640.文体篇:わかりやすくする

 今回は「わかりやすさ」についてです。

 五回に分けた「文体」の続きになります。

 わかりにくい文章を読むのは骨が折れますよね。

 せっかくの名作も、文章のわかりにくさ一点によって正当に評価されなくなるのです。

 これではあまりにもったいない。

 そこで「わかりやすさ」を追求した文章を書けるようになりましょう。





わかりやすくする


 日本語は和語と漢語に分けられます。

 漢語は字義によって複数の意味を持たせられるのです。それによって字数を削りながら、わかりやすい文にすることができます。




和語と漢熟語のバランスをとる

「女の人にとって最も大きな喜びは、子どもを産むことではないでしょうか。男の人にとっては、いちばん初めの結婚かもしれません。」なら「女性にとって最大の喜びは出産ではないでしょうか。男性にとっては最初の結婚かもしれません。」と縮められます。

 少ない字数で多くの意味を表せるという意味では、四字熟語が最たるものです。

「彼の議論は本質から外れた些細なところにこだわっている。」なら「彼の議論は枝葉末節にこだわっている。」と言い換えられます。

 四字熟語は文脈に合って使っているかどうかが勝負です。そのためには意味する内容を正確に把握しておくことが前提となります。安易に用いると紋切型に陥るのです。

 また小説において、漢熟語は無味乾燥で味わいがありません。

 小説では和語を中心に書いていき、まどろっこしいところだけを漢熟語にするのがちょうどよい塩梅あんばいです。




洋語を言い換える

 洋語(外来語)を和語や漢熟語に言い換える手もあります。洋語はわかりにくいものが多いうえ字数をとります。

「徹底的にリサーチした。」なら「徹底的に調べた。」でいいですよね。

「ディベート」は「議論」、「イノベーション」は「技術革新」、「フレームワーク」は「枠組み」、「インキュベーション」は「起業支援」、「トレーサビリティー」は「履歴管理」などに言い換え可能です。

 わかりやすい文章のために安易な洋語使用は控えるべきです。ただ、一概に日本語に言い換えればいいというものでもありません。「リアルタイム」を「即時」、「バリアフリー」を「障害なし」と単純に言い換えると文意を損ねることがあります。洋語でしか表現できない、あるいは洋語のほうがうまくニュアンスが伝わる言葉もあります。

 まさに「ニュアンス」という言葉も「意味合い」と言い換えたら若干異なってきますよね。




疑問形を言い換える

「総会では博物館になぜ学芸員が必要なのかについて質疑があった。」なら「総会では博物館に学芸員が必要な理由について質疑があった。」とするのです。

 疑問形は名詞を使う言い換えによって簡潔に表現できます。

「情報についてなにが必要でなにが不要か、どれが大事でどれが大事でないか。ぱっと判断して捨てるものは捨てる、残すものはしかるべきところにしまう。」なら「情報の必要性や重要度について、ぱっと判断して捨てるものは捨てる、残すものはしかるべきところにしまう。」とするのです。




語調を変える

「です・ます体」は敬体、「だ・である体」は常体といいます。

 多くの「小説読本」では敬体と常体の混在を禁忌とし、「語調の統一」が説かれているのです。

 しかし「です・ます体」を律儀に使っていると文が長くなります。場合によっては混在させたほうが効果的です。

「木と木を組む伝統建築のプロセスを見ていると飽きません。それほど木組みは面白い。感動します。」

 敬体は読み手に話しかける叙述スタイルです。書き手の思索や心中のつぶやきを表すには向いていないとも言えます。その際は常体のほうが表現しやすい。

 ただし常体でも学者言葉と呼ばれる「である」「のである」は大仰で偉そうな感じを与えます。強調表現の一種ですが、意見の押しつけとも受け取られかねません。場合に応じて削ったり、「だ」に換えたりしたほうが素直です。

「「日本語では主語が省略される」という見解は、「日本語には主語がない」と言っているようなものである。省略できるようなものは、そもそも「主語」とは言えないのである。」なら「「日本語では主語が省略される」という見解は、「日本語には主語がない」と言っているようなものだ。省略できるようなものは、そもそも「主語」とは言えない。」

