541.臥龍篇:感じたことを自由に書かない

 今回は「感じたことを自由に書かない」ことについてです。

 自由に書いてしまうと、誰かを傷つけることになります。無邪気で自覚もなく誰かを傷つけるのです。

 だから考えたことや感じたことをなんでも自由に書かないようにしましょう。





感じたことを自由に書かない


 小学校のとき、作文や読書感想文を書かされたと思います。

 そのとき教師から「思ったことを自由に書きなさい」と指導されたことのある人が多いのではないでしょうか。

 しかし真に受けてはなりません。

 本当に「思ったことを自由に書く」と誰かを傷つけてしまうからです。




自由に書いてはならない

 私は中学時代に林間学校で八ケ岳に行きました。

 当時両膝の状態が悪い中、無理やり八ケ岳登山をさせられたのです。

 登山中当然のごとく私の両膝とくに右膝の痛みが強く現れました。

 だからといって今から引き返すわけにもいかず、膝の上でタオルをきつく縛って痛みを少しでも軽くしようとしたのです。

 なんとか宿舎に帰り着いたとき、私の両膝は悲鳴をあげていました。

 夜になると中学校では恒例のキャンプ・ファイヤーが始まりますが、フォーク・ダンスを踊れるだけのコンディションはありません。

 そこで誰にも告げず黙って部屋に戻って、痛む膝を休ませることにしました。

 中学生としては異性と手をつなげる大義名分であるフォーク・ダンスをパスするなんて、青春のたいせつな一ページを自ら放棄するようなものです。

 そしてこの三カ月後の中学三年生十二月。私はまず右膝の手術に踏み切ります。

 先延ばしにできないほどの痛みに苦しんでいましたが、タイミングとしては最悪を極めました。中学三年生十二月といえば、二学期末テストがあります。高校受験の内申点が決まる重要な時期です。期末テストは手術後の病院のベッドで受け、二週間入院していましたのでその間は欠席扱い。いくら事情があって手術をしたとしても「欠席扱い」なのです。

 そのせいで内申点は一気に十以上落とされました。期末テストの点数はよかったのに、通信簿ではすべて一、二段階グレードダウンされていたのです。無理解な教師陣に憤りを覚えました。

 しかも左膝の手術が一年後に決まっています。全日制高校は体育の時間で膝を傷める可能性があるため、進学先は体育の時間が少ない定時制高校を選択するほかありません。

 そこで自宅から徒歩で二十分の距離にある高校を受験しました。


 さて、ここまで自由に書いてみましたが、人を傷つけていますね。私自身を傷つけていますし、内申点を下げた教師を傷つけているのです。

 また「自由に書いた」ため、面白い話になっていません。

 ただの「自虐ネタ」でしかないのです。


 私はこういう挫折する自虐ネタには事欠きません。

 中古CD屋のアルバイトで立ち仕事をしながら俳優養成所に通ったことがあります。中古CD屋ではトイレに行くことが困難な職場環境だったため水分を満足に補給できず、しかも立ちっぱなしで、今で言うエコノミークラス症候群を発症しました。演技の勉強を熱心にしていたため、脚で出来た血栓が心臓近くまで来る危険な状況になりました。アルバイトを辞めるか俳優養成所をあきらめるかを迫られて、生活のため夢であった俳優養成所をあきらめました。しかし体調の悪化を止める術も知らず、程なくしてアルバイトも辞めたのです。我ながらいろいろと難しい状況だったと思います。

 どうやら私には普通の人では体験できないような出来事を呼び寄せてしまう磁力があるようです。


 このように「自由に書く」と、論旨がまったく不明になっています。

 作文は「自由に書いてはならない」のです。


 人には誰でも嫌いな人がいるはずです。

 誰もが嫌がる類いの人もいますが、あなたにとっては嫌いな人というのもいます。

 それを文字にして書いてしまうと、その人との軋轢が生まれるのです。

 ほんの些細な一文だったのかもしれません。

 それが決定的な決裂となってしまった例は、誰にでもひとつやふたつ経験があるのではないでしょうか。


 逆にラブレターを書くとき、あなたが思ったことを書いたら、受け取った相手はあまりいい顔をしません。

 とくに好きだから「好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。……」と連呼されると、なにか呪いのような印象を受けてしまいます。書き手のことを怪しい人、怖い人、気味の悪い人と受け取るのです。

