543.臥龍篇:会話文の機能
今回は「会話文」についてです。
「会話文」だけでキャラの書き分けができますか。
とくに短編小説では「会話文」だけで書き分けできることが必須です。
会話文の機能
会話文は書ける。そう思っている方が多いでしょう。
小説がある程度書けるようになってくると、設定を今よりもっと緻密に盛り込みたくなります。
会話文に設定を入れ込めば、地の文で書く必要もない。だから会話文で語ってしまえとなるわけです。
会話文で人物を書き分ける
書き手には会話を巧みに書き分ける能力がないといけません。
日本語は会話の一人称や二人称や語尾の違いや言いまわしなどで、老若男女、上司と部下といった社会的な立ち位置を書き分けることができます。
地の文で説明しなくても「誰が話しているのか」を読み分けられる会話文を書くのです。
そのレベルに達すれば、会話文を使いこなせていると言えます。
一人称が「私」「わたくし」「わたし」「あたし」「あたい」「あっし」「あちき」「僕」「ぼく」「俺」「おれ」「おいら」「儂」「わし」「予(余)」「朕」など様々あります。「わたし」も漢字で「私」と書くか、かなで「わたし」と書くか、カナで「ワタシ」と書くかで、キャラの印象が変わります。
女性が出てくる小説で、女性Aも女性Bも自分のことを「わたし」と書いていたら、それだけで差が出ませんよね。文にもよりますが地の文で補記する必要があります。
しかし女性Aは「わたし」で女性Bが「ワタシ」なら書き分けられるのです。
でもその女性のイメージではふたりとも「わたし」と話すんだけど。そういう方もいらっしゃいます。
その場合は語尾を工夫しましょう。「だ・である」「です・ます」「わ」「ね」「よ」「なくて」「あそばせ」「じゃ」などすぐに思い浮かびませんが、さまざまな語尾があります。
ふたりとも「わたし」と話す女性でも語尾まで同じ人はなかなかいません。
「わたしこれがいいわ」「わたしこれがよくてよ」ならイメージされる人物像が異なってきませんか。
また二人称つまり相手のことをどう呼ぶかでも人物を書き分けられます。「貴方」「貴女」「あなた」「あんた」「貴様」「きさま」「お前」「てめえ」「お主」「卿」「殿」「殿下」「陛下」「猊下」などこちらもさまざまな二人称があります。
この三つの組み合わせで人物をかなり書き分けられます。
いっさい書き分けられない状況もあるのです。
たとえば国王と謁見する部下ふたりがいたとすれば、自分のことは「私(わたくし)」と称しますし、相手のことは「陛下」で、敬語を用いて「です・ます」調の語尾になる。ふたりがまったく同じ話し方をします。
こういうときは無理に会話文で「とは言ってもラスター卿の意見には賛同しかねます」などと発話者の名前を差し挟んでいくのも間抜けです。
地の文を使って発話者を特定していったほうが、厳かな雰囲気にも合います。
会話文の書き分けさえうまくできれば、地の文でいちいち「浩一は言った。」「将人が言った。」とか書かずに済むのです。
会話に詰め込みすぎない
会話文の中に「説明」を含めて書く人が結構います。
おおかたが詰め込みすぎて「通信販売の売り文句」のようになってしまうのです。
とくに状況を会話で「説明」するときの滑稽さ。
「おい、俺たちどうやら閉じ込められたみたいだぞ!」
「本当だ。ドアも開かないし窓ははめ殺しだ」
サスペンスを演出したいとしても、これはいただけません。
状況は地の文で書くべきです。会話文で語ってしまうと、小説の世界観を破壊しかねません。
コメディーであればいくらでもやっていいんです。
サスペンスを味わってもらいたいミステリーでこれをやるからおかしくなります。
「設定」を会話で説明するのはありです。
「俺、広野浩一っていうんだけど、君は?」
「わたし……明美。高岡明美……です」
設定のうち名前は違和感を与えずに説明できますね。「ボーイ・ミーツ・ガール」ものならこんな感じで自己紹介から始まるものです。
「俺んち、父さんと母さん、それに俺と妹の四人家族なんだ」
