561.明察篇:平凡な主人公はウケない

 今回は「主人公」についてです。

 平凡な主人公は読み手にウケません。

 ウケる主人公、ウケない主人公とはどのような人物像でしょうか。





平凡な主人公はウケない


 多くの読み手に感情移入してもらうため、主人公を没個性にしてしまうことがあります。

 しかし平凡な主人公には華がないので、キャラが立たないのが弱点です。

「小説賞・新人賞」を狙いたい方は、平凡な主人公はやめましょう。




平凡な主人公

「小説賞・新人賞」で一次選考を通過できない方の多くは、「平凡な主人公」を立てています。

 平凡な人物を魅力的に書くのは、よほどの才能がなければ無理です。

 いかにして平凡ではない主人公を設定できるか、それが「小説賞・新人賞」を狙うときのポイントになります。

「平凡な主人公が成長していく過程を読ませたい」と思っていても、読み手はそんな書き手の都合なんて知ったことではないのです。

 主人公が成長する過程を書くのに、どれだけ原稿用紙の枚数を書かなければならないのでしょうか。

 ひょっとすると成長過程だけで規定をオーバーしてしまうかもしれません。

 また作中で激しく成長していくため「キャラの統一感」がなくなります。

 三百枚の長編小説で「キャラの統一感」がなくなると、結局主人公はどんな性格や考えを持つ人物なのか読み手にはわからないのです。




無口な主人公

 無骨な主人公を書こうとして、つい主人公を無口にしてしまうことがあります。

 しかし無口な主人公に魅力はあるでしょうか。

 無口な主人公はしゃべりません。そうなると主人公の気持ちが読み手には伝わらないのです。

 つまり主人公はほとんど地の文でしか現れないという不思議な状況となります。

 そうなると、主人公は本当に「主人公」なのですか、という気持ちになるのです。

「主人公」は読み手が感情移入できて初めて「主人公」なのです。

 小説で無口な主人公は「主人公」たりえません。

 マンガならさいとう・たかを氏『ゴルゴ13』の主人公であるデューク東郷が無口な主人公として有名です。しかしデューク東郷には絵があります。「無口」であっても、どんな状況で、どんな感慨を持って「無口」なのか。それがわかるのです。

 しかし小説には絵がありません。無口な主人公は文章の海に沈んでしまい、まったく目立たなくなります。結果としていちばん目立っている人物が「主人公」だと読み手に思われてしまうのです。これでは本末転倒だと思います。


 拙著「伝説の勇者」シリーズの登場人物である無口なグラーフを主人公にした小説に挑戦したことがあります。結果としてそのときの筆力では描ききれないと判明したのです。もう少し筆力をつけてから再挑戦したいと思っています。「伝説の勇者」シリーズは明確な長編があるのですが、勇者隊の六人それぞれにドラマがあるように設定しています。それらを書くためにも、本コラムが「エタる」ことのないよう、ラストを見据えて連載してまいります。

(そう言いつつ2019年8月時点で900本を超えていますが)。

 本コラムが連載を終えても、それを再構成して新たな「小説の書き方」コラムを連載する可能性もあるので、その際はどうぞごひいきに。


 それでも無口な主人公にしたいとお思いでしたら、サー・アーサー・コナン・ドイル氏『シャーロック・ホームズの冒険』のように、主人公シャーロック・ホームズのことを語るジョン・H・ワトスンのような語り部を用いることです。