 敬体と常体の混在は基本的に禁忌ですが、それにとらわれることなく効果的なポイントで用いることも考えておきましょう。




名詞化と体言止め

「享年九十五歳。栃木県出身。」は「享年九十五歳だった。出身は栃木県である。」の省略形です。名詞で表現することで字数を削り、わかりやすくなります。

 日本語は名詞をつなげるだけで意味が通じる珍しい言語です。

「私、昨日、会社、休み」なら「私は昨日、会社を休んだ」ことが伝わります。

「酒やタバコなど」「松嶋菜々子ら」の「など・ら」の使用は情報を省略する方法です。

「一九七八年放送開始の『機動戦士ガンダム』」は「一九七八年に放送が開始された『機動戦士ガンダム』」とするところを名詞形に置き換えて短縮しています。

「エッセイを数多く執筆。」「芥川賞を受賞。」「積極的に発言。」はいずれも「する動詞」の「する」を削って体言化し、「体言止め」をしています。

「ミネラルウォーターの需要急増。主要生産県の山梨で注文数が通常の十から二十倍。工場はフル稼働で対応。」はすべて体言止めです。

 名詞・体言止めは便利ですが、多すぎると文章がぶつ切りになります。

 使用は慎重にしてください。




数字を表す

 数字の表記は迷うところです。横書きなら算用数字(1.2.3...)のほうが断然わかりやすい。

 では縦書きではどうでしょうか。算用数字か漢数字か、十や百といった単位語を入れるかどうか、三桁ごとにカンマを入れるかどうか、さまざまな選択肢があります。

 ほとんどの縦書き新聞は、かつての原則であった単位語付き漢数字表記を、万単位語付きアラビア数字に変えました。そのほうが字数を削れるからです。


 しかし小説ではあいかわらず漢数字を用います。

 たとえば「一億二三四五万六七八九人」と書くのです。パーセントなら「三四・五%」です。小数点は「・」で表現します。これは「二、三人」というあいまい表現と区別するためです。

 また「一億二千万人」のように数字を丸めるときは「千・百・十」の単位をどうとるかが問題になります。

 「一億二千万」なら確定数字は「一億二」までで「一億二九九九万」から「一億二〇〇〇万」までの開きがあるのです。

 「一億二〇〇〇万」と書けば確定数字は「一億二〇〇〇万」までで「一億二〇〇〇万九九九九」から「一億二〇〇〇万〇〇〇〇」までと範囲がぐっと狭まってしまいます。

 ここは難しく考えず、「五里霧中」を「5里霧中」、「七転八倒」を「7転8倒」、「五十歩百歩」を「50歩100歩」、「千変万化」を「1000変10000化」と書かないのと同様、数字を丸めるときは「千・百・十」の単位を出してもいいはずです。

 よって丸めるときは丸めた桁がわかるように「一億二千万人」と書きましょう。


 数字を比較するときは割合で表現したほうが読み手はすぐに理解できます。

「一九七八年には二万六三〇〇人だった人口が、二〇一八年には一万二〇〇人に減った。」なら「一九七八年には二万六三〇〇人だった人口が、二〇一八年には三八・七パーセント減り、一万二〇〇人になった。」です。具体的な数字にこだわらなければ、「一万二〇〇人」は削れます。「四十年間で三八・七%減り」と期間を挿入すれば、時間と減少率の関連がイメージしやすくなります。「三八・七%減った」は丸めて「四割弱減った」と表現できます。「一九七八年には二万六三〇〇人だった人口が、四十年間で四割弱減った。」と書けます。

 大きさや分量を伝えるときに、具体的な数字を示すことで説得力は増します。単に「大幅に伸びた」「急激にダウンした」「多くの人が殺到した」と書くよりもパーセンテージや人数を示すと具体的なイメージが伝わります。

 しかし「三十万キロメートル」のように具体的な数字を示しても、それがどれほどの大きさ・長さ・量なのかイメージしづらい場合があります。その場合は既成のイメージを利用します。

 たとえば「三十万キロメートル」なら「地球を七周半した距離」と使います。

 ですがこの種のたとえには限界があり、「日本一広い釧路湿原は東京ドーム五千六百個ぶんの広さ」と言われてもピンと来ませんよね。比較の基準は誰もがイメージできるものに限られます。





最後に

 今回は「わかりやすくする」ことについて述べてみました。

 表記における問題を多く取り上げました。

 本来は「文体」に含めようと思ったのです。

 しかし役割が異なりますので別個に切り離して一本書きました。



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