583.明察篇:小説は時間の芸術
今回は「時間の芸術」についてです。
小説はイラストやマンガのように紙に書かれたものをぱっとみただけでは良さがわかりません。
一文ずつ読み進めて味わう芸術です。
小説は時間の芸術
小説はぱっと見だけで印象を受けることができない特徴を持っています。
つまり文章全体を見渡すだけでは、どんな内容や意図を持った芸術なのかわからないのです。
小説に書かれた文を読んでいくことで初めて文意を理解できます。
このあたりが私をして「一次元の芸術」と呼ばしむるゆえんです。
小説はぱっと見ではわからない
小説はページを開き、見開きを眺めるだけではなんの感動も覚えません。
見た目だけではなにを表現しているのか理解できないからです。
文字の密度とページの濃さとページ数はだいたいわかります。
ここで忍耐力のある人は文字の密度が高くてページが濃い小説を読む対象に加えるのです。忍耐力のない人は文字の密度が高くてページが濃い小説をまず読みません。難しいことが書かれているだろうことが経験でわかっているので、敬遠します。
忍耐力のある人は「文豪」の作品を数多く読んでいる人が多い。「文豪」の作品は旧仮名遣いで書かれており、読めるようになるだけでも相当な気構えが必要です。
文字の密度が細かくページが濃いのに、ページが厚いと読む気が失せます。
文字の密度とページの濃さが適切なのに、ページが薄いと内容に不安を覚えるものです。
文字の密度とページの濃さ、それにページ数。
これが作品を読もうとするときの先入観を決めます。
文字の密度は見開きで縦何文字×横列詰めで書かれているかに左右されます。文字の大小が関係してくるのです。見開き内の文字数が多くなるほど、読み手はその小説に手を出そうとしません。
ページの濃さは文章の漢字とかなと空白の割合に左右されます。たとえば見開きの下半分であまり文字が書かれていない場合はページが淡くなるのです。漢字は画数が多いですから濃くなりますし、かなは何画もあるような字がないため淡くなっていきます。
そしてページ数です。文字の密度×ページの濃さ×ページ数によって、読み手が読もうかどうかを見計らっています。
極端な話、縦四十文字×横四十文字と込み入っていても、五ページしかないとわかっていたら、多少なりとも読んでみてもいいかなと思いませんか。不安は残るでしょうけど。
ページが淡いけれども四百ページや五百ページもあると「この小説はめちゃくちゃ長いんじゃないかな」と思われて読まなくてもいいやと思われてしまいます。
ここで書いたことはあくまでも「見開き」を見たときの印象にすぎません。
文章の巧拙や物語の面白さはいっさい判断基準になっていないのです。
これが小説という「一次元の芸術」の持つ限界と言えます。
試しに読む
では試しに冒頭の一文を読みましょう。
主人公に関することが書いてあればいいのですが、風景描写から入る書き手も多いものです。
読み手は主人公を探していち早く感情移入しようとします。
冒頭から主人公が出てくれていれば「読み手にやさしい作品」と言えるのです。
よく冒頭から登場していた人物が、他の人物に捕らえられたり殺されたりする物語があります。その場合は捕らえた人物や殺した人物こそ「主人公」であることが多いのです。
これは「
そういう例外を除くと、物語の冒頭に出てくる人物は主人公です。
だから読み手は疑うことなく感情移入をして読もうとします。
読み手が感情移入することを妨げる、冒頭からの風景描写はほどほどにしてください。
まず主人公を出す。そして主人公を動かすのです。
主人公が動けば風景は当然移り変わりますから、移り変わった風景を書きましょう。主人公を動かし続けることで世界観が表現できるように書くのが、小説で風景描写を書く最適解なのです。
小説は時間の芸術
私はつねづね小説は「一次元の芸術」であることを述べてきました。
他に「時間の芸術」でもあるのです。
上述したとおり、小説はぱっと見ではなんの感動も覚えません。
そこで冒頭から読み始めるわけです。
一文を読むのに何秒かかりましたか。三秒かもしれませんし、十秒かもしれません。
いずれであろうと「読む」という行為には「時間の経過」が付きまとうのです。
小説という芸術を味わうには文字を「読む」しかなく、「時間の経過」を伴います。
つまり小説は「時間の芸術」なのです。
小説以外でも「時間の芸術」は存在します。音楽・マンガ・アニメ・ドラマ・映画・演劇・ゲームなどです。イラストや彫刻などの時間経過でも動かない芸術だけが「時間の芸術」から外れます。
音楽は「時間の経過」によって音が推移してメロディーやビートを感じる芸術です。
またマンガ・アニメ・ドラマ・映画・演劇・ゲームは、いずれも読み進めたり観続けたりして、物語を「時間の経過」を追って体験していきます。つまり「時間の芸術」なのです。
そう考えると、小説の物語は映像の物語と大差ありません。
映像と異なるのは「ぱっと見」ではどんな物語なのかがまったくわからない点にあります。そこが音楽と小説の共通点です。
映像はイメージが直接受け手に与えられます。それを受けて、物語を「時間の経過」に従って観るのです。
小説は文章を読み進んで脳内の舞台で繰り広げられる物語をイメージとして浮かべます。物語の展開も映像芸術とは一線を画します。
イメージの限定
小説は文章を読むことで脳内にイメージを広げて、シーンの舞台を構築し、登場人物を取り揃え、人々の会話や行動や運動を描き、そのリアクションを書くのです。
およそ映像芸術で表さなければならないことはすべて表す必要があります。
しかし物語と関係ないものを書かないのが小説です。
東京を舞台にした恋愛小説を仮定したとき、二人のデート先が東京タワーであるなら、東京スカイツリーについて書く必要なんてありません。
登山だって日本で二番目に高い北岳に登頂するのなら、富士山について言及する必要なんてないのです。ましてやエベレストや火星のオリンポス山なんてなんらかの意図がないかぎり書き及ぶこともありません。
小説の情報は、物語を読み手の脳内でイメージしやすいようにできるかぎり削減して、物語にかかわりのない情報はいっさい書かない。それほどの覚悟を持ちましょう。
そうすれば書き手が意図するとおりの情景を、読み手の脳内に思い浮かべさせることができます。
最後に
今回は「小説は時間の芸術」ということについて述べてみました。
小説はぱっと見では面白さがわからない芸術です。
これは音楽と同じで、音楽も聴いてみなければ良さがわからない芸術です。譜面だけで良し悪しがわかるようになるには膨大な時間と感性が必要です。
小説もあらすじだけで良し悪しがわかるようになるには膨大な時間と感性が求められます。
それほどの感性が手に入ったなら、あなたは小説を書く側ではなく、選ぶ側になるべきです。つまり出版社の編集さんになることをオススメします。
プロの書き手としてデビューできたら、「小説賞・新人賞」の一次選考に携わることもありますから、書き手として頑張るのも悪くはないでしょう。
そのためにも、プロデビューできるまで小説を書くことをあきらめないでください。
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