548.臥龍篇:人物描写について

 今回は「人物描写」についてです。

 必要もないことを書かない。ただそれだけで正しい描写ができるようになります。

 人物に、たった一言で言い換えられるような「あだ名」をつけてみましょう。

 夏目漱石氏『坊っちゃん』では山嵐や赤シャツ、野だいこ、うらなりなど「あだ名」で呼んでいますよね。





人物描写について


 人物描写を一言で述べるなら「必要もないことを書かない」ことです。

 主人公は夜パジャマを着て寝るとします。ですが主人公が夜寝るシーンがいっさい登場しない小説というものもあるのです。

 その場合、せっかく設定したのだから「私は夜パジャマを着て寝るんです」と発言させて情報を読み手に伝えたいと思ってしまうかもしれません。しかしそれは蛇足です。




容貌や服装は特徴のあるものだけ書く

 人物の服装を書くとき、高校が舞台の小説なら全員制服を着ていることになります。その中で、あえて「制服のブレザーを着た彼女はこちらを向いていた」と書く必要はないのです。

 ですがこのムダなことを平気で書いている書き手がかなり多い。

 皆が制服を着ているのなら、服装のことを殊さら書く必要はありません。

 人物が動作したり表情を見せたりするとき、服装が用いられるのなら。そのときになって初めて服装のことに触れればいいのです。

 主人公が通う高校が制服着用の指定があるのなら、まず主人公やほかの人物を動かして「制服」という単語をそこに放り込みます。それだけで皆が「制服」を着ていることは説明できるのです。

 他と差がある服装をしているのなら、それは書かなければなりません。

 たとえば教職員は皆スーツを着ている学校だとして、医務員がその上に白衣を着ているのなら「医務員はスーツの上に白衣を羽織っている」と書けばよい。

 話の中でだけ出てくる人物の服装なんか書く必要はないのです。

 たとえば「田舎に住む祖母が何を着ているのか」なんて、小説で述べておく必然性がありますか。

 また「田舎の祖母の家に大きな飼い犬がいる」という情報は物語に寄与しますか。

 物語にいっさい絡んでこないのなら、小説に書く必然性はありません。ただの文字数稼ぎです。

 主人公に娘がいて、浴衣を着ている。これから「花火」を観に行くという。

 この「花火」シーンが物語の中で必須の場面であれば、娘の浴衣姿について書き記しておくべきです。たとえば「娘が彼氏から告白される」だとか「娘が屋台の爆発に巻き込まれて病院に担ぎ込まれた」とか、そういうエピソードがあるのなら、娘が浴衣姿で「花火」観覧に行くことは必須の情報となります。

 もし娘が「花火」に行くというだけで、その後の物語にいっさい関与しないというのであれば。娘の浴衣姿を書く必要はないし、「花火」シーンも蛇足になります。

 娘が物語と無関係なら小説の早いうちに「(主人公)には娘がひとりいる」とだけ書いて、あとは娘について触れないようにする。できれば娘のことをいっさい書かないと英断しましょう。

 物語にかかわってくる人物を写実的に書いていけば間違いありません。




特徴的なものをひとつだけ

 容貌や服装に関して、物語に関係がなければ取り立てて書かなくてもいいと前述しました。

 そうであっても、人物の書き分けには必要なものです。

 その場合は「猛禽類を思わせる目つき」「真っ赤な鼻」「奥歯まで見える大きな口」といった特徴的な容貌をひとつだけ書きましょう。

 服装も同様、レースの白いワンピースなのか、シックなグレーのツーピースなのかは「洋服」という言葉でひとまとめにできます。ですがその場ではとても目立つ服装で、似合うかどうかが問題になってくるのであればワンピースかツーピースかを書くべきです。

 葬式に黄色いワンピースを着てくる女性は「場違い」という意味で書かずにはいられない存在になります。

 和装は着付教室があるほど難しく、専門的な言葉が並びますから、あまり詳しい描写は避けるべきです。しかし和装についてのうんちくを語りたがる書き手が殊のほか多い。知っていることはなんでも書いて、知識をひけらかしたいのかもしれません。

 しかし読まされるほうとしてはたまったものではありません。それを読んで和装について憶えろということなのでしょうか。読み手はこういった押しつけに強く反発します。

 ときにファッション雑誌の文句にあるような服装の特徴やコーディネートの狙いなどをつぶさに書く方がいらっしゃいますが、こちらも細かく読む人はまずいません。




キャラを立てる会話

 行為や表情を読み手に示すためには、「会話文」の役割も重要になります。

「会話文」を極端に恐れる人もいますが、無神経な人もいます。

「会話文」を極端に恐れる人は、「会話文」に行為や表情を含ませることで「不自然な会話」となることを嫌うのです。無神経な人は、設定を詰め込むだけ詰め込んで「不自然な会話」になってもいっこうに意に介しません。

 そもそも「会話文」は私たちが実際に他人と会話している内容とは異なっています。

 現実に行なわれている「会話」とは異なっていることを留意しておけば、殊さら「会話文」を恐れなくてもよくなるのです。なにげない「会話」が含まれていてもよい。その流れを追っていくと重要な情報に触れられる。そういう仕組みがわかっていれば、なにげない「会話」を書くことは非俗ではなくなるのです。

 だからといって「説明」をなんでもかんでも「会話文」に入れ込んでしまうのでは、くどさが現われます。

「会話文」は現実の会話とは異なりますが、「説明」を入れ込みすぎるのもよろしくない。

 読んでもくどくならない程度の「説明」を加えるには、実際に書いてみて「くどいな」と思ったら会話文から外していくしかありません。




心理描写

 心理描写といえば心理をくどくどと書くわけではないのです。

 行為や会話で察せられる部分はそれに託してしまいましょう。

 外に表われない部分を心理描写として書くだけでいいのです。

 書き手が人物の動機・思想・感情を分析して、書き手なりの判断を下します。

 これが一般的な心理描写の仕方です。

 次に人物が内的な「心の声文」で心理を訴えるやり方があります。

「心の声文」は人物の感じたこと思ったこと考えたことをそのまま書いていくのです。

 心理描写としては焦りや苛立ちなどを「心の声文」として書くことで表現しようとします。


 猜疑心の強い人物を書きたいとき、書き手が猜疑心の強い人である必要はないのです。 

 小説を書くのは人物に憑依することではなく、主人公を客観視してもうひとりの自分として見据える必要があります。

 それができれば、心理描写に迷うことはなくなるのです。

 けっして「心理描写のための心理描写」にはならないよう注意してください。

 行為や会話で察せられるように配慮し、それでうまく描写できないのなら「心の声文」にして書くのです。

 直球で「私は動揺している。」などと書いてしまうことはやめましょう。

「動揺している」のならどんな行為や会話をするのか考えてみてください。

 目が泳いでいたり、手つきが怪しかったりしますよね。それを書くのです。





最後に

 今回は「人物描写」について述べてみました。

 容貌や服装は特徴的なものをひとつだけ書いてみましょう。その言葉があだ名になるようなものです。

 キャラを立てる会話も重要。これができればキャラは生き生きとしてきます。

 そして心理描写は主に行為や会話で外的に表わし、それでも語れなかったことを「心の声文」として書いていきましょう。

 これらができれば「人物描写」も苦労しなくなります。



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