582.明察篇:誰も考えない物語を書く

 今回は「オリジナリティー」についてです。

 それにはまず「テンプレート」を知ることです。

 物語を考えていると、ときに誰も書いていない物語がひらめきます。

「誰も気づかなかった物語」なのか「気づいていたが誰もやらなかった物語」なのか。

 その差は大きいのです。





誰も考えない物語を書く


 物語には独創性オリジナリティーが必要です。

 読み手が想像もつかない物語は、読んでいて心躍らされるものがあります。

 しかし独創性オリジナリティーが強すぎて読み手に理解してもらえるのでしょうか。

 まずはそこから考えてみなければなりません。




読み手を意識した物語

 朝鮮半島や中国では犬を食用としています。

 日本人から見て「犬食」というものは理解できません。

 同様に、読み手が理解できない物語を書かないようにしましょう。

 独創性オリジナリティーを求めすぎると、「犬食」のように読み手がついてこられない設定を書いてしまいがちです。

 まずどのようにして主人公が「犬を食べる」ことに至ったのか。

 その歴史的・文化的な背景を示し、読み手に「この世界では普通に犬を食べるのか」と思ってもらえなければなりません。

 思ってもらえなければ、主人公が「犬を食べる」シーンで読み手は嫌悪感を催し、小説から離れていきます。

 いくら感情移入を誘っても、読み手は苦痛に感じられるだけなのです。

 このような作品は、独創性オリジナリティーはあっても「小説賞・新人賞」に求められるような「面白い」物語にはならないでしょう。




テンプレートを知る

 独創性オリジナリティーを追求するには、まず「同じパターン」を知る必要があります。

 小説投稿サイトで「同じパターン」といえば「テンプレート」ですよね。

 対象年齢も中高生で、世界観として「剣と魔法のファンタジー」。それを読み手がすんなりと受け入れられるには「異世界転移」「異世界転生」「VRMMORPG」といった要素があります。

 主人公が私たちの住む現実世界と続いている世界観にいるために、これらの要素を用いるのです。

 そして、鉄板の物語展開があります。

 平穏な日々、それを打ち破る残虐な悪の出現、悪を打ち倒す勇者の登場、勇者が悪を倒す。平穏な日々が取り戻された。

 これは最も古い鉄板の物語展開つまり「テンプレート」です。

 テレビドラマ『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『遠山の金さん』はすべてこの「テンプレート」に収まります。いわゆる「勧善懲悪」ものです。

 視聴者は「勧善懲悪」ものでスカッとしたいからドラマを観ます。

 子ども向けアニメやドラマにもある程度の「勧善懲悪」要素がありますが、現在はそれを少しズラしていることが多いようです。

 それによって独創性オリジナリティーを確保しています。

 つまり物語の独創性オリジナリティーとは「テンプレート」を少しズラして生み出すものなのです。

 もしこれまでにまったく例を見ない物語を作ってしまうと、斬新すぎて読み手がついてこられなくなります。

 読み手を惹きつけつつ、独創性オリジナリティーを出すには、やはり「テンプレート」を少しズラすのが最適解です。

 ただし「小説賞・新人賞」の選考に際しては、冒頭部分がそのまま「テンプレート」であれば「これもテンプレートだな」とみなされて軽んじられるおそれがあります。

 独創性オリジナリティーは冒頭部分に入れておき、本体部分を「テンプレート」で進んでいく。そして「佳境クライマックス」や「結末エンディング」も少しズラすのです。

「異世界転移」「異世界転生」「VRMMORPG」はいずれも冒頭が鉄板の「剣と魔法のファンタジー」とは異なっています。主人公が異世界へ飛ばされたり、異世界に生まれ変わったり、ゲーム内世界に入り込んだりするのです。この部分を無視すれば、いずれの物語パターンも大筋で「テンプレート」に則ります。




誰もやらない物語

 独創性オリジナリティーを追求したとき、多くの書き手がまったく手をつけていない物語を発見することがあります。

 経済学でいうところの「ブルー・オーシャン」です。

「ブルー・オーシャン」とは、誰も手をつけていないまっさらな海のことを指します。反対に皆が手をつけていて激戦区となっている海を「レッド・オーシャン」と呼ぶのです。

 競争の激しい「レッド・オーシャン」で戦うよりも、競争相手のいない「ブルー・オーシャン」を選ぶべきだ、というのが「ブルー・オーシャン戦略」の骨子になります。

 小説にも「ブルー・オーシャン」はあるのです。

 ですがそれは「誰も見つけられなかった領域」なのか。これが重要です。

 もしかすると「見つけていたのだが、誰も手をつけなかった領域」なのかもしれません。

「誰も見つけられなかった」のか「誰も手をつけなかった」のか。この違いは大きい。

 冒頭で紹介した「犬食」ですが、これを書いた小説は日本ではまず見ません。

 これは「誰も見つけられなかった」のでしょうか「誰も手をつけなかった」のでしょうか。

 考えなくてもわかりますよね。「誰も手をつけなかった」のです。

「犬食」を書いたら、間違いなく「愛犬家」の方々から猛反発を喰らいます。

 炎上が必至なので「誰も手をつけなかった」のです。


 小説では「スポーツもの」は流行らないと言われています。

 マンガではあだち充氏『TOUCH』が野球、高橋陽一氏『キャプテン翼』がサッカー、井上雄彦氏『SLAM DUNK』がバスケットボールと球技が多く、森末慎二氏&菊田洋之氏『ガンバ! fly high』が器械体操というマイナースポーツも扱っているのです。

