510.飛翔篇:なにをどの順番に読みたいか

 今回は「なにをどの順番に読みたいか」です。

「読み手に読ませたいか」ではなく「読み手が読みたいか」です。

 この意識の差が、決定的な差になってきます。





なにをどの順番に読みたいか


 小説を書くとき、つい書き手の立場から「なにをどの順番に読ませたいか」を考えがちです。

 しかし読み手は「なにをどの順番に読みたいか」という視点で小説を読みます。

 つまり考え方が真逆なのです。




なにをどの順番に読ませたいか

 こちらは書き手側から見た書き方の話です。

 たとえば物語開始直後、物語の世界観や舞台の説明、それによる世界の歴史を語ってしまいがちです。田中芳樹氏『銀河英雄伝説』のように。

 先に歴史を語っておくことで、読み手に物語が行なわれる世界のことを知ってもらいたい。そうすれば重厚な作品になるだろう。

 そういう見込みで舞台や歴史について語ってしまうのです。

 世界観や舞台、歴史を語った後は、主人公の経歴や主に身体的な特徴について語ります。どんな家庭環境で生まれ育ち、どんな仲間たちに囲まれて成長し、どんな試練を越えて高校・大学・就職していったのか。そこでどんな活躍をしてきたのか。そうすれば読み手が深く感情移入できるだろう。

 そういう見込みで主人公のことについて語ってしまうのです。

 これらが一概に悪いとは言いません。

 ただし小説投稿サイトであれば、冒頭から世界観や舞台を説明して延々と歴史を語ってしまったり、主人公の経歴や主に身体的な特徴をつらつらと書いてあるのは正直いただけません。たいていの読み手は「回れ右」して「戻るブラウザバック」ボタンを押してしまいます。

 読み手が読みたいのは世界観や舞台とその歴史、主人公の経歴ではありません。

 もちろんそれらがまったく書かれていないと暗闇の中にピンスポットが放たれ、映し出された得体の知らない主人公が活躍するという「味気ない」物語になってしまいます。

 最低限必要なことは書かなければなりませんが、語りすぎてはなりません。

 だから「小説の書き方」の多くでは「まず主人公を動かせ」と言われます。

 主人公を動かすことでできた空間について描写することで世界観や舞台は説明できますし、主人公の動きを読ませることでどういった身体や頭脳の能力があるのかを読み手に知らせることができます。

 投稿初回の書き出しに迷ったら「まず主人公を動かせ」ということを意識してみましょう。




なにをどの順番に読みたいか

 前項とほとんど似ていますが、こちらは読み手側から見た読み方の話です。

 読み手としては、まず感情移入できる「主人公」を探します。

 小説に限らず、多くの名作は初回投稿の早い段階で登場するものです。

 読み手の感情移入を妨げないよう工夫しています。それだけ読み手に配慮している書き手の作品だということです。

 ただ主人公が登場するだけではいけません。

 前項でも述べましたが「まず主人公を動かせ」です。

 主人公の描写をする暇があったら、すぐ主人公を動かしてください。

 契機となる出来事イベントが起これば、物語の歯車は否応なく回転し始めます。

 主人公が動けば、それだけ空間スペースが生まれます。移動した場所の説明を逐次短文で説明をしていくのです。メインはあくまでも「主人公」なので、場所の描写に力を入れる必要はありません。場所の描写に明け暮れると、せっかく動かした主人公の動きが止まってしまいます。

 読み手としては、まず「主人公」ありきです。そして置かれている状況をさっと説明し、仲間がいるのなら仲間に触れ、敵がいるのなら敵に触れ、場所を移動するのなら場所の説明もする。

