602.明察篇:文才は書き手の中にしかない

 今回は「文才」についてです。

 小説を書くのは義務ではありません。

 文才はあなたの中にしかないのです。

 それをどうやって引き出すのか。





文才は書き手の中にしかない


 小説を書いているとき「もうこんなことをしていても芽が出ないだろうから、やめようかな」と思うときがあるでしょう。

 それは書いているときに作品の質がわからないからです。

 小説は誰かに読んでもらって、ワクワク・ハラハラ・ドキドキを感じてもらえれば成功なのですが、書いている間読み手の意見が聞けるわけではありません。

 だから書き手は虚無を相手に文章を紡いでいくことになります。




小説を書くのは義務ではない

 小説は義務で書くものではないのです。

 いつでも好きなタイミングでやめることができます。

 しかしあなたはなぜ小説を書こうと思い立ったのでしょうか。

 自分の中にある物語を多くの人に伝えたいから。ほとんどの方はそう考えていたはずです。

「小説賞・新人賞」を獲ってプロの書き手になりたいから。そんな野望もよいですね。

 そういった動機がありながら、なぜ小説を書くのをあきらめようとするのでしょうか。

 それは前述したとおり、誰かに評価されることなく執筆を継続しなければならないという「暗中模索」でしか執筆できないからです。どう評価されるかわからないのに執筆を続けなければならないのはストレスがかなり溜まります。

 誰かが今あなたの書いている小説の出来を評価してくれれば、今後の物語の方針を定めることもできるのです。

 現時点での自分の執筆スキルつまり文才を指摘してくれる人を持ちましょう。

 そうすれば自分の文才を正確に把握して、安心した気持ちで執筆を続けられます。

 自らの成長を確認できれば、人は前向きに努力できるのです。

 小説投稿サイトなら「連載小説」を書いて毎日投稿してみましょう。

 内容がよければさまざまなアドバイスがもらえます。内容が貧相では閲覧数(PV)がたとえ増えても感想をもらえません。

 少なくともよい内容で書けていれば必ず反響があり、それほどでもなければ反響はこないのです。

「反響がこない」イコール「物語が面白くない」となります。

 だから反響がこないことを卑下するのではなく、今のままでは反響はこないからどこかを変えなきゃダメだと思えるようになってください。

 もし「反響がこない」ことを「この傑作に見向きもしないとはここの読み手は見る目がないな」「評価が低いのは自分のせいではない」と思っているようなら、その時点で文才の花が咲くはずの「つぼみ」を自らの意志で摘みとっています。ただそのことに気づいていないだけです。

 どんなに結果が悪くても、他人ひとのせい、環境のせいにしてはなりません。

 原因はひとえにあなたの文才が足りていないからです。




文才は書き手の中にしかない

 他人の認識はあなたが制御できません。つまらない小説だと他人が断じることを止める術はないのです。

 しかし書き手であるあなたの認識はいくらでも変えられます。

 中国古典『孫子』には「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉があります。他にも「不敗は自軍の努力だけで築けるが、常勝は相手の軍の態勢次第」という趣旨の言葉もあるのです。

 自分を変えることはいつでもどこでもできます。本人のやる気次第です。

 しかし相手がどう感じるかには、書き手は手を出せません。

 それなのに「評価が低いのは読み手の能力が低いからだ」などと読み手のせいにしてしまう書き手が多い。

 また「書き手が置かれている環境がよくないからだ」というのも同様。

 誰かのせい、環境のせいにしている点において、自分で自分の才能の伸びしろを短くしてしまっています。

 誰かのせいにするのではなく、「なにが好きなのか」「なにを叶えたいのか」「なにをしていると楽しいのか」を考えてください。

 前向きな気持ちで積極的に小説を書きましょう。

 そこからでしか小説は上手くなりません。

 文才は書き手の中にしかなく、他人に求めるものではないのです。

 恵比寿清司氏『俺が好きなのは妹だけど妹じゃない』は、一人前のライトノベル作家を目指す兄・永見祐と妹・永見涼花のラブコメディ。ライトノベル作家を目指していた兄の知らないうちに、妹が兄妹の妄想小説をきまぐれで応募します。ところが妹がなんと小説賞を受賞してしまうところから物語が始まります。もし文才が書き手以外にあるのなら、兄は文才を自在に操れるはずです。しかし現実は受賞した妹のゴーストつまりペンネーム「永遠野誓」として振る舞うこととなるのです。アニメはギャグアニメの如き作画崩壊で話題となりましたが、原作小説は傑作との呼び声が高い。

 兄妹ものはひじょうに高い評価を受けやすいのが特徴です。伏見つかさ氏『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『エロマンガ先生』もともに兄妹ものでしたよね。

 こういったトレンドを取り入れて作品に生かせば、読み手が増えます。

 兄妹ものが人気なのに姉弟ものは人気がありませんよね。

 ライトノベルの主要層が中高生男子である以上、自分よりも下の女の子に惹かれるのも致し方ないと言えます。

 しかしトレンドは時代によって移り変わりますから、姉弟ものが流行る可能性もあるのです。




才能の基盤は洞察力

 読み手がなにを求めているのか。これが洞察できないと努力のしようもありません。

 求めているものがわかっていれば、最速でヒット作にたどり着けます。読み手の「求めている」ものを察することができれば、必ず成功できるのです。

 それなのに「自分の書きたい物語を書くんだ」とエゴを通すと、たいてい失敗します。

 読み手が読みたい小説はどのようなものなのか。これをマーケティングしてください。

 そのためには読み手がなにを求めているのかを想像できるくらいの「洞察力」が必要です。読み手が求めているものを見抜くことこそが「才能のある書き手」の入り口だと言えます。

「才能のある書き手」は「結果」を出せる人です。「結果」を出すには読み手の求めているものを見抜く「洞察力」が要る。

「洞察力」とはなにかと言えば「観察しただけでは見えないものを直感的に見抜いて判断する能力」のことです。

 そういう意味ではマーケティングというより統計学に近いかもしれません。

 あなたはマーケティングや統計学に精通しているのでしょうか。

 小説を書くほどの人なら、文系の成績は良くて、理数系は芳しくなかったと思います。

 であれば、小説投稿サイトのランキングを参考にしてください。

 今人気のある作風がだいたい読み取れるものです。





最後に

 今回は「文才は書き手の中にしかない」ことについて述べました。

「小説を書く」ことをあきらめるのはいつでもできます。

 しかし連載小説の途中であきらめてしまうと、その後の執筆活動に影響が出るのです。

 知識を誰かから与えられたとしても、才能とするためには自身の記憶の中で適切に保管し、適宜用いることが求められます。

 結局文才に限らず才能というものは、本人の中にしか存在しないのです。

 他人から与えられた能力を自らの文才にまで昇華させるには、知識を醸成し己の文体で書けるところまで行き着きましょう。

 そこからあなたの「文才」は出版業界という大空へ羽ばたいていけるのです。



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