 でも小説で「スポーツもの」を思い出してみてください。「スポーツを通じて主人公が成長する」物語です。どうですか。思い浮かびますか。

 ひとつでも思い浮かんだ方はとてもすぐれた読書体験をしています。

 私はひとつも思い浮かびませんでした。

 そもそもジャンル分けが細かな小説投稿サイト『小説家になろう』ですら「スポーツ」というジャンルは存在しないのです。「ホラー」「パニック」があるのに「スポーツ」がありません。「アクション」は「バトルもの」の投稿先ですから「格闘技」のスポーツなら入るかもしれませんが、野球・サッカー・バスケットボール・器械体操は入りませんよね。

 もし「スポーツもの」を書いたらどのジャンルに投稿したらよいのでしょうか。

 それさえも困ってしまいます。

 数多くの書き手が「スポーツもの」に挑戦したのかもしれませんが、ジャンルを築くまでには至らなかったのです。

 私は器械体操を好んで観ますが、たとえば床運動の「二回宙返り一回ひねり」つまりムーンサルトを説明しようとするとどうなるのでしょうか。

――――――――

 息を整えて技のイメージを思い起こす。

 意を決して駆け出してロンダード。バク転を二回入れてからバネの利いた床を力強く蹴り込んだ。

 身体が高く浮き始めると同時に後方へ宙返りを始め、身体をひねり出す。跳躍の頂点までに宙返りを一回、ひねりを半分やり終える。落下しながらも宙返りとひねりを継続し、床を見つつ足から着地した。二回宙返り一回ひねりを乱れのない完璧な着地で決めたのだ。

――――――――

 やることをそのまま書いてありますが、なにか間延びしていませんか。

 三秒内で宙返りを終えるわけですが、三十秒や一分はかかっているような印象を与えてしまいます。体言止めを多用することで時間を詰めることもできなくはないのです。でもそうすると運動の継続性が失われてしまいます。

「スポーツもの」が小説に不向きな理由はおわかりいただけたのではないでしょうか。

 小説で「スポーツもの」を扱う場合、たとえば「恋愛」「友情」物語のツマとして登場人物が「スポーツ」をやっているという程度。スポーツ実施中の体の動きなんて書いてもまったく魅力がありません。かえって蛇足の感があります。

 つまり「スポーツもの」は「誰も手をつけなかった」可能性が高いのです。

 それでも「スポーツもの」を書きたいときは、選手ではなくコーチや監督の立場から書くとよいでしょう。それなら体の動かし方の感覚を書く必要がないので、「スポーツもの」を扱えるようになります。

 ですがその「スポーツ」特有の戦術・戦略に通じなければなりません。それはそれで難易度が上がります。

 主人公がサッカーの監督になったとして、フォーメーションや寄せ方や仕掛け方を決めなければなりませんし、それを実行できる肝心の選手を選考しなければなりません。どのポイントで選手を選ぶのか。経験がないと難しいのです。

 書くことが難しい「スポーツもの」をあえてやりたいのであれば、それだけの知識と情報は最低限確保しておきましょう。




結末がわかる安心感

 多くの物語は「テンプレート」を踏襲しています。

 それは「結末がわかることの安心感」を読み手に与えているからです。

 バトル小説なら、どんなに主人公に困難な敵が立ちふさがっていても、「佳境クライマックス」「結末エンディング」まで主人公は生きています。

 それは物語が「主人公がなにをする話」なのかを明確にしているからです。

 つまり主人公に途中退場は許されません。

 田中芳樹氏『銀河英雄伝説』では主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムが崩御することで物語が終わります。自由惑星同盟側の主人公であったヤン・ウェンリーは途中退場して、その役を被保護者であったユリアン・ミンツが引き継ぎます。つまりヤンが『銀河英雄伝説』の主人公ではないのです。主人公ラインハルトの「対になる存在」であり、その役割がユリアンに引き継がれました。

 当然ヤンが主人公だと思って読んでいた人は、途中退場してしまうので強い喪失感が生まれるのです。それで読むのをやめてしまうこともあります。

 幸い現在ではヤンが途中退場することは事前にわかっていますから、誰も途中下車は致しません。

 それは主人公ラインハルトが「佳境クライマックス」「結末エンディング」まで登場する安心感を与えます。だから今『銀河英雄伝説』を読む方は「どんな過程を経て『佳境クライマックス』『結末エンディング』までたどり着くのか」を楽しみにして読んでいます。

 恋愛小説では、主人公と意中の異性との恋愛の結末が話の筋であることは明白です。

 「佳境クライマックス」で告白して「結末エンディング」で受け入れられるか拒絶されるか友達のままか。この三択です。

 恋愛小説はテンプレートが決まっていて、どこにも独創性オリジナリティーを盛り込めないではないか。そう思われますよね。でも違います。

 恋愛小説は物語開始時点のふたりの関係から、「どんな過程を経て『佳境クライマックス』『結末エンディング』までたどり着くのか」を楽しみに読むジャンルです。

 途中で横槍が入って邪魔されたり、他の異性から言い寄られたり、主人公のライバルが現れたりします。そういった「トラブル」が恋愛小説のキモなのです。そこに独創性オリジナリティーが入り込む余地はあります。





最後に

 今回は「誰も考えない物語を書く」ことについて述べてみました。

 読み手を意識する、テンプレートを知る、誰も見つけられなかった物語、結末がわかる安心感について触れています。

 独創性オリジナリティーは意外とすぐそばに落ちているものです。

 それに気づけるかは、絶えず独創性オリジナリティーがないか探す目を持ちましょう。



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