551.臥龍篇:実習してみよう(2/2)

 今回は「実習」の(2/2)です。

 短編小説でいいので、まずは一本小説を書いてみましょう。

 書くことで至らない点や改善したい点を見つけることができます。

 そこからが、本当の小説執筆の始まりです。





実習してみよう(2/2)


 今回も実習についてです。

 さまざまなテクニックをわかりやすく書いていきます。

 読み終わったら短編でいいので一本小説を書いてみましょう。




5W1Hを揃える

 小説は新聞記事とは異なり、5W1Hが揃っていなくても文章が成立します。

 ですが、5W1Hが揃っていれば読み手は必要な情報を得られるのです。

 5W1Hとはなにか。詳しくはコラムNo.170「再考篇:5W1H」をご覧いただくとして、ここでは手っ取り早く項目を挙げます。

 When いつ

 Where どこで

 Who 誰と誰が

 What なにを

 Why なぜ

 How どのようにして

 以上が5W1Hです。

 文章を書いているときに、この文章っていつの話? どこで起こった話? 誰についての話? なにをするの? なぜそうなっているの? どのようにして行なうの? という問いが生じるようなら、情報が足りていないことになります。

 足りていない情報を補記していけば、よりわかりやすい文章が書けるのです。

「読み手にわかりやすく書けているのかな」と心配になった方はこの六項目をチェックしてみましょう。




説明をする

 小説とくにライトノベルはどうしても会話文主体になってしまいます。

 それにより主人公たちがどんな状況に陥っているかがわからなくなるのです。

 そこで意図的に「説明する」クセをつけましょう。

 今置かれている状況はどんなだ。この人物の体つきや経歴はどんなだ。人間関係はどんなだ。そこにある物はどんなだ。

 この「どんなだ」を説明するのです。

 そうすれば、読み手へ物語を楽しむのに必要な情報を説明することができます。




五感を書く

 とくにライトノベルは会話文に比重が高いため、聴覚の情報には事欠きません。ですが会話以外の、たとえば風鈴の音、除夜の鐘の音、電車の走行音や自動車のクラクションなどを書くことで、より聴覚の情報が充実します。

 視覚の情報も増やさなければなりません。

 人間が感覚として脳で処理される七割から八割は視覚だと言われてます。視覚つまり目で見たものを文字で書けなければ小説にはならないのです。

 会話文だけで進む小説は、すべての読み手が同一のイメージを描けません。

 触覚も重要です。肌で触った感覚、それに痛覚、温感を加えたものが書けなければ、リアリティーに欠けてしまいます。

 嗅覚と味覚は可能な限り入れていくようにすべきですが、上記三つほどの量は必要ありません。そもそも脳の処理機構でこのふたつは優先順位が低いのです。

 しかし優先順位が低いからと嗅覚と味覚を書かないのは今ひとつ物足りなさを感じさせます。

 そして第六感と呼ばれるのが「直感」です。

「直感」は記憶と状況の組み合わせで発動される感覚になります。

 つまり「この状況は記憶しているこれと似ているから、こういう結果になるのでは」ないか。そう導き出すのが「直感」なのです。

「直感」に関しては別途コラムを書きたいと思っています。




感情を書く

「感覚」の次は「感情」です。

「感情」のことを一般には「喜怒哀楽」と呼びます。

 嬉しくて喜ぶこと、憤って怒ること、悲しくて哀しいこと、面白くて楽しいことの四つです。

 実際にはもっと細やかな「感情」があります。

「寂しい」「侘しい」などです。

 ですがそれらを憶えるには相当辞書と仲良くなる必要があります。

 それらの「感情」は他の方が書かれた小説を読んだときに見つけていけばいいのです。

 小説を書き慣れないうちは「喜怒哀楽」だけで書いてかまいません。




メッセージを込める

 小説の書き始めでは物語に「メッセージ」を込めることは難しいのでここは回避してもかまいません。

 書き慣れてきたら、文章の中に「メッセージ」を込めてみましょう。

「モチーフ」から「テーマ」を作り、それを「メッセージ」にして表すのです。

「テーマ」に関する「メッセージ」をさりげなく盛り込めるかどうか。

「メッセージ」を直接書くのは論文です。

 小説では「行間」で読ませなければなりません。

 物語の中で主人公に出来事を体験させて「メッセージ」を感じてもらいます。

 すると感情移入している読み手にも「メッセージ」は伝わるのです。

 物語の「エピソード」に「メッセージ」を紛れ込ませます。

 「ワクワクしてもらいたい」という「メッセージ」を伝えようと思えば、たとえば遊園地のジェットコースターに乗るまでの「エピソード」を丁寧に書きましょう。単に遊園地のジェットコースターに乗る「エピソード」を読んでいるだけなのに、なんかワクワクしてきた。それが「メッセージ」を「行間」に込める手法です。

 世の中にはお涙頂戴な「メッセージ」が多いのですが、明るく楽しい「メッセージ」があってもよいでしょう。

 しかし「メッセージ」に気をとられて、肝心の本文を蔑ろにしてはなりません。

 本文を楽しんで読んでもらえることが大前提です。

 読み手は道徳観念を押しつけられることを嫌います。

「メッセージ」性の強い小説は、面白くないのです。

「メッセージ」はスパイス程度にして、メインの食材である本文を磨くことに邁進まいしんする。それができれば、じゅうぶん読み手が楽しめる小説は書けます。




テクニックより物語優先

 テクニックやレトリックなどはあるに越したことはないのですが、それだけで小説の出来は判断できません。

 テクニックさえあれば感動させられると思い込むのは危険です。

 テクニックもレトリックもほとんどない小学生の作文レベルの小説でも胸を打つ文章は書けます。

 それは「物語」の骨格がしっかりしているからです。

「物語」をどう構築するか。小説の価値はすなわち「物語」の出来次第なのです。

 誤字脱字があろうと、単語をつないで文を作ったものであろうと、根本にある「物語」ががっしりしていれば「名作」になります。

 テクニックやレトリックは小説を書き続けていれば必ず向上していくのです。

 対して「物語」は今までどれだけ「物語」を読んできたか。その蓄積でしか生み出せません。





最後に

 今回は「実習してみよう(2/2)」について述べてみました。

 小説を書くために必要なものは「やる気」と「負けん気」です。

 情熱を持って書けるか、挫折しそうになっても途中で筆を折らず書き続けられるか。

 二回にわたって書いたテクニックはあくまでもテクニックであって、「物語」の面白さを担保するものではありません。

「物語」の引き出しは、他人が書いた「物語」を読むことでしか増えないのです。

 よい小説を書くにはよい小説を読むことに限ります。

「文豪」でオススメしたいのは「夏目漱石氏」「島崎藤村氏」「森鴎外氏」です。

 芥川龍之介氏でも直木三十五氏でも菊池寛氏でも太宰治氏でもありません。

 彼らよりも前の作家は言文一致体の黎明期で活躍しました。

 書きたい「物語」に満ちていた時代だったのです。



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