637.文体篇:文体とは(3/5)

 今回も「言いまわし」について見ていきます。

 文を縮めるとスリムにはなりますが、想像力が働きづらいと感じるのではないでしょうか。

 その違和感に気づいていただければ、あなたご自身の「文体」が次第にわかってきます。





文体とは(3/5)


 今回も「文体」の言いまわしについて述べていきます。

 文章をスリムにする方法を知ると、その人の文章のクセつまり「文体」が見えてくるのです。




重文を複文にする

「ボケが愚痴をこぼし、ツッコミは彼をなだめた。だがボケ倒し始めた。このためツッコミはついにボケの頭に張り手を食らわせた。」なら「ツッコミは愚痴をこぼすボケをなだめたが、ボケ倒し始めたため、ついに頭に張り手を食らわせた。」

 この例文では主語の数を減らして文章を簡潔にしていますが、もう一つ、文章を圧縮するテクニックが使われています。

「ボケが愚痴をこぼし、ツッコミは彼をなだめた。」は文法用語でいえば重文です。これを「ツッコミは愚痴をこぼすボケをなだめた」と複文にしています。

 複文の構造は重文よりも複雑です。簡潔な文章を書くためには複文を避けるよう指示している「文章読本」もありますし、私もその立場にいます。

 しかし引き締まった文章のために「重文の複文化」は重要なテクニックです。

 私としては「ツッコミは愚痴をこぼすボケをなだめた」は助詞「を」を二回使っているため、こういう使い方はまずしません。


「SNSは、時間も場所も気にせずに、世界中の複数の人に対して同時にメッセージを伝えられるツールであり、今や重要なコミュニケーションのひとつである。」を複文構造にして「時間も場所も気にせずに、世界中の複数の人に対して、同時にメッセージを伝えられるツールであるSNSは、今や重要なコミュニケーションのひとつである。」にするとどうでしょうか。

「SNS」にかかる文節があまりに長く、読み手は「SNS」という言葉にたどり着くまでにかなりの情報を抱えていなければなりません。読み手の負担が増してわかりにくい文章になっています。

 ひとつの言葉にかかる修飾語は多ければ多いほどわかりにくくなります。重文を複文にするテクニックを使う時の注意点です。




主語+述語にする

 文の基本構造は「主語+述語」です。二つ以上の節からなる文を「主語+述語」の構文にすることで文を圧縮できます。

「こうした結末がなぜ安易な印象を与えるのかというと、誰も文句が付けようのない締め方だからです。」なら「こうした結末が安易な印象を与えるのは、誰も文句が付けようのない締め方だからです。」

「熱波がやってくることによって農作物が被害を受け、地域経済に影響を及ぼした。」なら「熱波到来に伴う農作物被害が地域経済に影響を及ぼした。」

 この例文は「名詞化する」技術と「主語+述語にする」技術を使って圧縮しています。

 文を圧縮する技術を使うと、情報の密度が高くなり、それだけ読み手には負担がかかります。そのことにはじゅうぶん留意する必要があります。




肯定文にする

 文章の基本型は肯定文です。「ここを訪れる人は少なくない」よりも「ここを訪れる人は多い」のほうが頭に入りやすく文章も短くなります。ここでの否定文は「不要」「不可能」「未使用」「未定」「以外」といった否定の意味を持つ言葉も含みます。

「フリガナは半角文字で入力しないでください」よりも「フリガナは全角文字で入力してください」のほうがわかりやすいですよね。

「〜をしないわけにはいかない」といった二重否定文もわかりづらく回りくどい表現です。否定の否定は肯定ですけれども、二重否定文と肯定文では微妙に意味合いニュアンスが異なります。ですが肯定文に換えたほうがわかりやすくなるケースもあります。

「不要なメール以外は削除しないでください。」は「不要」「以外」「しないでください」と三つの否定言葉が重なっています。これを「不要なメールのみ削除してください」「必要なメールは削除しないでください」と書けば改善できます。

 二重否定文には、肯定を強調する「積極的な肯定文」となるものがあります。「このドラマを見て感動しない人はいない。」「〜ないなんてことは決してない。」「〜ないなんて考えるとしたら大間違いだ。」「〜ないなどとはとうてい言えない。」などです。

