇宮執務室へクレイドを招くと彼の慌てようは只事ではなかった。

 ヒューイット大将とマシャード大将を挑発してはならないと。しかし皇帝はあのくらい煽らなければ失敗しないだろうと言う。皇帝の真意がふたりの失脚にあることはクレイドにもわかっていた。互いに敵愾心を持つふたりを激発させ、感情をむき出しにして王国軍を気迫で圧倒する。うまく決まれば決定的な一撃を打ち込めるだろう。だからこそ王国軍に後れをとるのではないかとクレイドは考えていた。

 皇帝としては自分と同じくらいの年齢の将軍にクレイドが負けるとも思えなかった。その思い込みこそが危険なのだとクレイドは主張する。

 現に先の戦いでは王国軍を壊滅させはしたが、全滅には至らなかった。ふたりの若き将軍の徹底した守備によってクレイドの戦法は通用しなかったのだ。勝敗が決した後だとはいえ、一糸乱れぬ行動は将軍としての素質を感じさせるものだった。将軍に任命された直後にこれほど鮮やかな手腕を発揮できる人物は稀だろう。ミゲルとガリウスは稀有な将軍なのかもしれない。

 これほどの手並みはカートリンクの仕込みだろう。そうレブニス帝は考えていたが現実は異なっていた。ガリウスとミゲルは養子でこそあれ、用兵を学んだことはない。二人は日々演習を繰り返し、部隊運用の腕を磨きあっている。互いの技量がぶつかり合い、用兵術がともに引き上げられ、結果として帝国軍最強の大将であるクレイドを一時的にでも凌駕してみせたのだ。

 もしヒューイット大将とマシャード大将に数のうえでの慢心が見られた場合、結果は皇帝の想定を超える可能性がある。

 敵の実力に思い至らなかったことで皇帝は不機嫌になった。敗れるにしても被害は最小限にしてもらいたいものだなと思った。


●九月:レイティス国王都

【レイティス王国王都・中央通り】

 考えに詰まったミゲルとガリウスは王都の巡察を行なった。ミゲルは巡察中のカートリンクと出会ったことで養子となり、現在カートリンクの次の軍務長官となった。巡察にはなんらかの縁を感じずにはいられないのだ。

 ガリウスががらにもなく競馬場へミゲルを誘った。ガリウスもミゲルも競馬とは無縁だった。中隊長の中には愛馬を競馬に出走させて出走料を稼ぐ者もいた。ミゲルとガリウスはそんな暇を見つけたら軍事演習に力を注いでいたのだ。

 物は試しと競馬場で馬券を三回買ってみたがいずれも当たらなかった。「運はなかなか巡っては来ないようだ。まぁ実戦の場で運が巡ってくればよいのだろう」と自嘲気味に語った。しかしミゲルは黒髪の競馬師カイに惹きつけられた。彼はすべてのレースを買うわけでもなかったが、パドックと売り場を行き来して紙に何やら書き付けていた。そして彼は買ったレースすべてを的中させたのである。売り場の女性の発した「また勝ったんでしょ。ほんと負け知らずよね」との言葉がミゲルの意識の端に引っかかった。

 その勝ちっぷりに興味を覚えたミゲルは、競馬師カイに話しかけた。

 カイによると、競馬には必勝法があるそうだ。馬の地力、騎手の腕前、馬と騎手との相性、馬場の適性などを数値化し、それを足し合わせることで一頭だけ頭抜ける馬が現れる。それを買うんだ。ということである。そしてそれは軍事でも同じことだろうから競馬をなさるのでしょうとカイが事もなげに言ってのけた。

 その言葉に引っかかりを覚えたミゲルは、カイになぜ軍事と競馬が結びつくのかを聞いてみた。カイはミゲルが知らないふりをしているように見えたが、ミゲルは実際に知らなかった。

 軍も兵力が多いだけで勝てるのであれば、前回の戦いは王国軍が勝っていたはずだ。だが、実際には鬼神クレイド大将が数で上回る王国軍を打ち負かした。そこにはさまざまな要素の足し算があり、結果としてクレイドは最初から勝てる戦いをしていたにすぎない。王国がもしクレイドに勝とうと思っているのなら、クレイドを出し抜かなければならないだろう。

 ここまでカイの話を聞いていたミゲルは、カイにクレイドを出し抜く策があるのではないかと訝しんだ。そこでかるくかまをかけてみたところ、カイはついうっかり口を滑らせてしまった。来月の戦いにクレイドは出てこない。だからミゲルとガリウスだけでも勝てるはずだと。

 カイの戦略に聞き入ったミゲルは、カイを軍務長官補佐待遇の「軍師」として迎え入れたいと要請した。カイは頑なに拒むもののミゲルの熱意に負けて提案を飲むことにした。士官学校に入り小隊長として兵を率いていたが、中隊長から冷遇され敗戦の責任から解雇された経歴があった。実際には中隊長の指揮にこそ問題があったのだが、それはカイ小隊の者でなければわからないことである。その中隊長も将軍となりアマム将軍の腰巾着として、八月のテルミナ平原の会戦においてクレイドの槍の露となっていた。

 ミゲルはカイを連れてランドル王に面会を求め、直訴してカイを正式に「軍師」として迎え入れることとなった。


【カットバック】

 カイは黒髪に黒い瞳で、二十九歳。ガリウスの一年先輩の小隊長であり、中隊長への戦術具申を数多く行なったが、当時所属していた中隊長から疎ましく思われて冷遇され、敗戦の責任をとらされて小隊長の辞任を余儀なくされる。その後競馬師となって生計を立てることとなった。しかし軍事を忘れたことはなく、戦争が起こるたび戦場となる「中洲」へと馬を走らせ、両軍の戦いぶりを克明に書き記してきた。ミゲルの慧眼により「軍師」として見出だされ、十月の戦いにクレイド大将は出てこないだろうと持論を主張する。ヒューイット大将とマシャード大将はともに力押しには定評があり、好戦的な人物である。此度クレイド大将に著しい軍功を挙げられたため、次は自分の番だと主導権を握りたがるだろう。その慢心を突くのがカイの狙いである。


【レイティス王国・王城謁見室】

 帝国へ放っている斥候からの情報によれば、十月の戦いには三万の兵をヒューイット大将とマシャード大将のふたりが率いるという。その知らせを聞いた軍師カイはこちらから打って出るべきだと主張し、国王を始めミゲルとガリウスをも驚かせた。ミゲルは軍務長官として十月の戦いの働きいかんによっては彼とミゲルの副官であるラフェルとユーレムを将軍に昇進できるよう国王と宰相に働きかけた。兵力自体がすぐに回復することはないが、将軍として戦うことで気構えが生まれることを重視した。“無敵”のナラージャは中隊長のままだが、ミゲル直属の兵を率いる特権を与えられている。十月の戦いにおいて軍師カイはナラージャを中心とした戦法を構築し、そのためにもこちらから打って出るべきであると主張した。





〜(以下略)〜




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