 ワトスン博士がホームズのことを語る形ですので、「二人称小説」となります。

「二人称小説」はプロの書き手でも書ける人が限られるほど難しい視点です。

 そう考えたら「無口な主人公」を押し通すよりも、「普通にしゃべる主人公」にしたほうが書きやすいし破綻しにくいと思います。

「小説賞・新人賞」を狙いに行くのなら、破綻がいちばん怖いので「無口な主人公」にはしないようにしましょう。




読み手よりも劣る主人公

 読み手にわかりやすい物語にするため、主人公を読み手より劣るように設定することがあります。

 人間は「自分より劣る人物のことは理解できる」という幻想を抱いているのです。

 実際には「理解したつもりになっている」だけ。

 すべての面で読み手より劣る主人公は、読み手皆から馬鹿にされます。

 当然「小説賞・新人賞」の下読みさんからも底を見透かされて馬鹿にされるのです。

 読み手よりも劣る主人公を出したいときは、「なにかひとつでも読み手よりすぐれている部分を設定して」ください。

 本来なら社会の底辺にいるような主人公でも、なにかひとつすぐれているものを有効活用して、物語で立ちはだかる壁を壊していくのです。

 もしすべての面で読み手よりも劣る主人公であったら、壁は壊せません。

 その様子を高みから見物しているような小説も「文豪」作品にはありました。たとえば芥川龍之介氏『蜘蛛の糸』です。今そんな小説を書いたら、間違いなく一次選考を通りません。

 読み手よりも劣る主人公を活躍させようとしたら、なにかひとつでも「すぐれている部分」を設定するのです。

 鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』の主人公・上条当麻はレベルゼロの無能力者ですが、どんな能力も無効化できる右腕「幻想殺しイマジンブレイカー」を持っています。これでどんな強敵もぶん殴って説教垂れることができるのです。 

 渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の主人公・比企谷八幡は、ひとりぼっちで他人と関係を持ちたくないというマイナス部分が強い。基本性能も低い。でも機転が利きますよね。その機転で問題を解決していくのです。

 マンガの堀越耕平氏『僕のヒーローアカデミア』の主人公・緑谷出久は異能力社会において「無個性」ということで世間一般から見下されていました。しかしNo.1ヒーローであるオールマイトと出会って「個性」を授かります。こうして難関に挑む主人公になったのです。

 読み手より劣る主人公を設定したいのであれば、なにかひとつでも「すぐれている部分」を設定しましょう。




読み手よりもすぐれすぎている主人公

 先ほどとは逆に、読み手よりもすぐれすぎている主人公もよろしくありません。

 読み手の想像もしない手段を用いて壁を壊してしまうと、読み手が置いてけぼりになります。

 たとえば東野圭吾氏「ガリレオ」シリーズの主人公である帝都大学理工学部物理学科准教授・湯川学はどんな現象も数式化して難事件を解決していくのです。しかもスポーツ万能で容姿端麗、料理もこなす。当然のように女子学生に人気があります。ここまで揃うと読み手は「すぐれすぎていて感情移入できない」わけです。しかし心霊現象やオカルトの類いはいっさい信じない、子ども嫌いなど読み手より劣る部分を作っています。

 読み手より劣る主人公には、なにかひとつでもすぐれている部分を作る。

 同様に、読み手よりもすぐれすぎている主人公には、なにかひとつでも劣っている部分を作るのです。

 アメリカン・コミックのジェリー・シーゲル氏&ジョー・シャスター氏『スーパーマン』の主人公スーパーマンは地球上ではなんでもできますが、「クリプトナイト」という鉱石が最大の弱点となっています。

 それであっても、読み手に興味を持ってもらえるだけの欠点を主人公に与えるのが難しいのです。

 これができれば、湯川学のように読み手に受け入れられる主人公が生まれます。




嫌悪する主人公

 たとえば連続殺人鬼を主人公にした小説は絶対にウケません。

 戦場で敵を薙ぎ倒していくのとはわけが違います。

 平時の日常で罪なき人を殺しまくっていくような主人公はダメなのです。

 読み手が主人公に感情移入できない典例と言ってよいでしょう。

 もし連続殺人鬼の気持ちがありありとわかるようであれば、読み手には連続殺人鬼の素養があります。

 たとえ推理小説であろうと、連続殺人鬼は「対になる存在」にすべきであり、主人公は一般的な道徳心を持つ存在であるべきです。





最後に

 今回は「平凡な主人公はウケない」ことについて述べてみました。

 平凡な主人公が下読みさんに好印象を与えることはありません。

「作中で成長するから」という理由も通じないのです。

 無口な主人公は書けたらすごいのですが、プロの書き手でもまず書けません。

 読み手より劣る主人公は、ひとつでもすぐれた部分を作ること。

 読み手よりもすぐれすぎている主人公は、ひとつでも劣る部分を作ることです。

 読み手が嫌悪するような主人公は誰からも受け入れられませんので、絶対にやめましょう。



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