577.明察篇:考える、話す、書く

 今回は「考える、話す、書く」ことについてです。

 物語は「考え」なければ作れません。天から降って湧くのを待つだけでは、一生に一本の小説を書くに留まるでしょう。

 考えついた物語は話すことで他人に伝わります。しかし口伝てでは正しく伝わらないことは「伝言ゲーム」で明らかだと思います。

 だから文字にして書き残すのです。





考える、話す、書く


 物語を作るとき、まずやるのは「考える」ことです。

 物語は「考え」ないと、生まれてきません。

 あるとき天から降って湧くような物語というものも探せばあるのでしょう。

 しかし本コラムは創作論を説いています。

「降って湧く」ことを第一にすることなどできません。

 それでは一生に一本の小説しか書くことはできないでしょう。




物語を考える

 ではどんな物語にすればいいのでしょうか。

 あなたが読み手に伝える核は「命題」です。

「成長」「友情」「恋愛」「手助け」「駆け引き」「仲間」といった個人レベルの「命題」。

「戦法」「戦術」「戦略」「策謀」「策略」「兵法」といった多勢に影響を与える「命題」。

「勇者譚」「冒険譚」「推理(ミステリー)」「伝奇」といったジャンルにかかわる「命題」

「中世ヨーロッパ風」「剣と魔法のファンタジー」「MMORPG」「学園都市」「企業」といった舞台にかかわる「命題」。

 これらの「命題」のうち、あなたの根本に据わっている「命題」を探してみましょう。

「命題」を見つける簡単な方法は子どもの頃から順に「好きになった物語」をいくつか挙げてみることです。

 私は『アーサー王伝説』『孫子』『銀河英雄伝説』『ロードス島戦記』の順に好きになったので、命題も「成長物語」「兵法」「中世ヨーロッパ風」であり、あえてひとつにまとめれば「英雄譚」ということになります。


「命題」がわかったら、それを「モチーフ」に表していきましょう。

「成長物語」から「なぜ人は自らを高めたいのか」「いつでも自分を高めよう」、「兵法」から「なぜ人は戦い続けるのか」「戦争をすぐにでも終わらせるべき」が導き出されます。


「モチーフ」がわかったら見せ方を考えて「テーマ」に仕上げるのです。

「いつでも自分を高めよう」というモチーフから、

――――――――

 いつかはプロの小説家になりたい。高校二年で文芸部に籍を置いているが人生経験は少ない。今小説を書いて新人賞に応募してもろくな作品は書けないだろうし、酷評されるのがオチだ。将来の傑作のために小説のネタを探すべく、さまざまな部活動にスポット参加して知識と経験値を高めることにした。

――――――――

 という「テーマ」に仕上げました。

「成長のためにさまざまな体験を通じて知識を広げ、会心の小説を書く」ことができれば、この小説で私が皆様に伝えたい「テーマ」も伝えられるのです。


 出来あがった「テーマ」から「企画書」を考えます。

 主人公は高校二年で文芸部所属の将来小説家を希望する男子生徒にします。女子生徒にするとマンガ・柳本光晴氏『響 〜小説家になる方法〜』と設定がかぶってしまうからです。

 このように先行作品がある場合、それに乗っかるのか外すのかは書き手の意思に委ねられます。今回は外しました。

 文芸部に籍を置きながらさまざまな部活動を体験していくので、かなり活発な性格であることがわかります。

 体験する部活動としてはメジャーな「野球部」「サッカー部」「バスケットボール部」「テニス部」あたりを想定してみましょうか。メジャーなだけあって、書き手の方もルールやテクニックの情報を集めやすいのが特徴です。

 マイナーな「古武術部」「園芸部」「茶道部」「将棋部」などはルールやテクニックの情報を集めにくいので敬遠しがちですが、他の書き手と差別化を図って目立ちたければぜひ挑戦しましょう。

 目立つためには、可能なかぎり「なかなかお目にかかれない」部活動を体験するべきです。


 意識の中には、記憶や空想の情景描写、そこから喚起される雰囲気、気分、言葉の調子などが混沌として存在しています。

 混沌から意識的に文章を紡ぐとき、表現されたものには混沌が含まれていません。すべて切り捨てられているのです。

 そうやって考えていることを言葉として口に出します。そう「話す」のです。

 世界中の言葉はまず考えていることを相手に伝える手段として「声」を用いています。これは人間だけでなく動物と仮定すればよくわかるでしょう。犬はお腹が空いたと感じたらワンワン吠えますよね。でも字を書くことはありません。

 人間も当初「声」だけで感じたことや考えたことを相手に伝えていました。それを変えたのがエジプトのヒエログリフであったり、中国の甲骨文字であったり、日本の縄文土器の縄目であったりするのです。

「文字」が出来たことによって、話したことが多くの人に広まり、後世に残るようになりました。

 私たちが「文豪」の作品を今読めるのも、「声」ではなく「文字」で書かれているからです。

 しかし時代は便利になりました。「声」をそのまま大勢に伝える手段を手に入れたからです。ラジオやカセットテープ、ICレコーダーやスマートフォンと、録音する装置は変わりましたが、「声」そのものが伝えられる手段を手に入れたのです。

「声」の話はここまでにして、ここからは「書く」ことについて述べていきます。




書くということ

 文章は、私たちが感じたこと思ったこと考えたことを表現するために存在します。

 テンポやリズムを意識するのは韻文や詩の影響によるものです。

 あくまでも感じたこと思ったこと考えたことが客観的に書かれていること。それが文章に求められます。それはテンポやリズムがまったくないこともあるのです。

 文章を書いたら、音読してリズムがいいように書き直すという作業は、韻文や詩の段階まで小説が戻ってしまうことを意味します。

 小説は読むものであって、話すものではありません。

 つまり「話すように書く」のは誤りなのです。

「読むように書く」のが理想になります。

 たとえば芥川龍之介氏の『鼻』を「読んだ」とき感じたものを、あなたが小説に書いて「読まれた」際「これは『鼻』のようだね」と感じられたら。それは「読むように書く」ことができたということです。

 しかしこの例文では『鼻』の劣化コピーしか作れません。

 あなたのオリジナルの物語が「読まれる」とき「これは新しくて面白い」と思っていただけるのなら、「読むように書く」ことに成功しています。

 小説は「読む」ことを前提にした「一次元の芸術」です。あくまでも紙面、パソコンやスマートフォンなどの画面で「読んだ」ものが面白いかどうかが問われます。

 書いては読み返し、書いては読み返しを繰り返して、文や文章を調整することで、「読む」ように「書く」ことができるようになるのです。

「読むように書く」は別に一本書いたほうがよさそうですね。





最後に

 今回は「考える、話す、書く」ことについて述べてみました。

「考える」ことから物語は生まれます。しかしそれを形に表すには、まず「話す」しかなかったのです。のちに文字が発明されて「書く」ことで過たず後世に残るようになりました。

 小説は「書く」ことで人々に読まれ伝わります。

「話すように書く」のではなく「読むように書く」ことができれば、ひじょうに読みやすくわかりやすい小説に仕上がるのです。

「読むように書く」ことは後日コラムを一本掲載致します。



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