「思ったこと」を自由に書いてはなりません。




感じたことを書かない

 小学校の作文ではとくに「感じたことを書きなさい」と言われます。

 ですが、感じたことなんかたかが知れているのです。

「先週の日曜日は文化祭でした。六年生の劇を観てとても楽しかったです。閉幕して片付けをするのがたいへんでした」とまぁ「感じたこと書きなさい」と言われたら、感じたことしか書かないですよね。

 すると当然文字数は短くなってしまいます。

 感じたことしか書かないのでは、そもそも面白い作品にはなりません。

 感情の羅列ではワクワクしてこないのです。

 伝えたい感情はひとつでいい。

 あとはそれをどう感じたのか、なぜ感じたのかといった附帯情報を書くことに徹するべきです。

 楽しいことがあったら、「楽しい」という言葉を使わずに楽しかった心境を文章にして書くこと。


 同じことが「読書感想文」にも言えます。

「読書感想文」は指定された小説を読んで、その「感想」を書いてこいという課題です。

 しかし「感想」文ですから「○○がよかった」「△△が楽しかった」「□□がためになった」「××はどうかと思います」と「感想」の言葉しか書けない。

 そんな文をいくら書いても文章力は向上しません。

 小説を書くのに「読書感想文」を書く人はいないでしょう。

 できることなら「文豪」の書いた「読書感想文」を読んでみたいくらいです。おそらくろくな文章ではなかったと思います。

「読書感想文」は「感想」を書くので、当然のように形容詞文・形容動詞文が基本です。しかし以前お話したように、形容詞文・形容動詞文は小説ではできるかぎり書かないようにしましょう。形容詞・形容動詞文はなにかとの比較によって成り立つ品詞です。それを述語にしてしまうと、文意があいまいになってしまいます。相対化・抽象化を象徴するのが形容詞文・形容動詞文なのです。小説では可能なかぎり動詞文を主に使いましょう。


 小説で「感想」を抱くのは読み手です。書き手が「感想」を書いてはなりません。

 書き手は主人公にさまざまな試練を与えます。それを主人公がどう乗り越えていくのか。または挫折してしまうのか。その過程を読ませることで、読み手が「感想」を持つのです。

 主人公にある出来事が起こり、それによって主人公が感情を抱く。だから感情を書こう。

 そのとき安易に形容詞・形容動詞を頼らないでください。

「悲しい」気持ちになっても「悲しい」なんて書いてはダメです。

 常套句では「心に穴があく」と言いますよね。こちらは動詞文なのでまだましです。

 ただし常套句も小説を陳腐化してしまう欠点がありますので、別の表現を考えてみましょう。

 独特な表現ができる書き手は、高く評価されます。

「文豪」によって生まれた常套句が数多くあるのです。

 感情を書くときに独特な表現を生み出せる、その感性を磨きましょう。

 ありきたりな表現しかできなければ、ほどほどの書き手としか判断されません。そんな人が「小説賞・新人賞」を射止められるでしょうか。

 独特な表現は、あなたを「文豪」へと導きます。





最後に

 今回は「感じたことを自由に書かない」ことについて述べてみました。

 自由に書くとたいてい支離滅裂になります。誰かを傷つけることもあるのです。

 主人公に感情が芽生えたとして、それを自由に書いていいわけではありません。

 感情はとくに形容詞文・形容動詞文で書かないようにしてください。表現があいまいになりやすく、相対化・抽象化されたものしか伝わらないのです。

 安易に形容詞文・形容動詞文を用いたり常套句・慣用句を用いたりせず、あなた独特な表現を目指してみましょう。



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