文体篇〜あなた独自の言い回しを身につける
635.文体篇:文体とは(1/5)
今回から「文体篇」に入ります。
五回に分けて「素の日本語」の文体を見ていきます。
そのうえで「あなた独特の文体」というものに気づいていただこうという趣旨です。
尊敬する書き手の影響が強い文体は、本当にあなたの文体なのでしょうか。
文体とは(1/5)
「文体」という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。
ではどんなものが「文体」なのか説明できるでしょうか。
実は数ある「文章読本」「小説の書き方」において、「文体」は既存作品を読み込むことで身につけるものとされています。
なにを身につければいいのか。それに対する答えはどこにも書いてありません。
そこで「文体」についての私なりの回答を五回にわたって示してみます。
文体とは言いまわし
そもそも「文体」とはなんぞや、ということですが、私は「言いまわし」のことだと思っています。
たとえば「昨日仕事を頼んだのだが、もう終わったか。」という文。これを「昨日頼んだ仕事だが、もう終わったか。」と書くとどうでしょうか。話している内容は一緒なのに、「言いまわし」が異なるため違う「文体」に見えますよね。
詳しく分析すると、「頼んだのだが」の「の」が実は「仕事」を指し示しているわけです。つまり指し示している「仕事」を「の」のところに書いても意味はまったく同じになります。すると「昨日仕事を頼んだ仕事だが、もう終わったか。」となり、「仕事」という言葉が重複してしまいます。そこで「仕事を」を省いて「昨日頼んだ仕事だが、もう終わったか。」と書くのです。これでまったく同じ内容の文を別の「言いまわし」つまり別の「文体」で表現できました。
婉曲な表現
言いまわしの中でもとくに個人差が表れるのが婉曲な表現です。
婉曲な表現をよく使う人がいます。ですが切り落としてもたいてい意味は通じるものです。通じるのについ婉曲に書いてしまうから、そこに「言いまわし」「文体」が表れます。
婉曲な表現は、文末によく用いられるのです。ちょっと見てみましょう。
「〜と思われる。」「〜かもしれない。」「〜と考えられる。」「〜といわれている。」「〜とされる。」「〜といってよい。」「〜と感じる。」「〜ようだ。」「〜だろう。」「〜らしい。」などは断定を避けるために思わず付け加えてしまう、「文体」を示す婉曲な表現「言いまわし」です。控えめな表現とも言えます。
「〜という」も婉曲な表現の一種です。これはほとんど無意識に加えています。
「世界一の腕前といえるかもしれません。」の「〜といえる」も「〜という」の活用で、婉曲表現の「〜かもしれない。」と合わさって二重の婉曲表現になっているのです。
「〜という」は伝聞で用いるので、伝聞としてなら用いてもかまいません。しかし前もって以降の文が伝聞であることを示している場合「〜という」は削除できます。
「〜という○○」「〜というのは」という言いまわしも多く見られるのです。
「ハングアップとはコンピュータが操作を受け付けなくなるという現象や状態のことです。」は、「ハングアップとはコンピュータが操作を受け付けなくなる現象や状態のことです。」で通ります。
「人間というのは男性と女性で構成されている。」は「人間は男性と女性で構成されている。」で伝わるのです。
「〜ということ」「〜というもの」「〜という形」は持ってまわった言い方です。
「日韓請求権協定は日韓関係の構築ということが目的です。」は「日韓請求権協定は日韓関係の構築が目的です。」で言い表せます。
「伝統というものが今も息づいている。」は「伝統が今も息づいている。」で通じるのです。
「新店舗は八日午前九時オープンという形になる。」は「新店舗は八日午前九時オープンになる。」で通じます。
「名人を倒すほどの実力を身につければ免許皆伝といっても過言ではない。」は「名人を倒すほどの実力を身につければ免許皆伝だ。」でよいですよね。
このように「〜という」「〜という○○」の多くは無くても通じます。