これは怪しい。家族関係を改めて誰かに「説明」する。こんなことを言い出すシチュエーションを考えてみてください。
無人島に取り残された二人が会話しているような感じを覚えませんか。もしくは密室で監禁されている二人の会話のようにも感じられます。
このあとに「今日父さんと母さんは旅行に行ってて、妹も友達の家に泊まりで勉強会なんだ」とか言い始めたら、自宅に彼女を連れ込んでなにかしようとしているのかもしれません。いずれにせよ、ろくなシチュエーションではないですね。
「この店、安いのに量が多いからよく来るんだ」
とりあえず定食屋に来たことにしました。次のように続いたらどうでしょう。
「ステーキ定食が八〇〇円で、とんかつ定食が七〇〇円、生姜焼き定食が六五〇円、日替わり定食が六〇〇円か」
「フルーツ・パフェもあるみたいよ」
「本当だ。おっ、ナポリタンやペペロンチーノもある」
「ピッツァもいいなぁ。ラビオリもあるしパエリアも――」
メニュー表を広げてなにやら解説しはじめましたね。
本来ここまで並べ立てると説明臭くて読めたものではないのですが、
「ここ、何屋なんだよ」
という一言があればすべて生きてきます。
意味があるのならいいのです(今回はコメディーとしてあえて「説明」しました)。
とくに意味もないのに並び立てる人がかなりいます。
そういうのはただの文字数稼ぎです。
観念的なテーマを語る
「テーマ」が観念的であればあるほど、地の文で語りすぎてしまうきらいがあります。
地の文が長々と続いてしまいますし、重い「テーマ」になるほど地の文が重くなっていくのです。
観念的な「テーマ」を短く会話文の端々に差し挟んでいくことで、地の文の重さもとれます。
会話文はただ一般的な会話を書くだけではありません。
幕末の人斬りが主人公であれば「この包丁は肉の脂が付きすぎて切れなくなってしまった。新しい包丁を買わないと」と書くだけで、大勢の人を斬ってきた刀も買い替え時なのだろうと思わせることができます。もう人斬りを辞めようかという観念につながる文になるかもしれません。
人斬りの刀に「トンボが止まったなぁ」と書くだけで久しく人を斬っていないのではないかと思わせられます。
もちろん一文にすべてを詰め込んではなりません。それは地の文で書くべきことをすべて会話文に書くようなものです。
「堀部の旦那がお前さんに用があるとよ」と書けば、人斬りの依頼かなとにおわせられます。
これを、堀部の旦那が私に用があるという。どうせまた誰それを斬れという依頼なのだろう。しかしこんな稼業はもう辞めたいものだ。などと地の文で書いてしまうと「説明臭い」。
地の文の説明臭さを減らすために、会話文で観念的なテーマを語るのです。
しかしすべてを会話文で書いてしまえば、今度は会話文が「説明臭く」なります。
地の文と会話文でうまく「説明」を分散させて、どちらも「説明臭く」ならないようにバランスをとりましょう。
最後に
今回は「会話文の機能」について述べてみました。
単に登場人物同士が話しているだけ。それが標準的な使い方です。
会話文だけで誰が話しているのか、人物を書き分けているかどうかも問われます。
たとえば国王陛下の前では全員が同じ口調で話すことになってしまうのです。
そういう場合は地の文で誰の発言かを明確にしていく必要があります。
会話文にはさまざまなことを詰め込むことができるのです。
ですが状況を会話文で書くのはコメディーでないかぎりオススメしません。
また地の文で書くべきことを会話文に書いてしまい、「説明臭く」するのはやめましょう。
観念的なテーマは地の文だけで書くと白々しいので、会話文にいくつか語ってもらうことで、文章全体での「説明臭さ」を減らしていきます。
単に会話文といえども、その機能はまだまだ掘り尽くされたとは言えません。
幾多の活用方法を見つけながら書くのも、練達への道です。
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