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518.飛翔篇:文学臭いことをしない」への応援コメント


  • 編集済

    今回は耳の痛いお話でした。(笑)

    でも私、情景描写や比喩の多い小説、好きなんです。作家読みをするタイプなので、その作家がどう描写するのか、とても気になります。日の出や夕暮れの空の色の変化の描写などなど、この作家はこういう目を持っているのかとか、どういう人生を送ったら景色がこういうふうに見えて書けるのかと、何度も読み返すことがあります。比喩の多様も好きです。作家の過ごしてきた人生のバッグボーンがわかりますので。断言しない描写も、読者の想像力を刺激して、物語りの世界に引き込む効果がありそうです。
    それもあって、情景描写や比喩を省くライトノベルは、まだ人生経験の浅い中高生とか、通勤電車の中でスマホで気楽に読み流したい読者がターゲットの世界なのだなあと思うことです。

    作者からの返信

     明千香様、コメントありがとうございます。

     今回はけっこう踏み込んだ表現を使っているんです。
     ほぼ「自戒」となっています。
     私がついやってしまうことで、おそらく中級者はもれなくやっていること。

     情景描写や比喩の多い作品は、物語世界を読み手にわかりやすく知らせるためには必要なのですが、なんにでも比喩を付けてしまうと、かえってわかりづらくなってしまう。
     あと、両方とも文章の流れを断ち切ってまで入れるものでもありません。
     文章の流れに乗せて書くぶんにはまったく問題はないのです。

     例に挙げた空の描写も、折りに触れて空を書いていると効果的なんですけど、その一文だけしか空に言及していないと「取ってつけたような表現」になりやすいですね。
     作者の文体の特徴として、空の変化が巧みである。これは問題ありませんね。主人公が「よく空を見ている性格の人」として書かれる場合もあります。

     比喩もなんでもかんでも付けるのではなく、読み手に詳しく伝えたいものに絞って書くぶんにはなんら悪影響はないと思います。
     「文学臭い」こととして、文学にありがちだと思っている「すべての文に比喩を付けないと気が済まない」人ってけっこういるんです。
     その比喩は本筋にどのくらい関係ありますか、と問いたいものがかなりあります。
     もちろん無駄を書くのが本筋である推理小説なら、いくらでも本筋とは関係ない比喩をバンバン使ってもかまわないんですけどね。

     「物語を読ませたいのか、文章を読ませたいのか」

     これを尺度にすれば、過剰な描写や比喩はかなり省けます。
     物語に必要な描写や比喩なら、いくら入れてもかまわない。
     でも物語にさほど必要ではない描写や比喩に走ってしまうのが、中級者の陥る罠になってしまっています。

     「断言しない」も持ち味にまで昇華していれば問題ないのです。
     ただ、書き手として自信があるなら、読み手に投げずに書き手が断言したほうが小説賞での印象がよいのは確かですね。


     とまあ、ここで五つ挙げはしたのですが、結局作者の「書きグセ」にまで昇華してしまえば、この五つに走ってもすべて「持ち味」になってしまうんですよね。
     村上春樹氏の小説も、文章を解析してみると五つの「文学臭いこと」をすべてやっているんです。
     でも実際には近作が三十万部近く売れるのですから、読み手も五つの「文学臭いこと」を待っているようなもの。
     このレベルにまでたどり着いたら、あえて「文学臭いこと」をやったほうがファンが増えることにつながるものです。

     まあなんでも「やりすぎには注意しましょう」ということですね。


     ですので、中級者のうちはなるべく避けるようにして、プロや上級者となって個性的な文体を確立したいときはあえて挑戦するべき五つの要素、とも言えます。
     本コラムは基本的に初級から中級までをカバーしていて、上級にはあまり踏み込まないんです。そこまで到達すると、他人がどうこう言おうとも自分の文体が確立しているものですからね。
     だから、たまにアンチテーゼを提供して、自分の文体を見直す機会にする。
     そのつもりで書いたコラムが「518」になります。