「私はどちらかといえば積極的な人間に属する。」は「私はどちらかといえば積極的な人間だ。」と言い切ってかまいません。
また反語や疑問形を使ったレトリックも婉曲な表現です。
「かつてこんなことがあっただろうか。」は「かつてこんなことはなかった。」とストレートに書いたほうがわかりやすい。
「彼がサッカーにこだわるのはなぜなのか。理由は彼の幼少期の体験にある。」は「彼がサッカーにこだわる理由は幼少期の体験にある。」でよい。
「〜と見る向きもあるようだ。」「〜と言って差し支えない。」「〜するのは私だけだろうか。」「〜したのは言うまでもない。」「〜といえばウソになる。」「〜と考える今日この頃だ。」「なにを隠そう、私は〜」のような持ってまわった言い方も婉曲な表現です。
「基本的に〜」「一般的に〜」「一種の〜」「ある種の〜」「ひとつの〜」「いちおう〜」「〜のひとつ」「ある意味で〜」「いわゆる〜」「いわば〜」「おおむね〜」「大雑把に言うと〜」「おおまかに言うと〜」「乱暴に言えば〜」「
例外はあるのか。それ以外はあるのか。あればどんなものか。言い換える必要性は。大きく括るとなにを巻き込むのか。それらがはっきりしません。だから「婉曲な表現」なのです。
ぼかす表現としては「など」「〜等々」「〜とか」「〜といった」「〜たりする」などは「要約」の手段ですが、なんとなく付けていることがあります。
丸める表現もぼかす表現に入るのです。「ほぼ」「約」「ほど」「くらい」「かなり」「前後の」「〜ら数人」「多くの」「最大級の」「さまざまな」「いろいろ」という表現は、正確な情報や数字が不要な場合、正確な情報や数字がわからない場合、すべてを網羅する必要がない場合に用います。
「〜的」「〜性」「〜関係」「〜方面」「〜方向」もよく使われます。それぞれ必要性を見極めてから使いましょう。
「性格的に問題がある。」は「性格に問題がある。」、「事故の危険性に対処する。」は「事故の危険に対処する。」、「職場関係の人と食事する。」は「職場の人と食事する。」、「勤務先は警察方面だ。」は「勤務先は警察だ。」で通じますので省きましょう。省かなければそれが「言いまわし」であり「文体」になります。
逆にぼかして字数を削りたいときは「〜など」「〜といった」「〜等々」「〜ら」「〜ほか」「いろいろな」「さまざまな」を使って例示を間引いて端折ります。この場合は意図を明確にして用いているので、分量を減らすことができるのです。
前置き・一般論・安易な結びは捨てる
「書くかどうか迷ったが、思い切って書くことにする。」
「運動会を題材に作文を書かなければならなくなって困っている。」
「始めから私事で恐縮だが、〜」
「改めて言うほどのことでもないが、〜」
「言うまでもなく、私は一介の物書きに過ぎないが、〜」
「政治の腐敗が叫ばれて久しい。多くの国民はすでに政治に期待しなくなっている。」
これらの文、要りますか。
私なら、文章は本題から入ってほしいところです。
前置きを書いてしまうと「冒頭から感情移入させないぞ」という宣言のようにも受け取れます。
前置きはすべて切り落としてください。
主人公をすぐに出し、動いてもらうことで読み手を感情移入に誘うのです。
「今後の展開から目が離せそうもない。」「成り行きが注目される。」「彼の今後の活躍に期待したい。」「以上、なにか参考になれば幸いである。」「こう考える今日この頃だ。」「厳しい対応が予想される。」「残念ながら紙幅が尽きた。」
こうした結びは安直です。ムダな一文を加えて無理に「締める」必要はありません。
文章の終わりは、文章の始まりに次いでたいせつです。
最後に
今回は「文体とは(1/5)」について述べてみました。
五分冊の一つ目です。
「文体」とは「言いまわし」のクセです。クセのない文章の中にどれだけクセを入れるかが、その書き手の「文体」ということになります。
残り四回も「言いまわし」を書くことで、ご自身の「文体」に気づいていただけたらと存じます。
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