573.明察篇:プライドを捨てる
今回は「プライド」についてです。
「プライド」の高い方はどうしても自分中心な考え方になります。
「プライド」が邪魔をして成長を阻害することが多いのです。
そんな「プライド」は捨てて、真摯に執筆してください。
なにごともそれが上達する最も近道となります。
プライドを捨てる
小説がうまくなりたいのであれば、余計なプライドは捨ててください。
肩書きなんて小説を書くときにはなんの後ろ盾にもなりません。
えてして社会的地位を築いた方が、第二の人生として小説家を目指すことが多いのです。
元教師は指摘されることに慣れていない
本コラムの読み手に、元教師の方がいらっしゃいます。
その方は本コラムを読んで小説を書きますが、なかなか添削させてくれません。
最初の一回は依頼があって添削をしたのですが、指摘されることに慣れていないのですね。その方から二度目の添削依頼は来ませんでした。
教師は人に物事を教える立場です。相手に指摘することには慣れていました。その逆が慣れていないのです。教師だった人が生徒の側にまわったとき、悪い点を指摘されることを極度に嫌がります。
そういうプライドは捨ててしまいましょう。あなたは第二の人生に「小説を書く」と選んだのです。元「教師」という肩書きはすでに役に立ちません。
店長は自分がNo.1だと勘違いしている
これは私がまだ書店で働いていた頃の話です。
私は主任でそのうえに店長がいました。店長は文章を書くのがとにかく苦手で、業務日報の文章は私が考えていたのです。
でもその文章は店長が書いたものとされました。つまり体のいい「ゴーストライター」になってしまったのですね。
そんな店長が栄転して本社課長となりました。当然私という「ゴーストライター」はついていませんから、文章を書いてもなかなか評価されません。幸いなことに課長は業務報告をしなくて済みますから、文章力がバレにくかったのです。社内政治により本社部長まで登りつめたのですが、まともに文章が書けないものですから社長や人事からの評価は低くなります。
順調に出世していたので顕在化しませんでしたが、その人が店長の時代は自分がナンバーワンだとのプライドがひじょうに高かったのです。
文章の書き方を教えはしましたが、自分のやり方に固執しすぎます。それで評価が悪くなって私が「ゴーストライター」役に抜擢されたのです。
プライドなんか捨ててしまえ
元教師の方も元店長の方も、人格者という点では一般社会に適合するだけのものを持っています。しかし他人からの指摘に関しては我を通してしまうのです。
「私はあなたよりも格が上なんですよ」というほどのプライドを有していました。
私ごときが添削すると、露骨に嫌がるのです。
そして二度と私の添削を受けなくなります。
良かったと言われるのは誰でも嬉しいものです。
人は褒めそやされて長所を伸ばしていきます。
ですが、小説はある程度短所を克服しないと形にならないのです。
どんなに気に入らなくても、指摘されたら素直に直してください。
添削の要点は「よりよくするにはどうすればいいのか」を、書き手の力量を踏まえて助言することにあります。
私の添削は文体に言及することがほとんどありません。文体は書き手の「個性」であり、それを矯正することは「個性」の喪失を意味するからです。
設定の矛盾や足りない説明と描写、多すぎる比喩を削るということが主になります。
だから私の添削をあまり怖がらないでください。
ただし心構えとして「過去のプライドは捨てるべき」だと思います。
今は純粋に「小説を書きたい」という気持ちを持ち、生徒として本コラムや他の書き手の「小説読本」に学ぶのです。
これまで社長や会長として部下から最敬礼で迎えられ、持ち上げられていた時代を過ごしてきたのかもしれません。
しかし今は肩書きのない、いち「生徒」です。
他人から厳しい指摘を受けてこなかった方もおられます。
いつも上から目線で人に指導するだけでよかった。
そんな方は、添削指導に嫌気がさすのでしょう。
せっかく添削指導を受けようと思い立ったのです。嫌なことを言われるかもしれませんが、大きな心で受け止めてより良い小説に仕上げていきましょう。
私は手柄を横取りするようなことはしません。
純粋に書き手の方をレベルアップさせるお手伝いがしたいのです。
そのためには余計なプライドは捨ててください。
今まで築きあげてきたプライドは邪魔にしかなりません。
プライドがあると、屈辱を感じることになります。
屈辱だと感じたら、他人の話を聞かなくなるのです。
普通の方が感じる精神ダメージの何倍もの衝撃を受けます。
だから自分の名声を守りたくなるのです。
「会長」「理事」「社長」「部長」「課長」「店長」「教師」「教授」「医師」「政治家」「教育委員会」など肩書きには事欠かない。こういったものを捨てて(もったいないなら脇に避けておきましょう)小説に取り組んでもらいたいのです。
せっかくもつれた糸をほぐそうとしているのに、屈辱だと思われてしまうのでは直しようがありません。
素直な心で添削を受け入れてほしいのです。
私の添削指導
ちなみに私の添削は、悪いところをズバリと指摘しますが、良いところを必ず見つけるようにしています。
「ここまで巧みに書けるのだから、ここをこう変えるともっとよくなるんじゃないかな」という具合です。
書き手の文体を褒めて伸ばし、それにふさわしい文章になるように添削指導します。
添削と言われると「手厳しく指導する」「罵倒ばかりする」ようなイメージを持たれるものです。
実際には「褒める」ことのほうが多く、指導も「手厳しく」も「罵倒」もなく「提案」をしています。
「提案」ですから、必ず従う必要はありません。
書き手自身が「提案」を受けて、どちらが妥当か考える。
結果として元のほうが良いと判断したら、元の文章を押し通すことも許容しています。
私のみならずプロの書き手の方でも、文章の正解は持っていません。
これは日本語が、完成することのない、進化し続ける言語であることからも証明されます。
今日書いた文が、一年後、十年後、百年後において正しく読まれる保証はないのです。
最後に
今回は「プライドを捨てる」ことについて述べてみました。
人から教えを乞うとき、最も阻害する要素が「プライド」なのです。
「プライド」が邪魔をして、成長できなくなります。
「プライド」の看板を下ろし、ひとりの書き手として教えを乞う姿勢がたいせつです。
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