 これに対して「こうしたケースも少なくはない。」「知らないわけではない。」「理由がないわけではない。」「〜ないとまでは言えない。」といった表現は「消極的な肯定文」です。

 こういった「言いまわし」がその書き手の「文体」になります。




強調しすぎない

「もちろん」「まさに」は文を強調するのに用います。語尾の「のだ。」も同様です。

 強調語は「ここぞ」という場面で使わなければ、期待した効果は得られません。

 文章の中で、とくに「ここぞ」という場面は少ないはずです。

 そこで用いるぶんには問題ありません。

 むやみに多発するようになると押しつけがましい文章になってしまいます。

 語尾の「からだ。」は理由の後付け強調語なので完全に使わないようにしましょう。

 理由を後付けされるほど、読み手は書き手都合を見破ります。

 「こういう理由があったからだ。」なんてあとから言われたら、「じゃあ今までの話はなんだったんだ」と思う方が増えて当然なのです。

 語尾の「しまう。」も強調語のひとつとされています。

 しかしこちらは「のだ。」よりは許容されているのでご安心ください。

 そもそも「しまう。」には「つい〜する」という意味合いニュアンスがあるため、「しまう。」を禁じられると表現が迂遠になりかねないからです。


「とても」「たいへん」「ひじょうに」「すごく」「本当に」「まったく」「大」「超(チョー)」「マジ」など文を強調する言葉も使いすぎれば強調の意味がなくなります。

「ちゃんと」「きちんと」「しっかり」「じゅうぶんに」「間違いなく」など文を決定づける言葉も使いすぎには注意が必要です。

「絶対〜」「必ず〜」「誰しも〜」「なんでも〜」「いつでも〜」「どこでも〜」「どんな理由があろうとも〜」「いかなる手段をとっても〜」「誰がなんと言おうと〜」も強調語になります。

「いちばん〜」「最高に〜」「他に類のない」「比類がない」「誰にも負けない」「不世出の〜」「空前絶後の〜」「世界一の〜」「どんな〜よりも」など最上級の言葉も使いすぎればインフレを招くのです。

「やはり」「もちろん」「無論」「当然」「言うまでもなく」「知っての通り」「周知のように」などの前提を元にした強調表現は、前提を示さなければ読み手が置いてけぼりになってしまいます。




比喩も使いすぎに注意

 小説が論文や記事と異なるのは「比喩」を用いることです。

 しかし紋切型の「比喩」はありきたりであり、読み手の心に痕跡を残すことができません。

 たとえば「竹を割ったような性格」「死んだ魚のような目」「カモシカのような脚」「牛乳瓶の底のようなメガネ」「馬車馬のように働く」「爪に火を点すような生活」「滝のような汗を流す」「抜けるような青い空」「白魚のような手」「苦虫を噛み潰したような顔」などの手垢まみれの紋切型の「比喩」はまず推敲対象です。

 ちなみに「カモシカのような脚」を「ほっそりとした脚」と勘違いしている方がひじょうに多い。本来は「ぷりぷりと肉感のある脚」のことです。鹿とカモシカは種が異なっていて体つきも違います。でもシカという字を見るとどうしてもあの「ほっそりとした脚」を真っ先に思い浮かべてしまうのです。


 紋切型を避けたいからといって、わかりにくい「比喩」を用いるのでは独りよがりな表現になってしまいます。

「比喩」は読み手の知識にある物事にたとえるのが秘訣です。『機動戦士ガンダム』を知らない読み手に「シャアのように自分の若さゆえの過ちを認めたくなかった。」という比喩を書いても通じるわけがありません。

『それいけアンパンマン』を知っている読み手なら「顔を新しく取り替えられたアンパンマンのように力がみなぎってくる。」と書いても比喩が通じます。

 これが「読み手の知識にある物事にたとえる」ということなのです。





最後に

 今回は「文体とは(3/5)」について述べてみました。

 五分冊の三つ目です。

 文章をスリムにした状態を知ることで、あなたの「文体」が見えてきます。

 小説では必ず用いられている「比喩」もうまく使わなければ冗長になるだけです。



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