 川端康成氏『雪国』はこのあたりの書き方が徹底しています。

 読み手が欲しがる情報を、適宜開示していき、物語世界へといざなうのです。

 さすがノーベル文学賞作家だと思います。

 読み手目線で書くための練習として、『雪国』を読んでおくとよいでしょう。




読みたい順番に読ませたいものを書く

 読み手はまず「主人公」を探します。

 一人称視点であれば最初の一文から主人公が出てくるのです。だからわかりやすい。

 その主人公が「見ていること」「聞いていること」「感じていること」「思っていること」「考えていること」を適宜書くことで、読み手が主人公へ感情移入していきます。

 とくに一人称視点では主人公の「感じたこと」「思ったこと」「考えたこと」という思考の過程を書くことがたいせつです。これにより読み手は主人公がどんなことにどう感じたのか、どんな感想を抱いたのか、どんなことを考えたのかを脳内にインプットしていきます。よほどのことがないかぎり、読み手はインプットによって主人公へ感情移入していくのです。よほどのこととは「反社会的思想」「犯罪行為」「倫理・道徳に反すること」が代表例です。

 ハイファンタジーであっても、なんの説明もなく主人公が人間をばっさばっさと斬り倒していく様を読ませるのはあまりオススメしません。

 なぜ人間を倒さなければならないのか。その説明をしっかりしてください。

「まず主人公を動かせ」ですから、主人公が人を斬り倒していてもいいのです。でもその理由をすぐに説明しないと、「殺人鬼が主人公の小説なのか」と読み手に思われてしまいます。

 理由は正当なものならなんでもいいのです。「合戦の真っ最中」「強盗団の襲撃を受けた」「魔王の城へ潜入してお姫様を奪還する」というハイファンタジーとして一般的なことでかまいません。

 一人称視点は「まず主人公を動かせ」の原則に従っていれば、自然と読み手が主人公へ感情移入できます。


 では三人称視点ではどうでしょうか。三人称視点において「主人公」を探すのは意外と手間がかかります。

 地の文に「私」「俺」「僕」といった代名詞が存在しないからです。三人称一元視点にはこれら一人称代名詞が書いてあります。三人称視点のふりをした一人称視点だからです。

 たいていの場合「ある人物」に向けてカメラを据え、その人物を中心に周囲を描写しています。その「ある人物」が「主人公」である可能性は高い。ですので読み手はまず「ある人物」を探します。

 こちらも「まず主人公を動かせ」の原理で主人公を動かしていれば、動きの中心が「主人公」であることが明白です。

 だから「まず主人公を動かせ」の原則に従って人物を動かしてください。

 読み手はその人物を「主人公」だと特定します。

 しかし三人称視点である場合、最初に動いているのは敵であることも多いのです。

 先に敵を動かしてある人物へ狙いを定める。襲いかかるところでその人物がカウンターの一撃をお見舞いするのです。

 倒した側が「主人公」であることを読み手に印象づけることができます。

 三人称視点はその場にいる誰のことも書けますが、誰の心の中にも入り込めません。(三人称一元視点を除きます。三人称一元視点はある場面シーンで視点保有者の心の中を書けるのです)。

 三人称視点のうち「神の視点」であれば誰の心の中も覗き放題です。心理を読ませたい推理小説には不向きですし、誰の心もわかってしまうと「この人物の気持ちは皆がわかっているのか」という境界線がわかりにくくなります。

 だから、よほどのことがないかぎり「神の視点」は用いないほうがよいでしょう。

 もちろん「主人公は知らないが、読み手は知っている」ために、一人称視点の作品にあえて三人称視点を交えることは「あり」です。(これが三人称一元視点になります)。





最後に

 今回は「なにをどの順番に読みたいか」について述べてみました。

 書き手が「なにをどの順番に読ませたいか」では読み手は食いつきません。

 読み手が「なにをどの順番に読みたいか」を想定して文章を書くことです。

 そうすれば少なくとも初回投稿で「回れ右」の「戻るブラウザバック」をクリック(タップ)される割合をかなり減らせます。

 小説は読み手のために存在します。

 書き手には読み手が楽しめる作品を書く義務がある、と思ったほうがよいでしょう。

 そのくらい書き手意識を薄め、読み手意識を持って小説を書けるのかどうか。

 それがすぐれた書き手か否かを左右します。



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